智囊 / 得情・安重榮・韓彥古
安重榮雖武人而習吏事。初為成德節度,有夫婦訟其子不孝者。重榮拔劍,授其父使自殺之。其父泣不忍,其母從旁詬夫面,奪劍而逐其子,問之,乃繼母也。重榮為叱其母出,而從後射殺之。韓彥古知平江府,有士族之母,訟其夫前妻子者,以衣寇扶掖而來,乃其嫡子也。彥古曰:「事體頗重,當略懲戒之。」母曰:「業已論訴,願明公據法加罪。」彥古曰:「若然,必送獄而後明,汝年老,必不能理對,姑留扶掖之子,就獄與證,徐議所決。」母良久云:「乞文狀歸家,俟其不悛,即再告理。」由是不敢復至。
新字:安重栄雖武人而習吏事。初為成徳節度,有夫婦訟其子不孝者。重栄抜剣,授其父使自殺之。其父泣不忍,其母従旁詬夫面,奪剣而逐其子,問之,乃継母也。重栄為叱其母出,而従後射殺之。韓彦古知平江府,有士族之母,訟其夫前妻子者,以衣寇扶掖而来,乃其嫡子也。彦古曰:「事体頗重,当略懲戒之。」母曰:「業已論訴,願明公拠法加罪。」彦古曰:「若然,必送獄而後明,汝年老,必不能理対,姑留扶掖之子,就獄与証,徐議所決。」母良久云:「乞文状帰家,俟其不悛,即再告理。」由是不敢復至。
書き下し
安重栄は武人なりと雖も吏事に習う。初め成徳節度と為るとき、夫婦の其の子の不孝を訟うる者有り。重栄、剣を抜きて其の父に授け、自ら之を殺さしむ。其の父は泣きて忍びず。其の母は傍らより夫を面詬し、剣を奪いて其の子を逐う。之を問えば乃ち継母なり。重栄為に其の母を叱りて出ださしめ、後ろより射て之を殺す。韓彦古、平江府に知たり。士族の母にして其の夫の前妻の子を訟うる者有り。衣冠を以て扶掖して来たるに、乃ち其の嫡子なり。彦古曰く、「事体頗る重し、当に略ぼ之を懲戒すべし」と。母曰く、「業已に論訴せり。願わくは明公、法に拠りて罪を加えよ」と。彦古曰く、「若し然らば、必ず獄に送りて後に明らかにせん。汝は年老い、必ず対に理する能わず。姑く扶掖の子を留め、獄に就きて証せしめ、徐ろに決する所を議せん」と。母、良や久しくして云う、「乞う、文状を帰家に持ち帰り、其の悛めざるを俟ちて、即ち再び告理せん」と。是に由りて敢えて復た至らず。
現代語訳
安重栄は武人であったが、役人の仕事にも通じていた。はじめ成徳節度使になったとき、夫婦がその子の不孝を訴え出た。重栄は剣を抜いて父親に渡し、自分でその子を殺させようとした。父親は泣いて忍びなかった。母親は傍らから夫の顔にののしり、剣を奪ってその子を追い立てた。問いただすと、継母であった。重栄はその母を叱りつけて外に出させ、背後から射殺した。韓彦古が平江府の長官であったとき、士族の母が夫の前妻の子を訴え出た。衣服を整え、支えられて来たが、支えているのは実はその嫡子であった。彦古は言った。「事は重大だ、少し懲らしめよう」。母は言った。「すでに訴え出ました。どうか明公、法に従って罪を科してください」。彦古は言った。「そうならば、必ず獄に送ってから明らかにしよう。あなたは年老いて、きっと向かい合って弁明できまい。しばらく付き添いの子を留め置き、獄で証言させ、ゆっくり決め方を相談しよう」。母はしばらくして言った。「どうか訴状を持ち帰らせてください。改めないのを待って、また訴えます」。こうしてもう二度と来なかった。
解説
この章句が説くこと
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