智囊 / 詰奸・范檟
范檟,會稽人,守淮安。景王出藩,大盜謀劫王,布黨起天津至鄱陽,分徒五百人,往來游奕。一日晚衙罷,門卒報有貴客入僦潘氏園寓孥者,問:「有傳牌乎?」曰:「否。」命詗之,報曰:「從者眾矣,而更出入。」心疑為盜,陰選健卒數十,易衣帽如莊農,曰:「若往視其徒入肆者,陽與飲,飲中挑與鬥,相執縶以來。」而戒曰:「勿言捕賊也。」卒既散去,公命輿謁客西門,過街肆,持者前訴,即收之。比反,得十七人。陽怒罵曰:「王舟方至,官司不暇食,暇問汝鬥乎?」叱令就係。入夜,傳令儆備,而令吏飽食以需。漏下二十刻,出諸囚於庭,厲聲叱之,吐實如所料。即往捕賊,賊首已遁。所留孥,妓也。於是飛騎馳報徐、揚諸將吏,而斃十七人於獄,全賊潰散。
新字:范檟,会稽人,守淮安。景王出藩,大盗謀劫王,布党起天津至鄱陽,分徒五百人,往来游奕。一日晩衙罷,門卒報有貴客入僦潘氏園寓孥者,問:「有伝牌乎?」曰:「否。」命詗之,報曰:「従者衆矣,而更出入。」心疑為盗,陰選健卒数十,易衣帽如荘農,曰:「若往視其徒入肆者,陽与飲,飲中挑与鬥,相執縶以来。」而戒曰:「勿言捕賊也。」卒既散去,公命輿謁客西門,過街肆,持者前訴,即収之。比反,得十七人。陽怒罵曰:「王舟方至,官司不暇食,暇問汝鬥乎?」叱令就係。入夜,伝令儆備,而令吏飽食以需。漏下二十刻,出諸囚於庭,厲声叱之,吐実如所料。即往捕賊,賊首已遁。所留孥,妓也。於是飛騎馳報徐、揚諸将吏,而斃十七人於獄,全賊潰散。
書き下し
范檟、会稽の人、淮安を守る。景王、藩に出づるに、大盗、王を劫かさんことを謀り、党を天津より鄱陽に布き、徒五百人を分かち、往来して游奕せしむ。一日、晩の衙罷むとき、門卒、貴客の入りて潘氏の園を僦りて孥を寓する者有りと報ず。問う、「伝牌有りや」と。曰く、「否」と。命じて之を詗わしむれば、報じて曰く、「従者は衆く、而して更ごも出入す」と。心に盗かと疑い、陰かに健卒数十を選び、衣帽を易えて莊農の如くしめて曰く、「若、往きて其の徒の肆に入る者を視、陽に与に飲み、飲みて中に挑みて闘い、相執縶して以て来たれ」と。而して戒めて曰く、「賊を捕らうと言う勿かれ」と。卒既に散去す。公、輿に命じて客を西門に謁し、街肆を過ぐるに、持する者前みて訴う。即ち之を収む。反るに比び、十七人を得たり。陽に怒り罵りて曰く、「王舟方に至らんとし、官司は食らうに暇あらず。汝が闘うを問うに暇あらんや」と。叱りて就きて係がしむ。夜に入り、令を伝えて儆備せしめ、而して吏をして飽食して以て需たしむ。漏下二十刻、諸囚を庭に出だし、声を厲しくして之を叱す。実を吐くこと料る所の如し。即ち往きて賊を捕らうるに、賊首は已に遁る。留むる所の孥は、妓なり。是に於いて飛騎して徐・揚の諸将吏に馳報し、而して十七人を獄に斃し、全賊潰散す。
現代語訳
范檟は会稽の人で、淮安を治めていた。景王が藩国に赴く際、大盗賊が王を襲おうと謀り、仲間を天津から鄱陽にかけて配置し、五百人を分けて、往来しながら見張らせていた。ある日の夕方、役所の勤めが終わったとき、門番が、貴客が来て潘氏の園を借り家族を泊めている者がいると報告した。范檟はたずねた。「通行証の札はあるか」。答えた。「ありません」。命じて探らせると、報告があった。「従者が多く、しかも交代で出入りしています」。心に盗賊ではないかと疑い、ひそかに屈強な兵士数十人を選び、衣服と帽子を農民のように着替えさせて言った。「おまえたちは、その一味で店に入る者を見て、飲むふりをして、一緒に飲み、途中で挑みかかって喧嘩し、互いに引き締め合って連れて来い」。そして戒めて言った。「賊を捕らえると言ってはならない」。兵士たちは散って行った。公は輿を命じて客を西門に訪ね、街の店を通ると、取り押さえている者が前に出て訴えた。すぐに引き取った。戻ってみると、十七人を得ていた。偽って怒り罵って言った。「王の船がもうすぐ着くところで、役所は食事をする暇もない。おまえたちの喧嘩を問う暇があろうか」。叱って繋がせた。夜に入ると、命令を伝えて警戒させ、役人には腹いっぱい食べて待機させた。漏刻で二十刻のとき、囚人たちを庭に出し、声を厳しくして叱りつけた。すると白状し、予想どおりだった。ただちに賊を捕らえに行ったが、賊の頭はすでに逃げていた。残された家族と称する者は、遊女であった。そこで早馬で徐州・揚州の諸将官に急報し、十七人を獄で処刑して、賊の一団は総崩れとなった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 項羽本紀今関に入りて、財物取る所無く、婦女幸する所無し、此れ其の志小に在らず。吾人をして其の気を望ましむるに、皆龍虎を為し、五采を成す、此れ天子の気なり。急ぎ撃ちて失ふ勿かれ。」と。楚の左尹項伯は、項羽の季父なり、素より留侯張良に善し。張良是の時沛公に従ふ、項伯乃ち夜馳せて沛公の軍に之き、私かに張良に見え、具に告ぐるに事を以てし、張良を呼びて与に倶に去らんと欲す。曰く、「倶に死する毋かれ。」と。張良曰く、「臣韓王の為に沛公を送る、沛公今事急有り、亡げ去るは不義なり、語らざるべからず。」と。良乃ち入りて、具に沛公に告ぐ。沛公大いに驚きて、曰く、「之を為すこと柰何(いかん)。」と。張良曰く、「誰か大王の為に此の計を為せし者ぞ。」と。曰く、「鯫生(そうせい)我に説きて曰く『関を距(ふせ)ぎ、諸侯を内(い)るる毋くんば、秦の地尽く王たるべし』と。故に之を聴く。」と。良曰く、「大王の士卒を料るに以て項王に当たるに足るか。」と。沛公默然として、曰く、「固より如かず、且つ之を為すこと柰何。」と。張良曰く、「請ふ往きて項伯に謂ひ、沛公敢へて項王に背かざるを言はん。」と。沛公曰く、「君安んぞ項伯と故有る。」と。張良曰く、「秦の時臣と游ぶ、項伯人を殺す、臣之を活かす。今事急有り、故に幸ひに来りて良に告ぐ。」と。沛公曰く、「君と孰れか少長なる。」と。良曰く、「臣より長なり。」と。沛公曰く、「君我が為に呼び入れよ、吾兄として之に事ふるを得ん。」と。張良出でて、項伯を要(むか)ふ。項伯即ち入りて沛公に見ゆ。沛公巵酒を奉じて寿を為し、約して婚姻を為し、曰く、「吾関に入りて、秋豪も敢へて近づく所有らず、吏民を籍し、府庫を封じて、将軍を待つ。将を遣はして関を守らしむる所以の者は、他盗の出入と非常とに備ふるなり。日夜将軍の至るを望む、豈に敢へて反かんや。願はくは伯具に臣の敢へて徳に倍(そむ)かざるを言へ。」と。項伯許諾す。沛公に謂ひて曰く、「旦日蚤く自ら来りて項王に謝せざるべからず。」と。沛公曰く、「諾。」と。是に於て項伯復た夜去り、軍中に至り、具に沛公の言を以て項王に報ず。
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『春秋左氏伝』襄公十八年 太子、剣を抜きて鞅を断つ十二月戊戌、秦周に及びて雍門の萩を伐つ。范鞅雍門に門す。其の御追喜、戈を以って犬を門中に殺す。孟莊子其の橁を斬りて、以って公の琴と為す。己亥、雍門及び西郭・南郭を焚く。劉難・士弱、諸侯の師を率ゐて、申池の竹木を焚く。壬寅、東郭・北郭を焚く。范鞅揚門に門す。州綽東閭に門す。左驂迫りて、東門の中に還り、枚を以って闔を數ふ。齊侯駕して、將に郵棠に走らんとす。大子と郭榮と馬を扣へて曰く、「師速やかにして疾し、略するなり。將に退かんとす。君何ぞ懼れん。且つ社稷の主は、以って輕んずべからず。輕んずれば則ち眾を失ふ。君必ず之を待て」と。將に之を犯さんとす。大子劍を抽きて鞅を斷つ。乃ち止む。甲辰、東のかた侵して濰に及び、南のかた沂に及ぶ。
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『春秋左氏伝』襄公九年 宋の大火と天道九年春、宋災あり。樂喜、司城と為り、以て政を為す。伯氏をして里を司らしむ。火の未だ至らざる所は、小屋を徹し、大屋を塗り、畚挶(ほんきょく)を陳ね、綆缶(かうふ)を具へ、水器を備へ、輕重を量り、水潦を蓄へ、土塗を積み、丈城を巡り、守備を繕ひ、火道を表す。華臣をして正徒を具へしめ、隧正に令して郊保を納れ、火所に奔らしむ。華閱をして右官を討めしめ、官ごとに其の司を庀(をさ)めしむ。向戌をして左を討めしむること、亦た之の如し。樂遄をして刑器を庀めしむること、亦た之の如し。皇鄖をして校正に命じて馬を出さしめ、工正に車を出さしめ、甲兵を備へ、武守を庀めしむ。西鉏吾をして府守を庀めしめ、司宮・巷伯に令して宮を儆めしむ。二師、四鄉の正に令して敬んで享せしむ。祝宗、馬を四墉に用ゐ、盤庚を西門の外に祀る。晉侯、士弱に問ひて曰く、「吾之を聞く、宋災あり、是に於てか天道有るを知ると。何の故ぞ」と。對へて曰く、「古の火正は、或いは心に食し、或いは咮(ちう)に食し、以て火を出內す。是の故に咮を鶉火と為し、心を大火と為す。陶唐氏の火正閼伯(あつはく)、商丘に居りて大火を祀り、而して火もて時を紀す。相土之に因る。故に商は大火を主とす。商人、其の禍敗の釁(きざし)を閱するに、必ず火に始まる。是を以て日に其の天道有るを知るなり」と。公曰く、「必すべきか」と。對へて曰く、「道に在り。國亂れて象無ければ、知るべからざるなり」と。
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孟子・離婁章句下孟子曰く、「罪無くして士を殺さば、則ち大夫以て去る可し。罪無くして民を戮せば、則ち士以て徙る可し。」
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史記 刺客列伝千金の資幣物を持ちて、厚く秦王の寵臣中庶子蒙嘉に遺る。嘉為に先づ秦王に言ひて曰く、「燕王誠に大王の威を振怖し、敢て兵を挙げて以て軍吏に逆らはず、願はくは国を挙げて内臣と為り、諸侯の列に比し、貢職を給すること郡県の如くにして、先王の宗廟を奉守するを得んと。恐懼して敢て自ら陳べず、謹んで樊於期の頭を斬り、及び燕の督亢の地図を献じ、函封し、燕王庭に拝送し、使をして以て大王に聞せしむ。唯だ大王之に命ぜよ」と。秦王之を聞き、大いに喜び、乃ち朝服し、九賓を設け、燕の使者に咸陽宮に見ゆ。荊軻、樊於期の頭の函を奉じ、而して秦舞陽地図の柙を奉じ、次を以て進む。陛に至り、秦舞陽色変じ振恐す。群臣之を怪しむ。荊軻顧みて舞陽を笑ひ、前みて謝して曰く、「北蕃蛮夷の鄙人、未だ嘗て天子に見えず。故に振慴す。願はくは大王少しく之を仮借し、使を前に畢ふるを得しめよ」と。秦王軻に謂ひて曰く、「舞陽の持つ所の地図を取れ」と。軻既に図を取りて之を奏す。秦王図を発く。図窮まりて匕首見る。因りて左手に秦王の袖を把り、而して右手に匕首を持ちて之を揕す。未だ身に至らず。秦王驚き、自ら引きて起つ。袖絶ゆ。剣を抜かんとするも、剣長く、其の室を操る。時に惶急し、剣堅く、故に立ちどころに抜くべからず。荊軻秦王を逐ふ。秦王柱を環りて走る。群臣皆愕き、卒かに意はざるに起こり、尽く其の度を失ふ。而して秦の法、群臣の殿上に侍する者は尺寸の兵を持つを得ず。諸郎中の兵を執るもの皆殿下に陳なり、詔召有るに非ずんば上るを得ず。急なる時に方り、下の兵を召すに及ばず。故を以て荊軻乃ち秦王を逐ふ。而して卒かに惶急し、以て軻を撃つ無く、而して手を以て共に之を搏つ。是の時侍医夏無且、其の奉ずる所の薬嚢を以て荊軻に提つ。秦王方に柱を環りて走り、卒かに惶急して、為す所を知らず。左右乃ち曰く、「王剣を負へ」と。
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説苑・建本豊牆磽下は未だ必ずしも崩れざるも、流行潦至れば、壊るること必ず先んず。樹の本浅く、根垓深からざるは、未だ必ずしも橛れざるも、飄風起こり暴雨至れば、抜けること必ず先んず。君子是の国に居りて、仁義を崇めず賢臣を尊ばざるも、未だ必ずしも亡びざるも、然れども一旦非常の変有らば、車馳せ人走り、指して禍至れば、乃ち始めて喉を干し唇を燋がし、天を仰ぎて歎じ、庶幾わくは天其れ之を救わんと、亦難からずや。孔子曰わく、「其の前を慎まずして其の後を悔ゆれば、悔ゆると雖も及ぶ無し」と。詩に曰わく、「其れ啜りて泣く、何ぞ嗟くも及ばん」と。本を先に正さずして末に憂いを成すを言うなり。
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