智囊 / 得情・崔思競
崔思競,則天朝或告其再從兄宣謀反,付御史張行岌按之。告者先誘藏宣妾,而云:「妾將發其謀,宣乃殺之,投屍洛水。」行岌按,略無狀。則天怒,令重按,奏如初。則天怒曰:「崔宣若實曾殺妾,反狀自明矣。不獲妾,如何自雪?」行岌懼,逼思競訪妾。思競乃於中橋南北多置錢帛,募匿妾者。數日略無所聞,而其家每竊議事,則告者輒知之。思競揣家中有同謀者,乃佯謂宣妻曰:「須絹三百匹,雇刺客殺告者。」而侵晨伏於台前。宣家有館客,姓舒,婺州人,為宣家服役,宣委之同於子弟。須臾見其人至台,賂閽人以通於告者,告者遂稱,崔家欲刺我。」思競要館客於天津橋,罵曰:「無賴險獠,崔家破家,必引汝同謀,何路自雪!汝幸能出崔家妾,我遺汝五百縑,歸鄉足成百年之業;不然,亦殺汝必矣!」其人悔謝,乃引至告者之家,搜獲其妾,宣乃得免。〔馮評〕一個館客尚然,彼食客三千者何如哉?雖然,雞鳴狗盜,因時效用則有之,皆非甘為服役者也,故相士以廉恥為重。
新字:崔思競,則天朝或告其再従兄宣謀反,付御史張行岌按之。告者先誘蔵宣妾,而云:「妾将発其謀,宣乃殺之,投屍洛水。」行岌按,略無状。則天怒,令重按,奏如初。則天怒曰:「崔宣若実曽殺妾,反状自明矣。不獲妾,如何自雪?」行岌懼,逼思競訪妾。思競乃於中橋南北多置銭帛,募匿妾者。数日略無所聞,而其家毎窃議事,則告者輒知之。思競揣家中有同謀者,乃佯謂宣妻曰:「須絹三百匹,雇刺客殺告者。」而侵晨伏於台前。宣家有館客,姓舒,婺州人,為宣家服役,宣委之同於子弟。須臾見其人至台,賂閽人以通於告者,告者遂称,崔家欲刺我。」思競要館客於天津橋,罵曰:「無頼険獠,崔家破家,必引汝同謀,何路自雪!汝幸能出崔家妾,我遺汝五百縑,帰郷足成百年之業;不然,亦殺汝必矣!」其人悔謝,乃引至告者之家,捜獲其妾,宣乃得免。〔馮評〕一個館客尚然,彼食客三千者何如哉?雖然,鶏鳴狗盗,因時効用則有之,皆非甘為服役者也,故相士以廉恥為重。
書き下し
崔思競、則天の朝に、或いは其の再従兄宣の謀反を告ぐ。御史張行岌に付して之を按ぜしむ。告者は先に宣の妾を誘いて藏し、而して云う、「妾、将に其の謀を発せんとす。宣乃ち之を殺し、屍を洛水に投ず」と。行岌按ずるに略ぼ状無し。則天怒り、重ねて按ぜしむるも、奏すること初めの如し。則天怒りて曰く、「崔宣、若し実に曾て妾を殺さば、反状自ら明らかなり。妾を獲ずんば、如何ぞ自ら雪がん」と。行岌懼れ、思競に逼りて妾を訪ねしむ。思競乃ち中橋の南北に於いて多く銭帛を置き、妾を匿す者を募る。数日にして略ぼ聞く所無く、而も其の家の毎に竊かに議事すれば、告者輒ち之を知る。思競、家中に同謀者有るを揣り、乃ち佯りて宣の妻に謂いて曰く、「絹三百匹を須いて、刺客を雇いて告者を殺さん」と。而して侵晨に台前に伏す。宣の家に館客有り、姓は舒、婺州の人、宣の家の為に服役し、宣は之に委ねて子弟に同じくす。須臾にして其の人の台に至るを見る。閽人に賂いて以て告者に通ず。告者遂に称す、「崔家、我を刺さんと欲す」と。思競、館客を天津橋に要えて罵りて曰く、「無頼の険獠め、崔家の家破れば、必ず汝を引きて同謀とせん。何の路にか自ら雪がん。汝、幸いに能く崔家の妾を出ださば、我汝に五百縑を遺らん。郷に帰りて百年の業を足すに足る。然らずんば、亦た必ず汝を殺さん」と。其の人悔い謝し、乃ち引きて告者の家に至り、其の妾を搜獲す。宣乃ち免るるを得たり。〔馮評〕一個の館客すら尚お然り。彼の食客三千なる者は何如ぞや。然りと雖も、鶏鳴狗盗は、時に因りて効用すること則ち有れども、皆な甘んじて服役する者に非ざるなり。故に士を相するは廉恥を以て重しと為す。
現代語訳
崔思競が生きた則天武后の時代、ある者が崔思競の再従兄にあたる崔宣の謀反を告げた。御史の張行岌が取り調べにあたった。告発者はあらかじめ崔宣の妾を誘い出して隠し、こう言った。「妾は謀を告げようとしましたが、崔宣が殺して屍を洛水に投げました」と。張行岌が調べても証拠はほとんどなかった。則天武后は怒り、やり直させたが、報告は初めと同じだった。則天は怒って言った。「崔宣がもし本当に妾を殺したのなら、謀反は明らかである。妾が見つからなければ、どうやって身の潔白を示すのか」と。張行岌は恐れ、崔思競に迫って妾を探させた。崔思競は中橋の南北にたくさんの金品を置き、妾をかくまう者を募った。数日たっても何の知らせもなく、しかも家の中で内密の相談をするたびに告発者はすぐそれを知っていた。崔思競は家の中に内通者がいると推察し、偽って崔宣の妻に言った。「絹三百匹がいる。刺客を雇って告発者を殺そう」と。そして夜明けに御史台の前に身を潜めた。崔宣の家には舒という婺州出身の居候がおり、家の用を務め、崔宣は子弟同様に任せていた。やがてその男が台に来て、門番に賄賂を渡して告発者に取り次いだ。告発者は「崔家が私を刺そうとしている」と訴え出た。崔思競は舒を天津橋で待ち受け、罵った。「ろくでなしの悪党め。崔家が破れれば、必ずお前を共謀者として引き出す。どうやって潔白を示すのか。お前が崔家の妾を出せば、五百縑の絹をやる。故郷に帰れば一生暮らせる元手になる。さもなくば、必ずお前を殺す」と。男は悔いて謝り、告発者の家に案内し、妾を探し出した。崔宣は罪を免れた。〔馮夢龍の評〕一人の居候でさえこうである。かの食客三千人を抱えた者たちはどうなのか。とはいえ、鶏の鳴き声や犬の盗みの芸も時に役立つことはあっても、彼らは進んで人に仕える者ではない。だから士を見るには、恥を知る心を重んじる。
解説
この章句が説くこと
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