智囊 / 經務・賀盛瑞
公查初年稅入,歲不下千金,該局所轄窯座,自京師及通州、昌平、良、涿等處,稅歲磚瓦近百萬萬,後工部招商買辦,而局無片瓦矣。公既任其事,稍一稽查,即如木商王資一項漏銀一百零九兩,他可知已;嗣查窯稅,而中貴王明為梗,公謂中貴不可制而販戶可制,即出示通衢,嚴諭巡軍軍民人等:「敢有買販王明磚瓦者,以漏稅論,官吏軍餘賣放者,許諸人詳告,即以漏出磚瓦充賞。」王明窯三十餘座,月餘片瓦不售,哀求報稅矣。諸勢要聞風輸稅,即一季所收,逾二十餘萬,一歲所積,除勳戚祭葬取用外,該局積無隙地,各衙門小修,五月取給焉。
新字:公查初年税入,歳不下千金,該局所轄窯座,自京師及通州、昌平、良、涿等処,税歳磚瓦近百万万,後工部招商買辦,而局無片瓦矣。公既任其事,稍一稽查,即如木商王資一項漏銀一百零九両,他可知已;嗣查窯税,而中貴王明為梗,公謂中貴不可制而販戸可制,即出示通衢,厳諭巡軍軍民人等:「敢有買販王明磚瓦者,以漏税論,官吏軍余売放者,許諸人詳告,即以漏出磚瓦充賞。」王明窯三十余座,月余片瓦不售,哀求報税矣。諸勢要聞風輸税,即一季所収,逾二十余万,一歳所積,除勲戚祭葬取用外,該局積無隙地,各衙門小修,五月取給焉。
書き下し
公は初年の税入を査するに、歳ごとに千金を下らず。該局の轄する窯座は、京師及び通州・昌平・良・涿等の処より、歳の磚瓦に税するもの百万に近し。後に工部が商を招きて買弁せしめしより、局には片瓦も無し。公は既に其の事に任ずるや、稍や稽査するに、即ち木商王資の一項ですら漏銀一百零九両なり。他は知るべし。嗣いで窯税を査するに、中貴の王明が梗を為す。公は、中貴は制すべからざるも販戸は制すべしと謂い、即ち通衢に出示し、巡軍・軍民人等に厳論す。「敢えて王明の磚瓦を買い販ぐこと有らば、漏税を以て論ず。官吏・軍餘の売放する者は、諸人の詳告を許し、即ち漏出の磚瓦を以て賞に充てん」と。王明の窯は三十余座、月余にして片瓦も售れず、哀求して報税す。諸勢要は風を聞きて税を輸し、即ち一季の収むる所は二十余万を逾え、一歳の積む所は、勳戚の祭葬の取用を除くの外、該局の積みは隙地無し。各衙門の小修は、五月にして取給す。
現代語訳
公は最初の年の税収を調べると、毎年千金を下らなかった。その局が管轄する窯は、京師および通州・昌平・良・涿などの地にあり、毎年磚や瓦に課税されるものは百万に近かった。その後、工部が商人を招いて買い付けを請け負わせるようになってから、局にはわずかな瓦もなくなった。公はその職務に任じられると、少し調べるだけで、材木商の王資の一件だけでも漏れた銀は百九両あった。他は推して知るべきである。次いで窯の税を調べると、宦官の王明が妨げとなった。公は、宦官は制することができないが、販売業者は制することができると考え、大通りに掲示を出し、巡軍と軍民の人々にきびしく言い渡した。「王明の磚瓦を買ったり売ったりする者があれば、脱税として処罰する。官吏・軍人で見逃して売らせた者は、人々が詳しく告発することを許し、漏出した磚瓦をそのまま褒賞に充てる」。王明の窯は三十余りあったが、一か月余り瓦は一枚も売れず、哀れに懇願して納税の届けを出した。他の権勢者たちもこの様子を聞いて税を納め、一季だけで収めた額は二十余万を超え、一年に積んだ額は、功臣・外戚の祭礼・葬儀の取り分を除いても、その局の積み荷は空き地がないほどだった。各役所の小修理は、五か月分をここから賄った。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』經務・賀盛瑞神宮監の修造は、例として板瓦を用う。然れども官瓦は黒くして悪く、毎片の価は一分四釐。民瓦は白くして堅く、毎片の価は止だ三釐。諸閹は陰かに官窯に耗食すること久しく、民瓦は利する莫し。盛公、事を督するや、躬ら監に至り、諸閹に謂いて曰く、「監の修すること幾年か」と。老成者は応えて曰く、「三十余年」と。公曰く、「三十余年にして漏ること此の若きは、瓦の薄く悪しきを以ての故にあらざるか」と。曰く、「然り」と。公は乃ち陰かに官・民の瓦を各おの一千運び、記するに字を以てして之を参聚せしむ。是に於いて監工の本陵掌印と合陵の中官を邀えて瓦の所に至り、公は謂いて曰く、「瓦は唯だ衆に択ばしめて可なる者を取れ」と。僉な曰く、「白き者は佳し」と。取りて之を験するに、民瓦なり。公曰く、「民瓦は既に佳く且つ賤し。何を苦しんで官窯を用いんや」と。監者曰く、「此れ祖宗の旧制なり。誰か敢えて之に違わん」と。公曰く、「祖制が官窯を用いるは、官が民に勝るが為なり。豈に錢糧を冒被し、此に至るまで堪えざるを謂わんや。餘は正に疏を具し、監官を借りて証と為さんと欲するのみ」と。遂に去る。監者は隨いて寓に至り、気を下して公に謂いて曰く、「此の端、一たび開かば、官窯は用無く、且つ罪を得ん。旧の如くせんことを請う」と。公は可とせず。官・民各半ばを用いんことを請うも、復た可とせず。監者は奪うべからざるを知り、乃ち曰く、「唯だ公の命ぜんとするままに。第だ幸いに他の監工者に泄らす勿かれ」と。是に於いて民瓦二十万を用い、帑金二千余を省く。
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『智囊』經務・賀盛瑞都城の重城の根脚下は、雨水に沖激せられ、歳久しくして坑と成り、齧りて将に城に及ばんとす。名づけて「浪窩」と曰う。監督員外は部堂の旨を受け、吳家村の黄土を運びて填築せんと議す。京城を去ること二十里にして遥か、估銀は万一千余両。公は建議す、「但だ城壕の土を取りて以て填塞すれば、浪窩は土を得て之を築くこと固く、城壕は土を去りて之を濬うこと深し。銀を省き功倍す。計、此より便なるは無し」と。完工に比し、止だ九百有奇を費やすのみ。〔馮按〕両宮の役、賀公が政を為す。事例既に開く。凡そ通状の到る日に即ち帖を給し、銀完りて次日に即ち咨を給す。事に留宿無く、吏は勒掯し難く、赴く者は雲集し、銀百万両を得たり。公は毎事に核実し、浮費を裁去し、竟に七十万を以て役を竣う。省く所は九十万有奇。工甫めて完れるに、反って不職を以て論じて去らる。冤なるかな。然れども余、公の子仲軾の輯むる所の『冬官紀事』を覧るに、木商を抑え、窯税を清むるが如き、往々にして必ず其の意を行い、主怨を辞せず。宜なるかな、権貴の側目するや。夫れ用世の才有りて、而も必ず其の才を絀して以て世に容れられんことを求めしむ。国家は亦た何の利あらんや。吁、歎ずべきのみ。
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『智囊』經務・賀盛瑞徽州の木商王天俊ら十人、広く金銭を挟み、勢要に依托して、札付を鑽求し、木十六万根を買う。賀、念えらく、此の差が一たび出づれば、夾帯の私木を論ぜず、即ち此の十六万根の木だけで、税を逃るること三万二千余根、国課を虧くこと五六万両なり。方に極力して杜絶せんとするに、特旨下る。一時に奸商は揚揚として得意なり。賀は乃ち呼び至らしめ、謂いて曰く、「爾らは札を欲す。我は但だ旨を奉じて札を給するを知るのみ。札中の事を、爾らは我が開載せざるを禁ずる能わんや」と。是に於いて其の皇木を指称するの弊を列す。「一に関税を希免するを許さず。蓋し木を買うに官は平価を給すれば、即ち是れ交易なり。自ずから常に照らして抽分すべし。二に官民の舡只を磕撞するを許さず。違えば、常に照らして賠補せよ。三に州県を騒擾し、夫を派して筏を拽かしむるを許さず。四に過関を攙越するを許さず。五に預支を給せず。木が張家湾に到るを俟ち、部官は科道と同に根ごとに丈量し、題を具して価を給す」と。是に於いて各商は色を失い、曰く、「此の如くんば、則ち札付は直だ一空紙のみ。之を領して何の用ぞ」と。遂に皆な札を領するを願わず、東廠に向かいて贓を倒す。又た工部屯田司主事は通済局・広済局を差管す。局ごとに抽分大使一員、攢典一名、巡軍十五名を設け、官俸・軍糧は歳ごとに一百三十余石を支し、毎年抽分して部に解す銀は、多くは七八十両、少なくは五六十両なるも、尚お費に及ばず。賀公盛瑞は題して裁革せんと欲せしが、左堂の沈敬宇が之を止む。
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『智囊』經務・賀盛瑞献陵の山溝の両岸は、旧は磚を用いて砌く(山水暴発すれば、磚は御ぐ能わず。年ごとに修して年ごとに圮れ、徒らに金銭を耗す)。督工主事賀盛瑞は石を用いんと欲するも、中貴は歳ごとに冒被を利とし、旧に仍るを主とす。賀は乃ち工の上作官を呼びて之に謂いて曰く、「此の溝岸は何を以てか能く久しからん」と。対えて曰く、「宜しく黒城磚を用い、灰漿を灌ぐべし」と。公曰く、「黒城磚は多甚し。内官は何ぞ二三万を折して用いざる」と。作官は「畏れて敢えてせず」と対う。公曰く、「第だ之を言え、我は査せず」と。作官は言の如く以て内監に告ぐ。中官は疑いを懐き、公の意を解せず。然れども利は其の心を動かし、遂に二万を折す。久しく言わず。一日、同じく溝岸の尽きる処に至り、中官に謂いて曰く、「此の処は旧と黒城磚を用いしか」と。中官曰く、「然り」と。公曰く、「山水暴発すれば、磚は御ぐ能わず。之を砌くも何の益あらん。石を用いるに如かず」と。中官曰く、「陵山の石は、誰人か敢えて動かさん」と。公は笑いて曰く、「溝内の浮石は、之を去りて以て流水を疏さんと欲する者にあらずや」と。中官は既に其の餌に中り、復た言う敢えず。是に於いて毎日五鼓に点卯し、夫匠は各おの三十斤の一石を帯び、日ならずして山を成す。原の估は磚二十万、既に石を用い、費は五万に過ぎず。墳頂の石は重さ万余斤、石工は言う、「五百人に非ざれば秤り起こす能わず」と。公は、夫を京より取れば、遠きこと五十余里にして、用は止だ片時なるに、人をして往返百里せしむるは、価を給せば公に難く、給せざれば私に難しと念い、乃ち近村の壮丁に片時を借り、人ごとに銭三文を給す。費は千余銭ならず、而して石は已に筍に合う。
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『智囊』經務・賀盛瑞金剛牆は実土にして、在工の夫は止だ二十余名。二人一筐にして、三五日に非ざれば不可なり。公、令を下して曰く、「多く土を抬ぐること一筐ごとに、銭二文を加う。朱木屑を以て記と為す」と。各夫は飛走し、日を終えずして畢る。錦衣衛、鹵簿を修せんことを題し、費を計ること万金。公は其の濫なるを嫌い、監工の内臣が毁壊せる者を持ち、俱に司に送る。公は之を閲し、謂いて曰く、「此れ諸弁が公の精明を畏れ、此の伎倆を作して以て題中の疏語を実にするのみ。然らずんば、駕閣庫に未だ火を聞かず、而して銅帯は胡ぞ由りて焦げん。旧は宜しく腐るべきに、胡ぞ直ちに断ずること切るが如きや」と。内臣は言の如く以て諸弁を詰め、且つ参せんと言う。諸弁は跪き泣きて免を求め、工完りて敢えて嘩する無し。用いること千に及ばずして、鹵簿は已に煥然たり。永寧長公主の挙殯あり。例として席殿・群房等、約三百余間を搭ぐ。内使は臨行の時に俱に拆去す。公は令して隙地を擇びて搭蓋せしめ、揪棍を以て杉木の纜眼の下に横穿して之を埋め、席は麻繩を用いて連合せしむ。在工の人は、公の作の無益なるを笑わざる無し。殯を訖わるや、内官は果たして来たりて木を取らんとす。木根は牢固にして、席は復た連合し、即ち力を以て繩を断ちて之を取るも易からず、遂に舍てて去る。公は夫匠を呼びて謂いて曰く、「山中に風雨暴至すれど、屋の避くべき無し。大殿の拆つ外、余の小房は汝の輩に留めて宿食を作さしめん。何如」と。眾は僉な曰く、「便なり」と。公曰く、「毎一席の官価は一分五釐なるも、今は只だ七釐を作り、工価に抵てん。拆棚の日には、悉く爾らの将ち去るに聴す。麻を断ちて麻筋に作り、木は回料に作せ。何如」と。眾は又た曰く、「便なり」と。
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『智囊』經務・賀盛瑞嘉靖中、三殿を修す。中道の階石は長さ三丈、闊さ一丈、厚さ五尺。順天等八府の民夫二万を派し、旱船を造りて拽運す。府県の佐二官を派して之を督せしめ、里ごとに一井を掘り、以て旱舡を澆ぎ、渴飲を資け、二十八日にして京に到るを計る。官民の費は総計して銀十一万両有奇。万暦中、鼎建の両宮の大石も、御史亦た五城の人夫を僉用するの議あり。工部郎中賀盛瑞は、主事郭知易の議を用い、十六輪の大車を造り、騾一千八百頭を用いて拽運し、二十二日にして京に到るを計る。費は七千両に足らず。又た四輪の官車百輛を造り、殷実の戸を召募して之を領せしめ、木石を拽運し、毎日騾を計りて直を給す。其の車価は輛ごとに百金、毎年その運価二十両を扣し、五年を以て率と為し、官銀は固より在り、一民も擾がず。慈寧宮の石礎二十余あり、公、令して工所に運入せしむ。内監は嘩然として旧しと言う。公曰く、「石、安んぞ旧しと言うを得ん。一鑿すれば便ち新たなり。事あらば我自ら当たらん。爾の累ならざるなり」と。
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