智囊 / 得情・何武・張詠
漢沛郡有富翁,家資二十餘萬,子才年三歲,失其母。有女適人,甚不賢,翁病困,為遺書,悉以財屬女,但遺一劍,云:「兒年十五,以付還之。」其後又不與劍,兒詣郡陳訴,太守何武錄女及婿,省其手書,顧謂掾吏曰:「此人因女性強梁,婿復貪鄙,畏殘害其兒。又計小兒得此財不能全護,故且與女,實守之耳,夫劍者,所以決斷;限年十五者,度其子智力足以自居,又度此女必復不還其劍,當關州縣,得見申轉展。--其思慮深遠如是哉!」悉奪取財與兒。曰:「敝女惡婿,溫飽十年,亦已幸矣。」論者大服。張詠知杭州,杭有富民,病將死,其子三歲,富民命其婿主家貲,而遺以書曰:「他日分財,以十之三與子,而七與婿。」其後子訟之官,婿持父書詣府,詠閱之,以酒酬地曰:「汝之婦翁,智人也。時子幼,故以子屬汝,不然,子死汝手矣。」乃命三分其財與婿,而子與七。
新字:漢沛郡有富翁,家資二十余万,子才年三歳,失其母。有女適人,甚不賢,翁病困,為遺書,悉以財属女,但遺一剣,云:「児年十五,以付還之。」其後又不与剣,児詣郡陳訴,太守何武録女及婿,省其手書,顧謂掾吏曰:「此人因女性強梁,婿復貪鄙,畏残害其児。又計小児得此財不能全護,故且与女,実守之耳,夫剣者,所以決断;限年十五者,度其子智力足以自居,又度此女必復不還其剣,当関州県,得見申転展。--其思慮深遠如是哉!」悉奪取財与児。曰:「敝女悪婿,温飽十年,亦已幸矣。」論者大服。張詠知杭州,杭有富民,病将死,其子三歳,富民命其婿主家貲,而遺以書曰:「他日分財,以十之三与子,而七与婿。」其後子訟之官,婿持父書詣府,詠閲之,以酒酬地曰:「汝之婦翁,智人也。時子幼,故以子属汝,不然,子死汝手矣。」乃命三分其財与婿,而子与七。
書き下し
漢の沛郡に富翁有り。家資は二十余万、子の才は年三歳にして、其の母を失う。女有りて人に適ぐも、甚だ賢からず。翁の病困するや、遺書を為り、悉く財を以て女に属し、但だ一剣を遺して云う、「児の年十五にして、以て付し還せ」と。其の後、又た剣を与えず。児は郡に詣りて陳訴す。太守何武、女及び婿を録し、其の手書を省み、顧みて掾吏に謂いて曰く、「此の人は女の性は強梁にして、婿は復た貪鄙なるに因り、其の児を残害せんことを畏る。又た小児の此の財を得るも全く護る能わざるを計り、故に且く女に与え、実は之を守るのみ。夫れ剣とは、決断する所以なり。年十五と限るは、其の子の智力の以て自ら居るに足るを度り、又た此の女の必ず復た其の剣を還さざるを度り、当に州県に関して申転を得べしとなり。其の思慮の深遠なること是の如きかな」と。悉く奪いて財を児に与う。曰く、「敝女悪婿は、温飽十年、亦た已に幸いなり」と。論者大いに服す。張詠、杭州に知たり。杭に富民有り、病みて将に死せんとす。其の子は三歳。富民は其の婿に命じて家貲を主らしめ、而して遺すに書を以て曰く、「他日財を分かつに、十の三を以て子に、七を婿に与えよ」と。其の後、子は之を官に訟う。婿は父の書を持ちて府に詣る。詠、之を閲し、酒を以て地に酬いて曰く、「汝の婦翁は智人なり。時に子幼し、故に子を以て汝に属す。然らずんば、子は汝の手に死せん」と。乃ち命じて三分して其の財を婿に与え、子には七を与う。
現代語訳
漢の沛郡に、財産が二十余万の富豪がいた。子の才は三歳で、母を亡くしていた。嫁いだ娘がいたが、あまり賢くなかった。富豪が重病になったとき、遺言書を作り、財産をすべて娘に託したが、ただ一本の剣を遺して「息子が十五歳になったら返してやれ」と書いた。その後、娘は剣を渡さなかった。息子は郡の役所に訴え出た。太守の何武は、娘と夫を呼び、その直筆の書を調べてから、部下に言った。「この人は、娘の性格が強情で、婿もまた貪欲で卑しいため、息子を害されるのを恐れたのだ。また、幼い子が財産を得ても守りきれないことを考え、ひとまず娘に渡して、実は守らせたのだ。剣とは決断のためのものである。十五歳と限ったのは、息子の知恵と力が自立するのに十分になる頃を見積もり、また娘が必ず剣を返さないことを見越して、州や県に訴え出て判断を仰ぐことができるようにしたのだ。その深い思慮はこのとおりである」と。そして、財産をすべて取り上げて息子に与えた。さらに言った。「悪い娘と悪い婿は十年も衣食に困らなかった。それだけで幸いであろう」と。論じる者は大いに感服した。張詠が杭州の知事であったとき、杭州に富豪がいて、病気で死にかけていた。その子は三歳だった。富豪は婿に命じて家の財産を預かって管理させ、書を遺して「将来財産を分けるとき、十のうち三を子に、七を婿に与えよ」と書いた。その後、子は役所に訴えた。婿は父の書を持って役所に来た。張詠はそれを読み、酒を地にそそいで言った。「あなたの舅は知恵のある人だ。当時、子は幼かったので、子をあなたに託したのだ。そうでなければ、子はあなたの手にかかって死んでいただろう」と。そして命じて財産を三分して婿に与え、七を子に与えた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『宋名臣言行録』前集巻三・張詠公杭に在り。富民の病みて將に死せんとする有り。子方に三歳なり。乃ち其の婿に命じて其の貲を主らしめ、婿に與うるに遺書を以てして曰く、他日、財を分かたんと欲せば、即ち十の三を以て子に與え、七を婿に與えよと。子の時に長立し、果たして財を以て訟えを為す。婿其の書を持して府に詣り、元約の如くせんことを請う。公之を閲し、酒を以て地に酹ぎて曰く、汝の婦翁は智人なり。時に子幼きを以ての故に、此を以て汝に屬す。然らずんば、子は汝の手に死せんと。乃ち命じて其の財、三を以て婿に與え、子には七を與う。皆な泣謝して去る。公の明斷に服す。
-
『智囊』得情・某巡官富民の張老なる者有り。妻は一女を生み、子無し。某甲を家に贅す。久しくして、妾に子を生み、一飛と名づく。育てて四歳にして張老卒す。張の病む時、婿に謂いて曰く、「妾の子は任ずるに足らず。吾が財は当に汝が夫婦に畀うべし。爾は但だ彼の母子を養い、溝壑に死せざらしめば、即ち汝の陰徳なり」と。是に於いて券を出して書す、「張一非は吾が子に非ず。家財は尽く吾が婿に与う。外人は争奪するを得ず」と。婿は乃ち張の業を据有して疑わず。後に妾の子壮にして、官に告げて分かつことを求む。婿は券を以て官に呈す。遂に置いて問わず。他日、奉使者至り、妾の子復た訴う。婿は仍お前の如く赴き証す。奉使者は乃ち其の句読を更めて曰く、「張一非、吾が子なり。家財は尽く与う、吾が婿は外人、争奪するを得ず」と。曰く、「爾の父翁は明らかに『吾が婿は外人』と謂えり。爾は尚お敢えて其の業を有せんや。詭りて『飛』を『非』と書けるは、彼の幼きが爾の害を為すを慮ればなり」と。是に於いて断じて妾の子に給う。人は快と称す。
-
『智囊』威克・張詠・柳仲途張詠、未だ第せざる時、嘗て蕩陰に遊ぶ。県令は餽るに束帛と万銭を以てす。詠は即ち之を負いて帰る。或るひと謂う、「此れより去らば夜に遇わん。坡沢は深奥にして、人煙は疏闊なり。徒伴の偕に行くを俟つべし」と。詠曰く、「秋暮れぬ。親は老いて未だ衣を授けず」と。但だ一短剣を捽みて去る。行くこと三十余里、止だ一孤店あり、唯だ一翁と二子のみ。夜始めて分かち、其の子は呼びて曰く、「雞已に鳴けり。秀才は去るべし」と。詠は答えず、即ち戸を推す。詠は先に牀を以て左扉を拒ぎ、手を以て右扉を拒ぐ。其の子は既に呼びて応ぜざれば、即ち闥を排す。詠は忽ち退き立つ。其の子は身を閃かして入る。詠は其の首を斬りて之を斃す。少時にして次子又た至り、前の如くし、復た之を殺す。詠は剣を持ちて翁を視るに、翁は方に火を燎きて痒を爬く。復た其の首を断つ。老幼数人、並びに室に命を終え、乃ち火を縦つ。行くこと二十余里にして始めて曉け、後より来る者相い告げて曰く、「前の店、失火し、挙家焚かれたり」と。事は亦た奇なり、因りて之を附す。
-
『智囊』得情・安重榮・韓彥古安重栄は武人なりと雖も吏事に習う。初め成徳節度と為るとき、夫婦の其の子の不孝を訟うる者有り。重栄、剣を抜きて其の父に授け、自ら之を殺さしむ。其の父は泣きて忍びず。其の母は傍らより夫を面詬し、剣を奪いて其の子を逐う。之を問えば乃ち継母なり。重栄為に其の母を叱りて出ださしめ、後ろより射て之を殺す。韓彦古、平江府に知たり。士族の母にして其の夫の前妻の子を訟うる者有り。衣冠を以て扶掖して来たるに、乃ち其の嫡子なり。彦古曰く、「事体頗る重し、当に略ぼ之を懲戒すべし」と。母曰く、「業已に論訴せり。願わくは明公、法に拠りて罪を加えよ」と。彦古曰く、「若し然らば、必ず獄に送りて後に明らかにせん。汝は年老い、必ず対に理する能わず。姑く扶掖の子を留め、獄に就きて証せしめ、徐ろに決する所を議せん」と。母、良や久しくして云う、「乞う、文状を帰家に持ち帰り、其の悛めざるを俟ちて、即ち再び告理せん」と。是に由りて敢えて復た至らず。
-
『智囊』得情・黃霸・李崇潁川に富室有り。兄弟同居し、婦は皆懐妊す。長婦は胎傷ち、弟の婦は男を生む。長婦遂に之を盗み取る。争訟すること三年、州郡決する能わず。丞相黄霸、走卒をして児を抱かしめ、両婦を去ること各おの十歩にして、叱して自ら取らしむ。長婦は抱持すること甚だ急にして、児大いに啼叫す。弟の婦は傷を致さんことを恐れ、因りて放ち与え、而して心甚だ愴みを懐く。霸曰く、「此れは弟の子なり」と。責め問えば乃ち伏す。〔馮述評〕陳祥の恵州の争子を断ずる事、此れに類す。祥、恵州に知たり。郡民に二女の嫁ぎて比鄰たる者有り。姉は素より孕まず、一日、妹子を生み、而して姉の妾も適たま同時に女を産むも、詭りて子を産むと言う。夜、妹の傍舎を焼き、乱に乗じて其の児を窃みて以て帰る。妹之を覚り、往きて索むるも予えず、府に訴う。証無し。祥、佯りて自ら語りて曰く、「必ず此の児を殺さば事即ち了わらんのみ」と。乃ち甕水を堂下に置き、二婦を引き出して曰く、「吾、汝が為に此の児を溺れしめて以て汝が紛を解かん」と。密かに一卒に諭して謹みて児を視しめ、而して左右を叱して児を投ずる状を詐らしめ、亟かに二婦を逐いて出ださしむ。其の妹は失声して争い救わんとするも得ず、堂下に顛仆す。而して姉は竟に去りて顧みず。祥即ち児を断じて妹に帰し、姉・妾を杖つ。一郡称して神とす。寿春県の人苟泰に、子三歳なる有り。賊に遇いて亡失し、数年、所在を知らず。後に同県の趙奉伯の家に在るを見る。泰、状を以て告ぐ。各おの己が子と言い、並びに鄰の証有りて、郡県断ずる能わず。
-
『智囊』得情・孫寶・李惠・游顯沿孫宝、京兆尹と為る。饊を売る者有り、今の餅なり。都市に於いて一村民と相逢い、擊ちて落とし皆砕く。村民は五十枚を賠するを認め、売る者は三百枚と堅く称して、以て証する無し。公、別に一枚を買いて之を称らしめ、乃ち砕けたる者を都べて秤り、細かに分両を拆かしむれば、売る者乃ち服す。魏の李恵、雍州刺史と為る。薪を負う者、塩を負う者有り、同じく擔を弛めて樹陰に憩う。将に行かんとして、一つの羊皮を争い、各おの背に藉く物と言う。恵曰く、「此れ甚だ弁じ易し」と。乃ち羊皮を席上に置かしめ、杖を以て之を擊てば、塩屑出ず。薪を負う者乃ち罪に服す。江浙省の游平章顕沿は、政を為すこと清明なり。城中の銀店に一つの蒲団を失う者有り、後に隣家に於いて認め得たるも、隣は服せず、争い詈りて置かず。遊、馬を行らせて至り、其の故を問い、歎じて曰く、「一蒲団の直は幾何ぞ、二家の好みを失う。蒲団を杖つこと七十、棄てて可なり」と。杖つに及びて銀星を得たり。遂に其の隣を罪す。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る