智囊 / 經務・張居正
但在我制馭之策,自合如是耳。數十年無歲不掠,無地不入,豈皆以背盟之故乎?即將來背盟之禍,又豈有加於此者乎?議者獨以邊將不得搗巢,家丁不得趕馬,計私害而忘公利,遂失此機會。故僕以為不唯不忠,蓋亦不智甚矣。」已乃於文華殿面請詔行之,又以文皇帝封和寧、太平、賢義三王故事,揀付本兵,因區畫八策屬崇古。崇古既得札,遂許虜,條上封貢便宜,詔從之。俺答貢名馬三十,乃封俺答為順義王,餘各封賞有差,至今貢市不絕。板升諸道既除,舉朝皆喜。張江陵語督撫曰:「此時只宜付之不知,不必通意老酋,恐獻以為功,又費一番濫賞,且使反側者益堅事虜之心矣。此輩宜置之虜中,他日有用他處;不必招之來歸,歸亦無用。第時傳諭以銷兵務農,為中國藩蔽,勿生歹心;若有歹心,即傳語順義,縛汝獻功矣。然對虜使卻又云:『此輩背叛中華,我已置之度外,只看他耕田種穀,有犯法,生歹心,任汝殺之,不必來告。』以示無足輕重之意。」
新字:但在我制馭之策,自合如是耳。数十年無歳不掠,無地不入,豈皆以背盟之故乎?即将来背盟之禍,又豈有加於此者乎?議者独以辺将不得搗巣,家丁不得趕馬,計私害而忘公利,遂失此機会。故僕以為不唯不忠,蓋亦不智甚矣。」已乃於文華殿面請詔行之,又以文皇帝封和寧、太平、賢義三王故事,揀付本兵,因区画八策属崇古。崇古既得札,遂許虜,条上封貢便宜,詔従之。俺答貢名馬三十,乃封俺答為順義王,余各封賞有差,至今貢市不絶。板升諸道既除,舉朝皆喜。張江陵語督撫曰:「此時只宜付之不知,不必通意老酋,恐献以為功,又費一番濫賞,且使反側者益堅事虜之心矣。此輩宜置之虜中,他日有用他処;不必招之来帰,帰亦無用。第時伝諭以銷兵務農,為中国藩蔽,勿生歹心;若有歹心,即伝語順義,縛汝献功矣。然対虜使却又云:『此輩背叛中華,我已置之度外,只看他耕田種穀,有犯法,生歹心,任汝殺之,不必来告。』以示無足軽重之意。」
書き下し
但だ我が制馭の策に在りては、自ら合に是くの如くなるべきのみ。数十年、歳として掠めざる無く、地として入らざる無きは、豈に皆な盟に背くの故ならんや。即ち将来背盟の禍も、又た豈に此れに加うる有らんや。議者は独り辺将の巣を搗くを得ず、家丁の馬を趕うを得ざるを以て、私害を計りて公利を忘れ、遂に此の機会を失えり。故に僕は以為えらく、唯だ不忠のみならず、蓋し亦た不智甚だしと」と。已にして乃ち文華殿に於いて面請して之を詔行し、又た文皇帝の和寧、太平、賢義三王を封ぜし故事を以て、択びて本兵に付し、因りて八策を区画して崇古に属す。崇古は既に札を得て、遂に虜に許し、封貢の便宜を条上し、詔して之に従う。俺答は名馬三十を貢ぎ、乃ち俺答を封じて順義王と為し、余は各おの封賞に差有り、今に至るまで貢市絶えず。板升の諸道既に除かれ、挙朝皆な喜ぶ。張江陵は督撫に語りて曰く、「此の時只だ宜しく之を付して知らざるべし、必ずしも老酋に意を通ずるを要さず。恐らくは献じて以て功と為し、又た一番の濫賞を費し、且つ反側する者をして益ます虜に事うるの心を堅くせしめん。此の輩は宜しく虜中に置くべく、他日用うる有るは他処ならん。必ずしも招いて来帰せしめず、帰るも亦た用無し。第だ時に諭を伝えて以て兵を銷し農に務め、中国の藩蔽と為り、歹心を生ずる勿からしめよ。若し歹心有らば、即ち語を順義に伝えて、汝を縛りて功を献ぜんと。然れども虜使に対しては却って又た云う、『此の輩は中華に背叛す、我は已に度外に置く。只だ他の田を耕し穀を種うるを看るのみ、犯法し、歹心を生ずれば、汝の殺すに任す、来たりて告ぐるを必とせず』と。以て無足軽重の意を示せ」と。
現代語訳
ただ、われわれが敵を制御する策においては、もとよりこのようにするのが当然である。数十年、毎年略奪されなかった年はなく、入り込まれなかった土地はないが、それは何も盟約に背いたせいばかりではない。将来、盟約に背く禍があったとしても、これ以上のものがあろうか。議論する者は、ただ辺境の将が敵の巣を襲えなくなること、家丁が馬を追って略奪できなくなることだけを理由に、私的な損害を計って公の利益を忘れ、このためこの機会を失おうとしている。だから私は、ただ不忠なだけでなく、愚かさも甚だしいと考える。」まもなく文華殿で皇帝に直接願い出て、実行の詔を得た。また文皇帝(永楽帝)が和寧・太平・賢義の三王を封じた故事を選んで兵部尚書に渡し、八つの策を立てて王崇古に託した。崇古は書面を得ると、そのまま敵に許し、封貢の便宜を箇条書きにして上奏し、詔勅でこれに従った。アルタンは名馬三十頭を貢ぎ、そこでアルタンを順義王に封じ、他の者もそれぞれ封賞に差をつけ、今に至るまで貢市は絶えていない。板升の諸道がすでに除かれ、朝廷中がみな喜んだ。張江陵は総督・巡撫に言った。「この際はこれを知らないふりをしておくべきで、老酋に事情を伝える必要はない。おそらく彼は(裏切り者を)献上して手柄にしようとし、また一度の濫賞を費やすことになり、しかも揺れている者たちが敵に仕える心を一層固めてしまう。この連中は敵の地にいさせておくのがよく、将来使える所は別の場所であろう。招いて帰らせる必要はなく、帰ってきても使い道はない。ただ時折、兵を解いて農に励み、中国の防壁となり、悪い心を起こしてはならないと伝えよ。もし悪心があれば、順義王に伝えて、汝を縛って献上させると言え。ただし敵の使者には、こう言え。『この連中は中華に背いた者で、我はすでに度外視している。ただ彼らが田を耕し穀物を植えるのを見るだけで、法を犯し悪心を起こせば、お前たちが殺すにまかせる、来て報告するにも及ばない』と。そうして取るに足らない者だという意を示せ。」
解説
この章句が説くこと
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『智囊』經務・張居正俺答の孫の巴漢那吉は、其の奶公の阿力哥と、十余騎を率いて来降す。督撫は未だ以て聞せざるに、張江陵は已に先に之を知り、〔宰相は辺事に心を留めざれば、那ぞ先に知るを得んや〕書を王総督崇古に貽り、其の的否を査せしめ、往復して之を籌りて曰く、「此の事は関係甚だ重く、虜を制するの機は実に此に在り。頃ろ報を据るに、俺酋は辺に臨みて索要すと。正に恐る、彼棄てて取らざれば、則ち我は空質を抱きて怨みを虜に結ばんことを。今、其れ来たりて索むるは、我の利なり。第だ将士を戒励し、壁を堅くし野を清めて以て之を待ち、人をして好語を以て之を款せしめよ。彼は卑詞もて款を効し、或いは我が叛逆の趙全らの首を斬り、誓いて数年吾が塞を犯さずんば、乃ち天朝に奉聞して、礼を以て遣り帰す可し。但し聞くに老酋は辺に臨みて搶らず、又た明らかに其の孫を索めずと。此れ必ず趙全らの教うる所にして、吾が辺将を誘いて之を挑み以て質と為し、吾が間隙を伺いて其の備えざる所を掩わんとするなり。当に堡を並せて堅守し、軽々しく与に戦う勿れ。即ち彼示すに弱を以てし短を見すも、亦た之に乗ずる勿れ。多く間諜を行い、以て其の心を疑わしめ、或いは精奇の騎を遣りて他道に出で、其の巣穴を搗き、之をして野に掠むる所無からしめば、十日を出でずして、勢いは将に自ら遁れんとす。固より斬獲を以て功と為すを必とせざるなり。続いて巡撫の方金湖の人を差わし鮑崇徳が親しく老酋に見えし所を据るに云云とあり、其の言は未だ必ずしも皆な実ならず。
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『智囊』經務・張居正江陵は復た書を総督に移して曰く、「封貢の事は、乃ち虜を制し辺を安んずる大機大略なり。時人は狷嫉の心を以て、庸衆の議を持し、目前の害を計りて久遠の利を忘れ、遂に摇乱して之を阻壊せんと欲す。唯だ不忠なるのみならず、蓋し亦た不智甚だし。議者は和を講ずるを以て弱を示すと為し、馬市は釁を起こすと為すも、所謂和なる者は、漢の和親、宋の献納の如く、和を制する者は夷狄に在りて、中国に在らざるを知らず。故に賈誼は以て『倒懸』と為し、寇公は議を主ることを肯んぜず。今は則ち彼は臣と称して封を乞い、和を制する者は中国に在りて、夷狄に在らず。漢、宋に比ぶれば、万万侔しからず。昔年、奏して馬市を開くに至りては、彼は兵を擁して境に圧し、強を恃みて市を求め、款段駑罷を以て我が数倍の利を索め、市易未だ終わらざるに、遂に搶掠を行う。故に先帝は禁じて復た行わず。今は則ち其の入貢に因り、官は為に集市場を開き、辺民と貿易せしめ、其の期は或いは三日二日、遼の開原の事例の如きのみ。又た豈に馬市と同じく語る可けんや。桑土の防、戒備の慮に至りては、自ら吾が常事にして、虜の貢と不貢とを以て加損する有らず。今、吾が中国は、親の父子兄弟の相約するものなるも、猶お其の背かざるを保つ能わず、況んや夷狄をや。
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『智囊』經務・張居正彼若し盟を尋めば、則ち我は羈縻の義を示し、彼若し盟に背かば、則ち問罪の師を興し、勝算は我に在り、数世の利なり。諸逆既に境に入らば、即ち執えて闕下に送り、俘を献じて正法し、首を辺に伝えて、叛人をして畏るるを知らしむ可し。先ず那吉を移して辺境に駐め、叛人は先に入り、那吉は後に行く。彼若し質を劫さば、即ち那吉の首を斬りて之に示し、城を閉じて与に戦わん。彼は曲、我は直、戦えば克たざる無し。阿力哥は本と那吉を導きて来降せしむるものなり、之を与えば、必ず糜爛に至らん。今、彼は既に周、元の二人を留めたれば、則ち此の人も亦た執えて以て相い当つ可し。断じて与う可からず。此の人を留め得れば、将来大いに用うる処有らん。唯だ公の審らかに図れ」と。後に崇古は馳せて虜営に諭し、俺答は我が先ず那吉を出さんことを欲し、我は必ず俺答が先ず其の虜獲を献ぜんことを欲す。俺答は乃ち被擄の男婦八十余人を献ず。夷情は最も躁急にして、遂に我が雲石堡を寇抄す。崇古は亟かに守備の范宗儒をして嫡子の范国囿及び其の弟の宗偉、宗伊を以て虜営に質せしめ、全らに易えしむ。俺答は喜び、趙全らを収捕し、皆な面縛械係して、大同左衛に送る。是の時、周、元は変を聞きて、鴆を飲みて死す。是に於いて始めて那吉を出だし、康綸をして之を送り帰さしむ。那吉らは泣きて別る。巡撫の方逢時は夷使の火力赤猛克を誡め、諭して阿力哥を害すること毋からしむ。既に行き、河上に次り、祖孫は嗚嗚として相い労い、南に向かって拝すること五たび、中軍の打児漢らを使わして入謝せしめ、疏に言う、「帝は我が逋遷の裔を赦し、建立の徳は無量なり。願わくは外臣と為り、方物を貢せん」と。表箋の楷式及び長書表文を請う者なり。
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『智囊』經務・張居正然れども老酋の犢を舐むるの情は、亦た真に近きに似たり。其の諸逆を以て其の孫に易えざるは、蓋し軽きを以て重きに博するを恥ずるにして、諸逆に忍びざるに非ざるなり。乳犬駑駒は、之を蓄えて何をか用いん。但だ之を挟みて重と為し、以て利を虜に規らんと欲するのみ。今、宜しく遣わして朝廷の其の孫を厚く待つの意を宣布し、以て老酋の心を安んじ、那吉をして其の賜服の緋袍金帯を衣て、以て虜使に誇示せしむべし。彼は吾の之を寵異するを見れば、則ち得んと欲するの心は愈いよ急にして、左券は我に在り。然る後に重ねて与に市いし、吾が欲する所を求めば、必ず得可きなり。俺酋の言は哀懇なりと雖も、身は猶お兵を擁して辺に駐り、事は強挟に同じく、未だ誠款を見ず。必ず令して有名の逆犯を将て、尽数先ず境に送入せしめ、游騎を掣回して、然る後に我れ官を差わし礼を以て其の孫を送り帰さん。若し兵を擁して質を要し、両つながら交易せば、則ち夷狄に親無く、事は或いは中ごろに変ず。即ち然らずして、聊か数人に脅従して責めを塞がば、国家の威重に於いて豈に大いに損なわざらんや。封爵、貢市の二事に至りては、皆な可否の間に在り。若し鄙意ならば、則ち以為えらく、辺防の利害は那吉の与うると与えざるとに在らずして、彼の和を求むるの誠と不誠とに在り。若し彼果たして至誠に出でば、仮すに封爵を以てし、其の貢市を許し、我は間を得て、其の戦守の具を修め、屯田の利を興し、辺鄙聳えず、穡人功を成さん。
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『智囊』迎刃・于謙永楽の間、降虜は多く河間・東昌等の処に安置せられ、生養し蕃息して、驕悍にして馴れず。方に也先の入寇せし時、皆な将に機に乗じて騒動し、幾んど変乱に至らんとす。是に至りて兵を発して湖・貴及び広東・西の諸処の寇盗を征す。于粛愍は、其の名号有る者を遣わさんことを奏し、厚く賞犒を与え、軍に随いて征進せしむ。事平らぐに、遂に奏して彼に留む。是に於いて数十年の積患は、一旦にして潜消す。
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『智囊』經務・富弼・滕元發・原杰上、副都原杰に命じて往きて其の事に蒞ましむ。杰乃ち遍く諸郡県の深山窮谷を歴て、上の徳意を宣べ、流民に延問す。父老皆な欣然として、籍に附して良民と為らんことを願う。是に於いて大いに湖、陝、河南の三省の撫按を会し、合謀して僉議し、流民十二万三千余戸を籍し、皆な閑曠の田畝を給与し、開墾して以て賦役に供せしめ、州県を建設して以て之を統治せしむ。遂に竹山の地を割きて竹渓県を置き、鄖津の地を割きて鄖西県を置き、漢中洵陽の地を割きて白河県を置き、又西安の商県を升して商州と為して、其の地を析ちて商南、山陽の二県と為し、又唐県、南陽、汝州の地を析ちて桐柏、南台、伊陽の三県と為し、流寓土著をして参錯して居らしむ。又鄖陽城に即きて鄖陽府を置き、以て鄖及び竹山、竹渓、鄖西、房、上津の六県の地を統べ、又湖広行都司及び鄖陽衛を鄖陽に置き、以て保障の計と為す。因りて妙に賢能を選び、薦めて守令と為し、流民遂に安んず。今日の招撫流移は、皆な虚文なり。即ち地有れども室廬無く、即ち田有れども牛種無し。民何を以て帰らんや。其の化して流賊と為るを怪しむ無し。倘し討賊の費の半ばを以て、一人の実心任事なる者を択びて専ら招撫を管し、生計を経理せしめば、民は且に更生を慶ばんとす、何ぞ賊と為るを楽しまんや。
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