戦国策 / 秦大國
秦,大國也。韓,小國也。韓甚疏秦。然而見親秦,計之,非金無以也,故賣美人。美人之賈貴,諸侯不能買,故秦買之三千金。韓因以其金事秦,秦反得其金與韓之美人。韓之美人因言於秦曰:「韓甚疏秦。」從是觀之,韓亡美人與金,其疏秦乃始益明。故客有說韓者曰:「不如止淫用,以是為金以事秦,是金必行,而韓之疏秦不明。美人知內行者也,故善為計者,不見內行。」
新字:秦,大国也。韓,小国也。韓甚疏秦。然而見親秦,計之,非金無以也,故売美人。美人之賈貴,諸侯不能買,故秦買之三千金。韓因以其金事秦,秦反得其金与韓之美人。韓之美人因言於秦曰:「韓甚疏秦。」従是観之,韓亡美人与金,其疏秦乃始益明。故客有説韓者曰:「不如止淫用,以是為金以事秦,是金必行,而韓之疏秦不明。美人知内行者也,故善為計者,不見内行。」
書き下し
秦は大國なり。韓は小國なり。韓秦に甚だ疏し。然れども秦に親しまるるを見んとするに、之を計るに、金に非ざれば以て無し、故に美人を賣る。美人の賈貴くして、諸侯買う能わず、故に秦之を買うに三千金を以てす。韓因りて其の金を以て秦に事う、秦反りて其の金と韓の美人とを得たり。韓の美人因りて秦に言いて曰く、「韓秦に甚だ疏し。」是に從いて之を觀れば、韓美人と金とを亡いて、其の秦に疏きこと乃ち始めて益々明らかなり。故に客に韓に說く者有りて曰く、「淫用を止め、是を以て金と為して以て秦に事うるに如かず、是れ金必ず行われて、韓の秦に疏きこと明らかならず。美人は內行を知る者なり、故に善く計を為す者は、內行を見わさず。」
現代語訳
秦は大国であり、韓は小国である。韓は秦とは実のところ疎遠な関係にあった。それでも秦に親しく思われたいと考え、方策を練ったところ、金がなければどうしようもないということで、美女を売却して資金を得た。その美女はたいへん高値であったため、他の諸侯には買えず、結局秦がこれを三千金で買い取った。韓はその金を元手に秦に仕えようとしたが、結果として秦はその金と韓の美女の両方を手に入れることになった。しかも韓から差し出された美女は、秦に対して「韓は秦にはなはだ疎遠でございます」と告げ口をした。これを見れば分かる通り、韓は美女と金の両方を失ったうえに、韓が秦に疎遠であるという事実はかえって一層明らかになってしまったのである。そこで、韓に説いたある客はこう言った。「無駄な出費(美女の献上のような贅沢な手段)をやめ、それに使うはずだった分をそのまま金として秦に贈るほうがよいでしょう。そうすれば金は確実に届き、しかも韓が秦に疎遠であるという内情が露見することはありません。美女というものは内情を知る者です。だからこそ、計略に長けた者は、内情を知る者を相手に差し出したりはしないのです。」
解説

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