智囊 / 經務・張居正
俺答孫巴漢那吉,與其奶公阿力哥,率十餘騎來降。督撫尚未以聞,張江陵已先知之,〔宰相不留心邊事,那得先知?〕貽書王總督崇古查其的否,往復籌之曰:「此事關係甚重,制虜之機實在於此。頃據報俺酋臨邊索要,正恐彼棄而不取,則我抱空質而結怨於虜,今其來索,我之利也。第戒勵將士,壁清野以待之,使人以好語款之。彼卑詞效款,或斬我叛逆趙全等之首,誓以數年不犯吾塞,乃可奉聞天朝,以禮遣歸。但聞老酋臨邊不搶,又不明言索取其孫,此必趙全等教之,誘吾邊將而挑之以為質,伺吾間隙而掩其所不備。難當並堡堅守,勿輕與戰,即彼示弱見短,亦勿乘之。多行間諜,以疑其心,或遣精奇騎出他道,搗其巢穴,使之野無所掠,不出十日,勢將自遁,固不必以斬獲為功也。續據巡撫方金湖差人鮑崇德親見老酋云云,其言未必皆實。
新字:俺答孫巴漢那吉,与其奶公阿力歌,率十余騎来降。督撫尚未以聞,張江陵已先知之,〔宰相不留心辺事,那得先知?〕貽書王総督崇古查其的否,往復籌之曰:「此事関係甚重,制虜之機実在於此。頃拠報俺酋臨辺索要,正恐彼棄而不取,則我抱空質而結怨於虜,今其来索,我之利也。第戒励将士,壁清野以待之,使人以好語款之。彼卑詞効款,或斬我叛逆趙全等之首,誓以数年不犯吾塞,乃可奉聞天朝,以礼遣帰。但聞老酋臨辺不搶,又不明言索取其孫,此必趙全等教之,誘吾辺将而挑之以為質,伺吾間隙而掩其所不備。難当並堡堅守,勿軽与戦,即彼示弱見短,亦勿乗之。多行間諜,以疑其心,或遣精奇騎出他道,搗其巣穴,使之野無所掠,不出十日,勢将自遁,固不必以斬獲為功也。続拠巡撫方金湖差人鮑崇徳親見老酋云云,其言未必皆実。
書き下し
俺答の孫の巴漢那吉は、其の奶公の阿力哥と、十余騎を率いて来降す。督撫は未だ以て聞せざるに、張江陵は已に先に之を知り、〔宰相は辺事に心を留めざれば、那ぞ先に知るを得んや〕書を王総督崇古に貽り、其の的否を査せしめ、往復して之を籌りて曰く、「此の事は関係甚だ重く、虜を制するの機は実に此に在り。頃ろ報を据るに、俺酋は辺に臨みて索要すと。正に恐る、彼棄てて取らざれば、則ち我は空質を抱きて怨みを虜に結ばんことを。今、其れ来たりて索むるは、我の利なり。第だ将士を戒励し、壁を堅くし野を清めて以て之を待ち、人をして好語を以て之を款せしめよ。彼は卑詞もて款を効し、或いは我が叛逆の趙全らの首を斬り、誓いて数年吾が塞を犯さずんば、乃ち天朝に奉聞して、礼を以て遣り帰す可し。但し聞くに老酋は辺に臨みて搶らず、又た明らかに其の孫を索めずと。此れ必ず趙全らの教うる所にして、吾が辺将を誘いて之を挑み以て質と為し、吾が間隙を伺いて其の備えざる所を掩わんとするなり。当に堡を並せて堅守し、軽々しく与に戦う勿れ。即ち彼示すに弱を以てし短を見すも、亦た之に乗ずる勿れ。多く間諜を行い、以て其の心を疑わしめ、或いは精奇の騎を遣りて他道に出で、其の巣穴を搗き、之をして野に掠むる所無からしめば、十日を出でずして、勢いは将に自ら遁れんとす。固より斬獲を以て功と為すを必とせざるなり。続いて巡撫の方金湖の人を差わし鮑崇徳が親しく老酋に見えし所を据るに云云とあり、其の言は未だ必ずしも皆な実ならず。
現代語訳
アルタン・ハーンの孫のバハンナギは、その乳母の夫のアリゲとともに、十数騎を率いて降伏してきた。総督や巡撫がまだ朝廷に報告しないうちに、張江陵(張居正)はすでに先に知っており、〔宰相が辺境の事に心を留めていなければ、どうして先に知ることができようか。〕王崇古総督に書簡を送ってその真偽を調べさせ、往復して策を練ってこう言った。「この事は関わりが非常に重く、敵を制する機会はまことにここにある。さきごろ報告によれば、アルタンは国境に出てきて引き渡しを求めているという。恐れるのは、先方が見捨てて取り戻さないことで、そうなれば我々は役に立たない人質を抱えて、敵に恨みを買うだけになる。今、彼が来て求めるのは我らの利益である。ただ将兵を戒め励まし、城壁を固め野を空にして待ち、人に好意的な言葉でもてなさせよ。彼がへりくだった言葉で誠意を示し、あるいはわが叛逆者の趙全らの首を斬り、数年はわが国境を犯さないと誓うならば、そのとき朝廷に報告して、礼をもって送り返してよい。ただし聞くところでは、老酋は国境に臨んでも略奪せず、また孫を返せとも明言しないという。これはきっと趙全らが教えたことで、わが辺境の将を誘って人質とし、わが隙をうかがって備えのない所を襲おうとしているのだ。城塞を連ねて固く守り、軽々しく戦ってはならない。たとえ彼が弱みや短所を見せても、それに乗ってはならない。多く間諜を放って彼の心を疑わせ、あるいは精鋭の騎兵を別の道から出して、その巣穴を突き、野で略奪できなくすれば、十日を出ずに、勢いはおのずと退くであろう。もとより首を獲ることを手柄とする必要はない。続いて巡撫の方金湖が派遣した鮑崇徳が老酋に直接会った内容を聞くと、云々ということだが、その言葉はかならずしもすべて事実とは限らない。
解説
この章句が説くこと
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