智囊 / 經務・顧玠
顧玠〈海槎餘錄〉云:儋耳七坊黎峒,山水險惡,其俗閑習弓矢,好戰,峒中多可耕之地,額糧八百餘石。弘治末,困於徵求,土官符蚺蛇者恃勇為寇,屢敗官軍。後蚺蛇中箭死,餘黨招撫訖,嘉靖初,從姪符崇仁,符文龍爭立,起兵仇殺,因而扇動諸黎,陰助作逆,余適拜官蒞其境,士民蹙額道其故。余曰:「可徐撫也。」未幾,崇仁、文龍弟男相繼率所部來見,勞遣之。余知二人已獲繫獄,故發問曰:「崇仁、文龍何不親至?」眾戚然曰:「上司收獄正嚴。」余答曰:「小事,行將保回安生。」眾欣然感謝。郡士民聞之駭然,曰:「此輩寬假,即魚肉我民矣!」余不答,既而閱獄,縱繫囚二百人,州人咸賞我寬大之度。黎眾見之,盡闔首祝天曰:「我輩冤業當散矣。」余隨查該峒糧,俱無追納,因黎眾告乞保主,余諭之曰:「事當徐徐,此番先保各從完糧,次保其主何如?」眾曰:「諾。」
新字:顧玠〈海槎余録〉云:儋耳七坊黎峒,山水険悪,其俗閑習弓矢,好戦,峒中多可耕之地,額糧八百余石。弘治末,困於徴求,土官符蚺蛇者恃勇為寇,屡敗官軍。後蚺蛇中箭死,余党招撫訖,嘉靖初,従姪符崇仁,符文竜争立,起兵仇殺,因而扇動諸黎,陰助作逆,余適拝官莅其境,士民蹙額道其故。余曰:「可徐撫也。」未幾,崇仁、文竜弟男相継率所部来見,労遣之。余知二人已獲繋獄,故発問曰:「崇仁、文竜何不親至?」衆戚然曰:「上司収獄正厳。」余答曰:「小事,行将保回安生。」衆欣然感謝。郡士民聞之駭然,曰:「此輩寛仮,即魚肉我民矣!」余不答,既而閲獄,縦繋囚二百人,州人咸賞我寛大之度。黎衆見之,尽闔首祝天曰:「我輩冤業当散矣。」余随查該峒糧,倶無追納,因黎衆告乞保主,余諭之曰:「事当徐徐,此番先保各従完糧,次保其主何如?」衆曰:「諾。」
書き下し
顧玠『海槎余録』に云う、儋耳の七坊の黎峒は、山水険悪にして、其の俗は弓矢を閑習し、戦を好む。峒中に耕す可きの地多く、額糧は八百余石なり。弘治の末、徴求に困しみ、土官の符蚺蛇なる者は勇を恃みて寇を為し、屡しば官軍を敗る。後に蚺蛇は箭に中たりて死し、余党は招撫し訖わる。嘉靖の初め、従姪の符崇仁、符文龍は立つるを争い、兵を起こして仇殺し、因りて諸黎を扇動し、陰かに助けて逆を作す。余は適たま官に拝せられて其の境に蒞み、士民は額を蹙めて其の故を道う。余曰く、「徐に撫す可し」と。未だ幾ばくならずして、崇仁、文龍の弟男は相い継いで部を率いて来たり見ゆ。之を労遣す。余は二人の已に獲られて獄に繋がるるを知りて、故に問を発して曰く、「崇仁、文龍は何ぞ親ら至らざる」と。衆は戚然として曰く、「上司の収獄は正に厳し」と。余は答えて曰く、「小事なり、行く行く保して回して安生せしめん」と。衆は欣然として感謝す。郡の士民は之を聞きて駭然とし、曰く、「此の輩を寛仮せば、即ち我が民を魚肉にせん」と。余は答えず。既にして獄を閲し、繋囚二百人を縦つ。州人は咸な我が寛大の度を賞す。黎衆は之を見て、尽く首を闔せて天に祝りて曰く、「我が輩の冤業は当に散ずべし」と。余は随いて該峒の糧を査するに、俱に追納する無し。黎衆は保主を乞うに因り、余は之に諭して曰く、「事は当に徐徐たるべし。此の番は先ず各おの保して従いて糧を完せしめ、次に其の主を保せば何如」と。衆曰く、「諾」と。
現代語訳
顧玠の『海槎余録』にこうある。儋耳の七坊の黎族の洞は、山河が険しく、風俗は弓矢に習熟して戦いを好んだ。洞の中には耕せる土地が多く、規定の租税は八百余石であった。弘治の末、取り立てに苦しみ、土官の符蚺蛇という者は勇を恃んで賊となり、しばしば官軍を破った。のちに蚺蛇は矢に当たって死に、残党は招き慰撫して終わった。嘉靖の初め、その従姪の符崇仁と符文龍が後継の座を争い、兵を起こして殺し合い、さらに諸黎をあおり立て、ひそかに助けて反乱を起こした。私はちょうど官に任ぜられてその地に赴き、士民は眉をひそめてその事情を語った。私は「ゆっくり慰撫すればよい」と言った。まもなく、崇仁と文龍の弟や子たちが次々と部下を率いて来て拝謁した。私は彼らをねぎらって帰した。私は二人がすでに捕えられて獄にいることを知っていたので、わざと尋ねた。「崇仁と文龍はなぜ自分で来ないのか。」人々は悲しそうに言った。「上の役所での収監がたいへん厳しいのです。」私は答えた。「小さなことだ、やがて保証して帰して安らかに暮らせるようにしよう。」人々は喜んで感謝した。郡の士民はこれを聞いて驚き、言った。「こんな連中を大目に見れば、わが民を食い物にするだろう。」私は答えなかった。まもなく獄を見て回り、囚人二百人を釈放した。州の人々はみな私の寛大さをほめた。黎の人々はこれを見て、みなひれ伏して天に祈って言った。「われらの恨みの業は、もう消えるだろう。」私はそのまま洞の租税を調べたが、いずれも追って納めさせることはなかった。黎の人々が保証人を立てることを願い出たので、私は諭して言った。「事はゆっくり進めるべきだ。今回はまず各人が保証されて租税を納めさせ、次にその首領を保証してはどうか。」人々は「承知しました」と言った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『智囊』經務・顧玠此より前、土官は每石の糧に銀八九銭を徴す。余は其の心を収めんと欲し、先ず上司に申達し、該峒の黎糧の品を将て搭見の徴無きと徴有るとを、均しく京価二銭五分に照らして徴収す。各黎に示すに俱に親身もて赴き納めしめ、其の来帰に因りて、人人撫諭し、其の名氏を籍し、十甲に編置す。糧を辦ずるに排年を除くの外、每排に別に知数、協辦、小甲各おの二名を立て、又た総置、総甲、黎老各おの二名、共に百余人有り、則ち掌兵の頭目は各おの事とする所有りて、自ら専らにすることを楽しみ、其の主を顧みず。日久しくして寢く有司に向かう。余は密かに其の情を察識して、却って諸首悪五十余名を将て、省獄二千里の外に解し、相い継いで牢死し、大患は潜かに消ゆ。後に落窯峒の黎、風を聞きて化に向かい、亦た版籍に編まんことを告げ、糧差訖わり、州倉に積存し、徴する糧斛を聴きて本州官軍の俸糧に准じて敷散し、地方は平安なり。
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『智囊』通簡・蒲宗孟・吳育賊は梁山濼に依り、県官に長梯を用いて蒲葦の間を窺う者有り。蒲恭敏は鄆州に知たり、令を下して禁ず、「小舟に乗りて濼中に出入りするを得る毋れ」と。賊は既に食を絶たれ、遂に散じ去る。呉正粛公は蔡州に知たり。蔡は故より盗多し。公は令に按じて民の為に伍保を立て、其の法を簡にす。民は之を便安とし、盗賊は為に息む。京師に妖賊の确山に聚まると告ぐる者有り、上は中貴人を遣わして馳せて蔡に至らしめ、名を以て捕らうる者十人あり。使者は兵を得て往きて取らんと欲す。公曰く、「使者は兵を借りて威を立てんと欲するか、抑も妖人を取りて以て還報せんとするか」と。使者曰く、「妖人を得んと欲するのみ」と。公曰く、「吾れ此に在り、不敏と雖も、然れども千人を境内に聚むるを、安んぞ知らざるを得ん。今、兵を以て往かば、是れ其の乱を為すを趣かすなり。此れ郷人の相い聚まりて仏事を為し、以て銭財を利するに過ぎず。手ずから召せば即ち致すべし」と。乃ち使者を館し、日々与に酒を飲み、密かに人を遣わして十人を召せば、皆な至る。京師に送りて鞫実し、告ぐる者は誣を以て罪を得たり。
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『智囊』通簡・高拱隆慶中、貴州の土官安国亨、安智は各おの兵を起こして仇殺し、撫臣は叛逆を以て聞す。兵を動かして征剿するも獲ず、且に乱を成さんとす。新撫の阮文中将に行かんとして、高相拱に謁す。拱語りて曰く、「安国亨は本と群奸に撥置され、安信を仇殺し、信の母疏窮、兄の安智に恨みを懐き報復せしむるに致る。其の交悪互訐は総て仇口より出で、憑り難し。撫台は偏えに智を信ず、故に国亨は疑い畏れ、拘提に服せずして、遂に奏するに叛逆を以てす。夫れ叛逆とは、敢えて朝廷を犯すを謂う。今、夷族が自ら相仇殺するは、朝廷に於いて何ぞ与らん。縱い拘提に出でずとも、亦た只だ違拗するのみ。乃ち遂に奏して軽兵もて掩殺せば、夷民は肯えて手を束ね戮に就かんや。各おの殘傷有りと雖も、亦た未だ国亨が兵を領し拒戦するの跡有るを聞かず。而るに必ず叛逆を以て之を主とするは、甚だし。人臣の務めて欺蔽を為す者は、地方に事有れば、匿して以て聞せず。乃ち事を生じ功を悻る者は、又た小を以て大と為し、虚を以て実と為す。始めは甚だ之を言い、以て功を邀むるの本と為し、終には之を激成し、以て己の前説を実にす、是れ豈に国を為すの忠ならんや。君は廉るに其の実を得ば、宜しく虚心平気にして之を処し、其の叛逆の名を去り、止だ其の仇殺と違拗の罪を正せば、則ち彼は必ず身を出して理を聴かん。一たび身を出して理を聴けば、不叛の情は自ずから明らかなり。乃ち是れ止だ本罪に坐するのみにして、当に服せざる無かるべし。斯れ国法の正、天理の公なり。今の仕者は、毎に前官の事務に増加有るを好み、以て丰采を見す。此れ乃ち小丈夫の事にして、有道の為す所に非ず。君其れ勉めよ」と。阮は至りて貴く密かに訪い、果たして拱の言の如し。
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『智囊』靈變・顧蚧・耿定力顧蚧は儋耳の郡守と為る。文昌の海面に、五月に当たり大風に飄わされて至る船隻あり。何れの国の人なるかを知らず、内に金絲鸚鵡、墨女、金条等の件を載す。地方は金を分かち女を坑し、ただ鸚鵡を県に送り、鎮巡衙門に申呈す。公文は鎮守府に駁行され、仍お人を差わして督責す。原地方は畏れ避け、相い率いて海に飄わんと欲す。其の事を主る者は之が謀を為す莫し。蚧は適々郡に抵る。咸な来たりて計を問う。蚧は隨いて原文を請いて読み、「飄来船」を「覆来船」に改めて申し、遂に止む。益して民は喬蠢にして、小眚は累累として大辟に至る。耿恭簡公は守と為り、多く平反する所あり。男子の婦死して論じて抵する者あり。牘に曰く、「婦、夫を獣畜と詈る」と。庭にて之を訊するに、則ち曰く、「儂を獣畜の生める所と詈るのみ」と。遂に「所生」の二字を牘に援続して、筆を投じて之を出だす。蓋し婦、姑嫜を詈るは、律として故より死に応ずればなり。〔評〕只だ一字を換うるのみにして、便ち許多の事を省く。只だ二字を添うるのみにして、便ち一性命を活かす。是の故に一字の貧しきこと有り、亦た一字の師有り。
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『智囊』通簡・吳惠呉恵は桂林府知府と為る。適々義寧の洞蛮、湘苗と結びて乱を為す。監司は方に征進を議し、朝に請う。恵は亟ぎ白して曰く、「義寧は吾が属地なり。請う、自ら招撫せん。従わずして之を征するも未だ晩からず」と。乃ち十余人を従え、肩輿して洞に入る。洞は絶険にして、山石攅起して剣戟の如く、華人は足を置く能わず、傜人は則ち騰跣して上下すること飛ぶが若し。桂林の太守到ると聞き、魁に啓し、入るを得たり。恵は告げて曰く、「吾は若が属の父母なり、来りて相い活かさんと欲す、他無し」と。衆は唯唯たり。因りて順逆を反覆して陳ぶ。其の魁は感泣し、恵を留むること数日、歴く屯堡の形勢を観せしむ。数千人衛りて境を出で、羊豕を境上に宰す。恵曰く、「善く之を為せ、後悔を遺す無かれ」と。数千人は皆な刀を投じて拝し、反せざるを誓う。帰りて監司に報じ、遂に兵を罷む。明年、武岡州に盗起こり、義寧の洞主を推して帥と為すと宣言す。監司は咸な恵を罪す。恵曰く、「郡の主は撫、監司の主は征なり。蛮夷の反覆は、吾れ其の咎を任ぜん」と。復た人を遣わして義寧に至らしむるに、義寧の傜は山頂より恵の使いを覘い得て、具に武岡の冤を明らかにす。監司は大いに慙じ、武岡の盗も因りて振わず。義寧の人は恵を徳として父母の如くし、恵の桂林に在るに迄るまで、敢えて境上に騒窃する者無し。
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『智囊』迎刃・沈演万暦年間、女真の虜人阿卜害ら一百七員、進貢して京に到る。内の工孛羅、小廝の哈額、真太の三名を首と為し、通州の駅逓に在りて横肆に需索す。州司以て聞す。時に沈演は礼部の客司に在り、議して謂う、「本は東夷の長にして、恭順なること年有り。若し一概に議して革むれば、恐らくは遠人の向化の心に孤かん。宜しく仍お各向の年例の正額の賞賜を将て、内府の各衙門に行移して関出して給散し、以て天朝の曠蕩の恩を彰らかにすべし。止だ工孛羅ら三名の額賞を革め、遼東巡撫に行文して、辺に在る酋長に執付し、騒擾の故を諭し、治むるに虜法を以てし、本人が認罪輸服するを俟ちて、方めて補給を准すべし」と。沈何山云う、客司は古の典属国なり。郵人は虜に騒がされ、鈐束を望まざる能わざるも、然れども以て其の命を制する無し。初め工孛羅ら告げらるるに、諭して罰服せしむれど、驁として受けず。賞を与えて以て衆を安んじ、三人の賞を革めて以て法を行う。三人の頭目は、能く其の衆を使う者にして、且つ積猾なるも、然れども衆を離れれば亦た嘩する能わず、遂に甘んじて罰服す。此れ亦た騒擾を処するの一法なり。
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