戦国策 / 魏氏惡昭奚恤於楚王
魏氏惡昭奚恤於楚王,楚王告昭子。昭子曰:「臣朝夕以事聽命,而魏入吾君臣之間,臣大懼。臣非畏魏也!夫泄吾君臣之交,而天下信之,是其為人也近苦矣。夫苟不難為之外,豈忘為之內乎?臣之得罪無日矣。」王曰:「寡人知之,大夫何患?」
新字:魏氏悪昭奚恤於楚王,楚王告昭子。昭子曰:「臣朝夕以事聴命,而魏入吾君臣之間,臣大懼。臣非畏魏也!夫泄吾君臣之交,而天下信之,是其為人也近苦矣。夫苟不難為之外,豈忘為之內乎?臣之得罪無日矣。」王曰:「寡人知之,大夫何患?」
書き下し
魏氏、昭奚恤を楚王に悪しざまに言う。楚王、昭子に告ぐ。昭子曰わく、「臣、朝夕命を聴くを以て事とす。而るに魏、吾が君臣の間に入る、臣大いに懼る。臣、魏を畏るるに非ざるなり。夫れ吾が君臣の交わりを泄らして、天下之を信ぜば、是れ其の人と為り近く苦しからん。夫れ苟くも之を外に為すに難からずんば、豈に之を内に為すを忘れんや。臣の罪を得ること日無からん。」王曰わく、「寡人之を知る、大夫何をか患えん。」
現代語訳
魏の人々が楚王に昭奚恤を讒言した。楚王はこのことを昭子(昭奚恤)に告げた。昭子は言った。「私は朝も夕も王のご命令を承ることをつとめとしております。それなのに魏が私と王との間柄に割り込んでくるとは、私は大いに恐れております。魏を恐れているのではありません。私と王との間柄の秘め事を漏らし、それを天下が信じてしまうようであれば、それを行った者の人柄はよほど陰険なものでしょう。外に対してそうしたことを平気で行える者が、どうして内々でも同じことをしないと言えましょうか。私が罪に問われる日も遠くはないでしょう。」王は言った。「私はそのことをよく分かっている。大夫よ、何を心配することがあろうか。」
解説
魏の勢力が昭奚恤を讒言したことを王から知らされた昭奚恤が、「魏を恐れているのではなく、君臣の内密な話が外部に漏れ、それが信じられてしまうことを恐れている」と述べた話です。情報が漏れる経路そのものに危険の本質があるという分析は鋭く、王もこれに理解を示しています。讒言の内容そのものより、なぜ、どこから情報が漏れたのかを問う姿勢は、現代の組織における情報管理やリスク対応にも通じます。疑心暗鬼に陥らず、事の本質を冷静に見極める昭奚恤の態度は、信頼関係を保つ交渉術の一例といえるでしょう。
この章句が説くこと
昭奚恤讒言情報漏洩君臣関係楚
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牧民忠告・聽訟健訟(けんしょう)の者理或いは勝たざれば、則ち往往にして其の敵嘗て官長を謗(そし)ると誣(し)う。之を聴く者当(まさ)に心を平らかにし気を易(やわ)らげ、謗言(ぼうげん)を事外(じがい)に置き、惟(た)だ其の実を核(ただ)して之を遣(や)るべし、庶(こいねが)わくは奸民(かんみん)の計中(けいちゅう)に堕(お)ちざらんことを。