説苑 / 指武
田成子常與宰我爭,宰我夜伏卒,將以攻田成子,令於卒中曰:「不見旌節毋起。」鴟夷子皮聞之,告田成子。田成子因為旌節以起宰我之卒以攻之,遂殘之也。
新字:田成子常与宰我争,宰我夜伏卒,将以攻田成子,令於卒中曰:「不見旌節毋起。」鴟夷子皮聞之,告田成子。田成子因為旌節以起宰我之卒以攻之,遂残之也。
書き下し
田成子常宰我と爭う、宰我夜卒を伏せ、將に以て田成子を攻めんとし、卒中に令して曰く、「旌節を見ざれば起つこと毋かれ」と。鴟夷子皮之を聞き、田成子に告ぐ。田成子因りて旌節を為して以て宰我の卒を起こし、以て之を攻め、遂に之を殘う。
現代語訳
田成子常が宰我と対立した。宰我は夜、伏兵を配置し、田成子を攻撃しようとして、兵士たちに「旌節(将軍の証となる旗印)を見なければ立ち上がるな」と命じた。鴟夷子皮がこれを聞きつけ、田成子に告げた。田成子はそこで宰我の旌節を偽造し、それによって宰我の伏兵を立たせて、これを攻撃し、ついに宰我を滅ぼした。
解説
宰我は伏兵という周到な計画を立てながら、その発動条件を旌節を見るという単純な合図一つに絞ったことが命取りとなった。田成子側がこの合図の存在を察知し、偽の旌節を用意して逆に敵の伏兵を自ら誘い出し攻撃するという逆転劇を演じている。どれほど緻密な計画でも、その実行の鍵となる合図や仕組みが漏れ、しかもそれが偽装可能なものであれば、計画全体が敵に利用される凶器に変わりかねないという教訓は、情報管理や意思決定の仕組み作りにおける根本的な脆弱性への警鐘となる。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
田成子宰我情報漏洩
関連する章句
-
史記 韓長孺列伝其の明年、則ち元光元年、鴈門の馬邑の豪聶翁壹、大行王恢に因りて上に言ひて曰く、「匈奴初めて和親し、辺を親信す。誘ふに利を以てすべし」と。陰かに聶翁壹をして間を為さしめ、亡げて匈奴に入り、単于に謂ひて曰く、「吾能く馬邑の令丞吏を斬り、城を以て降らん。財物尽く得べし」と。単于愛して之を信じ、以て然りと為し、聶翁壹に許す。聶翁壹乃ち還り、詐りて死罪の囚を斬り、其の頭を馬邑の城に県け、単于の使者に示して信と為す。曰く、「馬邑の長吏已に死せり。急に来るべし」と。是に於て単于塞を穿ちて十余万騎を将ゐ、武州の塞に入る。是の時に当たり、漢は車騎材官二十余万を伏せ、馬邑の旁の谷中に匿す。衛尉李広驍騎将軍と為り、太僕公孫賀軽車将軍と為り、大行王恢将屯将軍と為り、太中大夫李息材官将軍と為る。御史大夫韓安国護軍将軍と為り、諸将皆護軍に属す。約すらく、単于馬邑に入らば漢の兵縦発せんと。王恢・李息・李広は別に代より主として其の輜重を撃たんとす。是に於て単于漢の長城武州の塞に入る。未だ馬邑に至らざること百余里、行きて掠鹵するに、徒だ畜の野に牧せらるるを見て、一人を見ず。単于之を怪しみ、烽燧を攻めて、武州の尉史を得たり。尉史を刺問せんと欲す。尉史曰く、「漢の兵数十万馬邑の下に伏す」と。単于顧みて左右に謂ひて曰く、「幾ど漢の売る所と為らんとす」と。乃ち兵を引きて還る。塞を出でて、曰く、「吾尉史を得たるは、乃ち天なり」と。尉史に命じて「天王」と為す。塞下に伝へ言ふ、単于已に引き去ると。漢の兵追ひて塞に至り、及ばざるを度りて、即ち罷む。王恢等の兵三万、単于の漢と合はざるを聞き、往きて輜重を撃たば、必ず単于の精兵と戦はん、漢の兵勢必ず敗れんと度り、則ち便宜を以て兵を罷む。皆功無し。天子王恢の出でて単于の輜重を撃たずして、擅に兵を引きて罷むるを怒る。
-
『韓非子』亡徵第十五漏泄して蔵すること無く、周密なること能はずして群臣の語を通ずる者は、亡ぶべきなり。
-
牧民忠告・御下諸吏曹(しょりそう)をして縦(ほしいまま)に民間に游(あそ)び、富室(ふしつ)に交わりを納(い)れ、以て官事を洩(も)らし、以て訟端(しょうたん)を来(まね)き、以て幸門(こうもん)を啓(ひら)かしむる勿(な)かれ。暇(いとま)あれば則ち召集して経(けい)を講じ律を読ましめ、多方(たほう)に之を羈縻(きび)すれば、則ち自然に横(ほしいまま)ならず。
-
戦国策・秦大國秦は大國なり。韓は小國なり。韓秦に甚だ疏し。然れども秦に親しまるるを見んとするに、之を計るに、金に非ざれば以て無し、故に美人を賣る。美人の賈貴くして、諸侯買う能わず、故に秦之を買うに三千金を以てす。韓因りて其の金を以て秦に事う、秦反りて其の金と韓の美人とを得たり。韓の美人因りて秦に言いて曰く、「韓秦に甚だ疏し。」是に從いて之を觀れば、韓美人と金とを亡いて、其の秦に疏きこと乃ち始めて益々明らかなり。故に客に韓に說く者有りて曰く、「淫用を止め、是を以て金と為して以て秦に事うるに如かず、是れ金必ず行われて、韓の秦に疏きこと明らかならず。美人は內行を知る者なり、故に善く計を為す者は、內行を見わさず。」
-
戦国策・魏氏惡昭奚恤於楚王魏氏、昭奚恤を楚王に悪しざまに言う。楚王、昭子に告ぐ。昭子曰わく、「臣、朝夕命を聴くを以て事とす。而るに魏、吾が君臣の間に入る、臣大いに懼る。臣、魏を畏るるに非ざるなり。夫れ吾が君臣の交わりを泄らして、天下之を信ぜば、是れ其の人と為り近く苦しからん。夫れ苟くも之を外に為すに難からずんば、豈に之を内に為すを忘れんや。臣の罪を得ること日無からん。」王曰わく、「寡人之を知る、大夫何をか患えん。」
-
『智囊』得情・崔思競崔思競、則天の朝に、或いは其の再従兄宣の謀反を告ぐ。御史張行岌に付して之を按ぜしむ。告者は先に宣の妾を誘いて藏し、而して云う、「妾、将に其の謀を発せんとす。宣乃ち之を殺し、屍を洛水に投ず」と。行岌按ずるに略ぼ状無し。則天怒り、重ねて按ぜしむるも、奏すること初めの如し。則天怒りて曰く、「崔宣、若し実に曾て妾を殺さば、反状自ら明らかなり。妾を獲ずんば、如何ぞ自ら雪がん」と。行岌懼れ、思競に逼りて妾を訪ねしむ。思競乃ち中橋の南北に於いて多く銭帛を置き、妾を匿す者を募る。数日にして略ぼ聞く所無く、而も其の家の毎に竊かに議事すれば、告者輒ち之を知る。思競、家中に同謀者有るを揣り、乃ち佯りて宣の妻に謂いて曰く、「絹三百匹を須いて、刺客を雇いて告者を殺さん」と。而して侵晨に台前に伏す。宣の家に館客有り、姓は舒、婺州の人、宣の家の為に服役し、宣は之に委ねて子弟に同じくす。須臾にして其の人の台に至るを見る。閽人に賂いて以て告者に通ず。告者遂に称す、「崔家、我を刺さんと欲す」と。思競、館客を天津橋に要えて罵りて曰く、「無頼の険獠め、崔家の家破れば、必ず汝を引きて同謀とせん。何の路にか自ら雪がん。汝、幸いに能く崔家の妾を出ださば、我汝に五百縑を遺らん。郷に帰りて百年の業を足すに足る。然らずんば、亦た必ず汝を殺さん」と。其の人悔い謝し、乃ち引きて告者の家に至り、其の妾を搜獲す。宣乃ち免るるを得たり。〔馮評〕一個の館客すら尚お然り。彼の食客三千なる者は何如ぞや。然りと雖も、鶏鳴狗盗は、時に因りて効用すること則ち有れども、皆な甘んじて服役する者に非ざるなり。故に士を相するは廉恥を以て重しと為す。