智囊 / 經務・賀盛瑞
徽州木商王天俊等十人,廣挾金錢,依托勢要,鑽求札付,買木十六萬根。賀念此差一出,勿論夾帶私木,即此十六萬根木,逃稅三萬二千餘根,虧國課五六萬兩,方極力杜絕,而特旨下矣。一時奸商揚揚得意,賀乃呼至,謂曰:「爾欲札,我但知奉旨給札耳,札中事爾能禁我不行開載耶?」於是列其指稱皇木之弊:「一不許希免關稅,蓋買木官給平價,即是交易,自應照常抽分;二不許磕撞官民舡只,如違,照常賠補;三不許騷擾州縣,派夫拽筏;四不許攙越過關;五不給預支,俟木到張家灣,部官同科道逐根丈量,具題給價。」於是各商失色,曰:「如此則札付直一空紙,領之何用?」遂皆不願領札,向東廠倒贓矣。又工部屯田司主事差管通濟局、廣濟局,局各設抽分大使一員、攢典一名、巡軍十五名,官俸軍糧歲支一百三十餘石,每年抽分解部銀多七八十兩,少五六十兩,尚不及費。賀公盛瑞欲具題裁革,左堂沈敬宇止之。
新字:徽州木商王天俊等十人,広挟金銭,依托勢要,鑽求札付,買木十六万根。賀念此差一出,勿論夾帯私木,即此十六万根木,逃税三万二千余根,虧国課五六万両,方極力杜絶,而特旨下矣。一時奸商揚揚得意,賀乃呼至,謂曰:「爾欲札,我但知奉旨給札耳,札中事爾能禁我不行開載耶?」於是列其指称皇木之弊:「一不許希免関税,蓋買木官給平価,即是交易,自応照常抽分;二不許磕撞官民舡只,如違,照常賠補;三不許騷擾州県,派夫拽筏;四不許攙越過関;五不給預支,俟木到張家湾,部官同科道逐根丈量,具題給価。」於是各商失色,曰:「如此則札付直一空紙,領之何用?」遂皆不願領札,向東廠倒贓矣。又工部屯田司主事差管通済局、広済局,局各設抽分大使一員、攢典一名、巡軍十五名,官俸軍糧歳支一百三十余石,毎年抽分解部銀多七八十両,少五六十両,尚不及費。賀公盛瑞欲具題裁革,左堂沈敬宇止之。
書き下し
徽州の木商王天俊ら十人、広く金銭を挟み、勢要に依托して、札付を鑽求し、木十六万根を買う。賀、念えらく、此の差が一たび出づれば、夾帯の私木を論ぜず、即ち此の十六万根の木だけで、税を逃るること三万二千余根、国課を虧くこと五六万両なり。方に極力して杜絶せんとするに、特旨下る。一時に奸商は揚揚として得意なり。賀は乃ち呼び至らしめ、謂いて曰く、「爾らは札を欲す。我は但だ旨を奉じて札を給するを知るのみ。札中の事を、爾らは我が開載せざるを禁ずる能わんや」と。是に於いて其の皇木を指称するの弊を列す。「一に関税を希免するを許さず。蓋し木を買うに官は平価を給すれば、即ち是れ交易なり。自ずから常に照らして抽分すべし。二に官民の舡只を磕撞するを許さず。違えば、常に照らして賠補せよ。三に州県を騒擾し、夫を派して筏を拽かしむるを許さず。四に過関を攙越するを許さず。五に預支を給せず。木が張家湾に到るを俟ち、部官は科道と同に根ごとに丈量し、題を具して価を給す」と。是に於いて各商は色を失い、曰く、「此の如くんば、則ち札付は直だ一空紙のみ。之を領して何の用ぞ」と。遂に皆な札を領するを願わず、東廠に向かいて贓を倒す。又た工部屯田司主事は通済局・広済局を差管す。局ごとに抽分大使一員、攢典一名、巡軍十五名を設け、官俸・軍糧は歳ごとに一百三十余石を支し、毎年抽分して部に解す銀は、多くは七八十両、少なくは五六十両なるも、尚お費に及ばず。賀公盛瑞は題して裁革せんと欲せしが、左堂の沈敬宇が之を止む。
現代語訳
徽州の材木商の王天俊ら十人は、広く金銭を持ち、権力者に取り入って、許可証を手に入れ、木材十六万本を買った。賀盛瑞は考えた。この任務が一度出れば、こっそり持ち込む私的な木材は別としても、この十六万本だけで、納税を逃れるものが三万二千余本、国の税収を五、六万両欠くことになる。ちょうど全力で防ごうとしている時に、特別の勅旨が下った。たちまち悪質な商人たちは意気揚々となった。賀は彼らを呼び寄せて言った。「あなたたちは許可証を欲しがっている。私は勅旨を奉じて許可証を発給するだけだ。許可証の中身については、あなたたちは私が記載することを禁じられるだろうか」。そこで、皇室用の木材を名乗る弊害を列挙した。「一、関税を免れることを許さない。木材を買うのに官が適正価格を支払うなら、それは通常の取引だ。当然、通常どおり課税する。二、官民の船にぶつけることを許さない。違反すれば通常どおり賠償せよ。三、州県を騒がせ、人夫を割り当てて筏を引かせることを許さない。四、関所を通過する順序を割り込むことを許さない。五、前払いは出さない。木材が張家湾に着くのを待ち、部の官が科道の官とともに一本ずつ測り、報告して代金を支払う」。そこで商人たちは色を失って言った。「こうでは、許可証はただの白紙だ。受け取って何になる」。そこでみな許可証を受け取りたがらず、東廠に行って賄賂の金品を返した。また、工部屯田司の主事は通済局・広済局を管理する。局ごとに抽分大使一名、攢典一名、巡軍十五名を置き、官の俸禄と軍の食糧は毎年百三十余石を支出するが、毎年抽分して部に納める銀は、多くて七、八十両、少なくて五、六十両で、費用にも及ばない。賀盛瑞は上奏して廃止しようとしたが、左堂の沈敬宇が止めた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『智囊』經務・賀盛瑞公は初年の税入を査するに、歳ごとに千金を下らず。該局の轄する窯座は、京師及び通州・昌平・良・涿等の処より、歳の磚瓦に税するもの百万に近し。後に工部が商を招きて買弁せしめしより、局には片瓦も無し。公は既に其の事に任ずるや、稍や稽査するに、即ち木商王資の一項ですら漏銀一百零九両なり。他は知るべし。嗣いで窯税を査するに、中貴の王明が梗を為す。公は、中貴は制すべからざるも販戸は制すべしと謂い、即ち通衢に出示し、巡軍・軍民人等に厳論す。「敢えて王明の磚瓦を買い販ぐこと有らば、漏税を以て論ず。官吏・軍餘の売放する者は、諸人の詳告を許し、即ち漏出の磚瓦を以て賞に充てん」と。王明の窯は三十余座、月余にして片瓦も售れず、哀求して報税す。諸勢要は風を聞きて税を輸し、即ち一季の収むる所は二十余万を逾え、一歳の積む所は、勳戚の祭葬の取用を除くの外、該局の積みは隙地無し。各衙門の小修は、五月にして取給す。
-
『智囊』經務・賀盛瑞金剛牆は実土にして、在工の夫は止だ二十余名。二人一筐にして、三五日に非ざれば不可なり。公、令を下して曰く、「多く土を抬ぐること一筐ごとに、銭二文を加う。朱木屑を以て記と為す」と。各夫は飛走し、日を終えずして畢る。錦衣衛、鹵簿を修せんことを題し、費を計ること万金。公は其の濫なるを嫌い、監工の内臣が毁壊せる者を持ち、俱に司に送る。公は之を閲し、謂いて曰く、「此れ諸弁が公の精明を畏れ、此の伎倆を作して以て題中の疏語を実にするのみ。然らずんば、駕閣庫に未だ火を聞かず、而して銅帯は胡ぞ由りて焦げん。旧は宜しく腐るべきに、胡ぞ直ちに断ずること切るが如きや」と。内臣は言の如く以て諸弁を詰め、且つ参せんと言う。諸弁は跪き泣きて免を求め、工完りて敢えて嘩する無し。用いること千に及ばずして、鹵簿は已に煥然たり。永寧長公主の挙殯あり。例として席殿・群房等、約三百余間を搭ぐ。内使は臨行の時に俱に拆去す。公は令して隙地を擇びて搭蓋せしめ、揪棍を以て杉木の纜眼の下に横穿して之を埋め、席は麻繩を用いて連合せしむ。在工の人は、公の作の無益なるを笑わざる無し。殯を訖わるや、内官は果たして来たりて木を取らんとす。木根は牢固にして、席は復た連合し、即ち力を以て繩を断ちて之を取るも易からず、遂に舍てて去る。公は夫匠を呼びて謂いて曰く、「山中に風雨暴至すれど、屋の避くべき無し。大殿の拆つ外、余の小房は汝の輩に留めて宿食を作さしめん。何如」と。眾は僉な曰く、「便なり」と。公曰く、「毎一席の官価は一分五釐なるも、今は只だ七釐を作り、工価に抵てん。拆棚の日には、悉く爾らの将ち去るに聴す。麻を断ちて麻筋に作り、木は回料に作せ。何如」と。眾は又た曰く、「便なり」と。
-
『智囊』經務・鄭曉時公曰く、「午門以裏の台基の壊石は、長安の両門に移し出すこと甚だ遠し。今、厚載門の修砌・剝岸は、若し軍に命じて右順門に搬出し、啓明門の前より下りて北するは甚だ近し。就ち此の石を以て剝岸を作り填堵すれば、工部の估料を減ずるを須いず、但だ軍士の労力を省くのみにても亦た可なり」と。黄又た曰く、「善し」と。公曰く、「旧例では、火焦の木は、軍が琉璃・黒窯の二廠に搬送す。往回四十里なり。今、焦木は皆な長大にして、唯だに皇城の諸門のみ出で難きにあらず、外面の房は稠く路は狭く、行き難く転じ難し。況んや今は災変にして、各門の内臣の小房は、毁れざれば即ち折壊す。必ず修蓋して方に身を容るべし。焦木を左右順門の外、東西の宝善・思善の二門の前後、並びに啓明・長庚の両長街に移し出し、各内臣に聴して焦皮を擘き炭と作さしめ、木心の用うべき者は任便取り去りて、各おの私房を修めしむに若くは莫し。皇城内の物を以て皇城内の房を修め、皇城の四門を出でざれば、亦た財力を省かん」と。黄又た曰く、「善し」と。錦衣の趙千戸、陸錦衣の帖を持ち来たりて言う、「軍士の搬出せる火焦は、俱に長安の両門外、大街の両旁に置く。四夷の朝貢の人の往来するに、見て不雅なり。慶寿寺の西の夾道に深坑あり。火焦を以て填満すべし」と。
-
『智囊』經務・賀盛瑞都城の重城の根脚下は、雨水に沖激せられ、歳久しくして坑と成り、齧りて将に城に及ばんとす。名づけて「浪窩」と曰う。監督員外は部堂の旨を受け、吳家村の黄土を運びて填築せんと議す。京城を去ること二十里にして遥か、估銀は万一千余両。公は建議す、「但だ城壕の土を取りて以て填塞すれば、浪窩は土を得て之を築くこと固く、城壕は土を去りて之を濬うこと深し。銀を省き功倍す。計、此より便なるは無し」と。完工に比し、止だ九百有奇を費やすのみ。〔馮按〕両宮の役、賀公が政を為す。事例既に開く。凡そ通状の到る日に即ち帖を給し、銀完りて次日に即ち咨を給す。事に留宿無く、吏は勒掯し難く、赴く者は雲集し、銀百万両を得たり。公は毎事に核実し、浮費を裁去し、竟に七十万を以て役を竣う。省く所は九十万有奇。工甫めて完れるに、反って不職を以て論じて去らる。冤なるかな。然れども余、公の子仲軾の輯むる所の『冬官紀事』を覧るに、木商を抑え、窯税を清むるが如き、往々にして必ず其の意を行い、主怨を辞せず。宜なるかな、権貴の側目するや。夫れ用世の才有りて、而も必ず其の才を絀して以て世に容れられんことを求めしむ。国家は亦た何の利あらんや。吁、歎ずべきのみ。
-
『智囊』經務・賀盛瑞神宮監の修造は、例として板瓦を用う。然れども官瓦は黒くして悪く、毎片の価は一分四釐。民瓦は白くして堅く、毎片の価は止だ三釐。諸閹は陰かに官窯に耗食すること久しく、民瓦は利する莫し。盛公、事を督するや、躬ら監に至り、諸閹に謂いて曰く、「監の修すること幾年か」と。老成者は応えて曰く、「三十余年」と。公曰く、「三十余年にして漏ること此の若きは、瓦の薄く悪しきを以ての故にあらざるか」と。曰く、「然り」と。公は乃ち陰かに官・民の瓦を各おの一千運び、記するに字を以てして之を参聚せしむ。是に於いて監工の本陵掌印と合陵の中官を邀えて瓦の所に至り、公は謂いて曰く、「瓦は唯だ衆に択ばしめて可なる者を取れ」と。僉な曰く、「白き者は佳し」と。取りて之を験するに、民瓦なり。公曰く、「民瓦は既に佳く且つ賤し。何を苦しんで官窯を用いんや」と。監者曰く、「此れ祖宗の旧制なり。誰か敢えて之に違わん」と。公曰く、「祖制が官窯を用いるは、官が民に勝るが為なり。豈に錢糧を冒被し、此に至るまで堪えざるを謂わんや。餘は正に疏を具し、監官を借りて証と為さんと欲するのみ」と。遂に去る。監者は隨いて寓に至り、気を下して公に謂いて曰く、「此の端、一たび開かば、官窯は用無く、且つ罪を得ん。旧の如くせんことを請う」と。公は可とせず。官・民各半ばを用いんことを請うも、復た可とせず。監者は奪うべからざるを知り、乃ち曰く、「唯だ公の命ぜんとするままに。第だ幸いに他の監工者に泄らす勿かれ」と。是に於いて民瓦二十万を用い、帑金二千余を省く。
-
『智囊』謬數・賀儒珍両宮の工完り、積む所の銀は猶お門工の費に足る。戸・兵二部の原題の協済銀は各々三十万にして、通じて未だ用いず。西河王、疏して開礦と採木とを請い、並びに部に奏す。久しく覆せず。一日、文書房、口伝して、工部に不覆の故を詰問し、立ちどころに回話を待つ。部は査するに此の疏無く、久しくして方に戸部に停閣せるを知る。戸部は倉皇として咨稿を具す。工堂は猶お累を見んことを恐る。郎中賀儒珍曰く、「易きのみ」と。首に叙して「某月日、戸部の咨を准く」云云とし、咨の到る日を即ち覆する日と為す。復た疏して曰く、「照得するに、両宮の鼎建は事宸居に関す。即ち一榱一角も、純ら香楠・杉木を用うれども、猶お臣らの崇奉の意を尽くすに足らず。沿辺の不過の油松の雑木は、工に用うる所無し。相応に停めて採る勿かるべし」と。〔按〕此の事は辺防西河に関し、特に大工を借りて名と為すのみ。爾の時、事は必ず行うに在り、公は激して之を成さんことを恐れ、故に従容として覆を具し、但だ其の用うる所無きを言いて、与に争わず。事遂に寝む。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る