智囊 / 詰奸・蘇渙
蘇渙知衡州時,耒陽民為盜所殺而盜不獲。尉執一人指為盜,渙察而疑之,問所從得,曰:「弓手見血衣草中,呼其儕視之,得其人以獻。」渙曰:「弓手見血衣,當自取之以為功,尚肯呼他人?此必為奸。」訊之而服,他日果得真盜。
新字:蘇渙知衡州時,耒陽民為盗所殺而盗不獲。尉執一人指為盗,渙察而疑之,問所従得,曰:「弓手見血衣草中,呼其儕視之,得其人以献。」渙曰:「弓手見血衣,当自取之以為功,尚肯呼他人?此必為奸。」訊之而服,他日果得真盗。
書き下し
蘇渙、衡州に知たるとき、耒陽の民、盗の殺す所と為りて、盗は獲られず。尉、一人を執え、指して盗と為す。渙、察して之を疑い、得る所を問う。曰く、「弓手、血衣の草中に在るを見て、其の儕を呼びて之を視、其の人を得て以て献ず」と。渙曰く、「弓手、血衣を見れば、当に自ら之を取りて以て功と為すべし。尚お肯えて他人を呼ばんや。此れ必ず奸を為せり」と。之を訊すれば服す。他日、果たして真盗を得たり。
現代語訳
蘇渙が衡州の長官であったとき、耒陽の民が盗賊に殺されたが、盗賊は捕まらなかった。県尉が一人を捕らえ、盗賊だと指さした。蘇渙は調べて疑い、どうやって捕らえたのかをたずねた。県尉は答えた。「弓兵が、草むらの中に血のついた衣を見つけて、仲間を呼んで見に行かせ、その人を捕らえて差し出したのです」。蘇渙は言った。「弓兵が血のついた衣を見つけたなら、自分一人で取って手柄にするはずだ。それなのにどうして他人を呼ぶだろうか。これは必ず偽りがある」。問いただすと弓兵は服した。後日、はたして真の盗賊を捕らえた。
解説
蘇渙は証拠の内容ではなく、証拠を見つけた人の行動の不自然さに気づきました。手柄を独り占めできる場面で、わざわざ他人を呼ぶのは筋が通らず、そこに偽りの匂いを嗅いだのです。報告された事実が真であっても、行動の筋が通っていなければ疑う余地があります。管理職が部下の報告を受けるときも、結果だけでなく、その人がなぜそう動いたのかという動機や経緯の整合性に目を向けると、誤魔化しや成果の偽装を見抜く糸口になります。
この章句が説くこと
血衣弓手尉手柄行動の整合報告の吟味
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