智囊 / 得情・張舉・陳騏
張舉為句章令,有妻殺其夫,因放火燒舍,詐稱夫死於火。其弟訟之,舉乃取豬二口,一殺一活,積薪焚之,察死者口中無灰,活者口中有灰,因驗夫口,果無灰,以此鞫之,妻乃服罪。
新字:張舉為句章令,有妻殺其夫,因放火焼舎,詐称夫死於火。其弟訟之,舉乃取豬二口,一殺一活,積薪焚之,察死者口中無灰,活者口中有灰,因験夫口,果無灰,以此鞫之,妻乃服罪。
書き下し
張挙、句章の令と為る。妻の其の夫を殺し、因りて火を放って舎を焼き、詐りて夫は火に死せりと称する者有り。其の弟之を訟う。挙乃ち豚二口を取り、一は殺し一は活かし、薪を積みて焚く。死者の口中に灰無く、活者の口中に灰有るを察す。因りて夫の口を験するに、果たして灰無し。此を以て之を鞫するに、妻乃ち罪に服す。
現代語訳
張挙が句章の県令であったとき、妻が夫を殺し、火を放って家を焼き、夫は火事で死んだと偽った事件があった。夫の弟が訴え出た。張挙は豚を二頭用意し、一頭は殺し、一頭は生かしたまま薪を積んで焼いた。死んだ豚の口の中には灰がなく、生きていた豚の口の中には灰があることを確かめた。そこで夫の遺体の口を調べると、やはり灰がなかった。これをもとに取り調べると、妻は罪を認めた。
解説
この話は、仮説を実験で確かめる姿勢が、裁きの確かさを生むことを示しています。張挙は、火事で死んだのなら口に灰が入るはずだという疑問を、二頭の豚で実際に試して検証しました。推測だけで人を裁かず、再現できる形で確かめる姿勢は、現代の管理職にとって見習うべき姿勢です。トラブルの原因を考えるとき、思い込みや経験則だけで決めず、簡単でもよいから検証して確かめる習慣があれば、判断の精度は大きく上がります。
この章句が説くこと
豚二口口中無灰放火実験検証判断
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