智囊 / 經務・賀盛瑞
神宮監修造,例用板瓦,然官瓦黑而惡,乃每片價一分四釐;民瓦白而堅,每片價止三釐。諸閹陰耗食於官窯久矣,民瓦莫利也。盛公督事,乃躬至監,謂諸閹曰:「監修幾年矣?」老成者應曰:「三十餘年。」公曰:「三十餘年而漏若此,非以瓦薄惡故耶?」曰:「然。」公乃陰運官、民瓦各一千,記以字而參聚之,於是邀監工本陵掌印與合陵中官至瓦所,公謂曰:「瓦唯眾擇可者。」僉曰:「白者佳。」取驗之,民瓦也,公曰:「民瓦既佳且賤,何苦而用官窯?」監者曰:「此祖宗舊制,誰敢違之?」公曰:「祖制用官窯,為官勝於民也,豈謂冒被錢糧,不堪至此,餘正欲具疏,借監官為證耳!」遂去,監者隨至寓,下氣謂公曰:「此端一開,官窯無用,且得罪,請如舊。」公不可,請用官民各半,復不可,監者知不可奪,乃曰:「唯公命,第幸勿泄於他監工者。」於是用民瓦二十萬,省帑金二千餘。
新字:神宮監修造,例用板瓦,然官瓦黒而悪,乃毎片価一分四釐;民瓦白而堅,毎片価止三釐。諸閹陰耗食於官窯久矣,民瓦莫利也。盛公督事,乃躬至監,謂諸閹曰:「監修幾年矣?」老成者応曰:「三十余年。」公曰:「三十余年而漏若此,非以瓦薄悪故耶?」曰:「然。」公乃陰運官、民瓦各一千,記以字而参聚之,於是邀監工本陵掌印与合陵中官至瓦所,公謂曰:「瓦唯衆択可者。」僉曰:「白者佳。」取験之,民瓦也,公曰:「民瓦既佳且賤,何苦而用官窯?」監者曰:「此祖宗旧制,誰敢違之?」公曰:「祖制用官窯,為官勝於民也,豈謂冒被銭糧,不堪至此,余正欲具疏,借監官為証耳!」遂去,監者随至寓,下気謂公曰:「此端一開,官窯無用,且得罪,請如旧。」公不可,請用官民各半,復不可,監者知不可奪,乃曰:「唯公命,第幸勿泄於他監工者。」於是用民瓦二十万,省帑金二千余。
書き下し
神宮監の修造は、例として板瓦を用う。然れども官瓦は黒くして悪く、毎片の価は一分四釐。民瓦は白くして堅く、毎片の価は止だ三釐。諸閹は陰かに官窯に耗食すること久しく、民瓦は利する莫し。盛公、事を督するや、躬ら監に至り、諸閹に謂いて曰く、「監の修すること幾年か」と。老成者は応えて曰く、「三十余年」と。公曰く、「三十余年にして漏ること此の若きは、瓦の薄く悪しきを以ての故にあらざるか」と。曰く、「然り」と。公は乃ち陰かに官・民の瓦を各おの一千運び、記するに字を以てして之を参聚せしむ。是に於いて監工の本陵掌印と合陵の中官を邀えて瓦の所に至り、公は謂いて曰く、「瓦は唯だ衆に択ばしめて可なる者を取れ」と。僉な曰く、「白き者は佳し」と。取りて之を験するに、民瓦なり。公曰く、「民瓦は既に佳く且つ賤し。何を苦しんで官窯を用いんや」と。監者曰く、「此れ祖宗の旧制なり。誰か敢えて之に違わん」と。公曰く、「祖制が官窯を用いるは、官が民に勝るが為なり。豈に錢糧を冒被し、此に至るまで堪えざるを謂わんや。餘は正に疏を具し、監官を借りて証と為さんと欲するのみ」と。遂に去る。監者は隨いて寓に至り、気を下して公に謂いて曰く、「此の端、一たび開かば、官窯は用無く、且つ罪を得ん。旧の如くせんことを請う」と。公は可とせず。官・民各半ばを用いんことを請うも、復た可とせず。監者は奪うべからざるを知り、乃ち曰く、「唯だ公の命ぜんとするままに。第だ幸いに他の監工者に泄らす勿かれ」と。是に於いて民瓦二十万を用い、帑金二千余を省く。
現代語訳
神宮監の修理では、例として板瓦を使う。しかし官窯の瓦は黒くて質が悪く、一枚の値は一分四釐。民間の瓦は白くて堅く、一枚の値はわずか三釐である。宦官たちはひそかに官窯から長い間利益を吸い上げており、民間の瓦は利益にならなかった。盛公は工事の監督にあたると、自ら神宮監に行き、宦官たちに言った。「この監の修理は何年になるか」。年配の者が答えた。「三十年余りです」。公は言った。「三十年余りでこのように雨漏りするのは、瓦が薄く質が悪いからではないか」。「そうです」と答えた。公はそこでひそかに官窯の瓦と民間の瓦を各千枚運ばせ、字で印をつけて混ぜて集めさせた。そこで工事監督の本陵の掌印と合陵の宦官を招いて瓦のところに行き、公は言った。「瓦はただ皆に選ばせて、よいと思うものを取れ」。皆は「白いものがよい」と言った。取って調べると、民間の瓦であった。公は言った。「民間の瓦はよくて安い。どうしてわざわざ官窯の瓦を使うのか」。監の者は言った。「これは祖宗の旧制です。誰が敢えて背けましょう」。公は言った。「祖法が官窯を使うのは、官が民に勝ると考えたからだ。銭糧を水増しして横領し、ここまでひどくなることを意図していたのではない。私はちょうど上奏文を書いて、あなたたち監の役人を証人にしようと思っていたところだ」。そう言って去った。監の者は後を追って宿舎に来て、低姿勢で公に言った。「この端緒が一度開かれれば、官窯は無用になり、しかも罪を得るでしょう。元どおりにしてください」。公は聞き入れなかった。官・民を半々にと願ったが、これも許さなかった。監の者は動かせないと知り、そこで言った。「公の仰せのままに。ただどうか他の監工には漏らさないでください」。こうして民間の瓦二十万を使い、国庫の銀二千余を節約した。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』經務・賀盛瑞公は初年の税入を査するに、歳ごとに千金を下らず。該局の轄する窯座は、京師及び通州・昌平・良・涿等の処より、歳の磚瓦に税するもの百万に近し。後に工部が商を招きて買弁せしめしより、局には片瓦も無し。公は既に其の事に任ずるや、稍や稽査するに、即ち木商王資の一項ですら漏銀一百零九両なり。他は知るべし。嗣いで窯税を査するに、中貴の王明が梗を為す。公は、中貴は制すべからざるも販戸は制すべしと謂い、即ち通衢に出示し、巡軍・軍民人等に厳論す。「敢えて王明の磚瓦を買い販ぐこと有らば、漏税を以て論ず。官吏・軍餘の売放する者は、諸人の詳告を許し、即ち漏出の磚瓦を以て賞に充てん」と。王明の窯は三十余座、月余にして片瓦も售れず、哀求して報税す。諸勢要は風を聞きて税を輸し、即ち一季の収むる所は二十余万を逾え、一歳の積む所は、勳戚の祭葬の取用を除くの外、該局の積みは隙地無し。各衙門の小修は、五月にして取給す。
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『智囊』經務・賀盛瑞金剛牆は実土にして、在工の夫は止だ二十余名。二人一筐にして、三五日に非ざれば不可なり。公、令を下して曰く、「多く土を抬ぐること一筐ごとに、銭二文を加う。朱木屑を以て記と為す」と。各夫は飛走し、日を終えずして畢る。錦衣衛、鹵簿を修せんことを題し、費を計ること万金。公は其の濫なるを嫌い、監工の内臣が毁壊せる者を持ち、俱に司に送る。公は之を閲し、謂いて曰く、「此れ諸弁が公の精明を畏れ、此の伎倆を作して以て題中の疏語を実にするのみ。然らずんば、駕閣庫に未だ火を聞かず、而して銅帯は胡ぞ由りて焦げん。旧は宜しく腐るべきに、胡ぞ直ちに断ずること切るが如きや」と。内臣は言の如く以て諸弁を詰め、且つ参せんと言う。諸弁は跪き泣きて免を求め、工完りて敢えて嘩する無し。用いること千に及ばずして、鹵簿は已に煥然たり。永寧長公主の挙殯あり。例として席殿・群房等、約三百余間を搭ぐ。内使は臨行の時に俱に拆去す。公は令して隙地を擇びて搭蓋せしめ、揪棍を以て杉木の纜眼の下に横穿して之を埋め、席は麻繩を用いて連合せしむ。在工の人は、公の作の無益なるを笑わざる無し。殯を訖わるや、内官は果たして来たりて木を取らんとす。木根は牢固にして、席は復た連合し、即ち力を以て繩を断ちて之を取るも易からず、遂に舍てて去る。公は夫匠を呼びて謂いて曰く、「山中に風雨暴至すれど、屋の避くべき無し。大殿の拆つ外、余の小房は汝の輩に留めて宿食を作さしめん。何如」と。眾は僉な曰く、「便なり」と。公曰く、「毎一席の官価は一分五釐なるも、今は只だ七釐を作り、工価に抵てん。拆棚の日には、悉く爾らの将ち去るに聴す。麻を断ちて麻筋に作り、木は回料に作せ。何如」と。眾は又た曰く、「便なり」と。
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『智囊』經務・賀盛瑞献陵の山溝の両岸は、旧は磚を用いて砌く(山水暴発すれば、磚は御ぐ能わず。年ごとに修して年ごとに圮れ、徒らに金銭を耗す)。督工主事賀盛瑞は石を用いんと欲するも、中貴は歳ごとに冒被を利とし、旧に仍るを主とす。賀は乃ち工の上作官を呼びて之に謂いて曰く、「此の溝岸は何を以てか能く久しからん」と。対えて曰く、「宜しく黒城磚を用い、灰漿を灌ぐべし」と。公曰く、「黒城磚は多甚し。内官は何ぞ二三万を折して用いざる」と。作官は「畏れて敢えてせず」と対う。公曰く、「第だ之を言え、我は査せず」と。作官は言の如く以て内監に告ぐ。中官は疑いを懐き、公の意を解せず。然れども利は其の心を動かし、遂に二万を折す。久しく言わず。一日、同じく溝岸の尽きる処に至り、中官に謂いて曰く、「此の処は旧と黒城磚を用いしか」と。中官曰く、「然り」と。公曰く、「山水暴発すれば、磚は御ぐ能わず。之を砌くも何の益あらん。石を用いるに如かず」と。中官曰く、「陵山の石は、誰人か敢えて動かさん」と。公は笑いて曰く、「溝内の浮石は、之を去りて以て流水を疏さんと欲する者にあらずや」と。中官は既に其の餌に中り、復た言う敢えず。是に於いて毎日五鼓に点卯し、夫匠は各おの三十斤の一石を帯び、日ならずして山を成す。原の估は磚二十万、既に石を用い、費は五万に過ぎず。墳頂の石は重さ万余斤、石工は言う、「五百人に非ざれば秤り起こす能わず」と。公は、夫を京より取れば、遠きこと五十余里にして、用は止だ片時なるに、人をして往返百里せしむるは、価を給せば公に難く、給せざれば私に難しと念い、乃ち近村の壮丁に片時を借り、人ごとに銭三文を給す。費は千余銭ならず、而して石は已に筍に合う。
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『智囊』經務・賀盛瑞都城の重城の根脚下は、雨水に沖激せられ、歳久しくして坑と成り、齧りて将に城に及ばんとす。名づけて「浪窩」と曰う。監督員外は部堂の旨を受け、吳家村の黄土を運びて填築せんと議す。京城を去ること二十里にして遥か、估銀は万一千余両。公は建議す、「但だ城壕の土を取りて以て填塞すれば、浪窩は土を得て之を築くこと固く、城壕は土を去りて之を濬うこと深し。銀を省き功倍す。計、此より便なるは無し」と。完工に比し、止だ九百有奇を費やすのみ。〔馮按〕両宮の役、賀公が政を為す。事例既に開く。凡そ通状の到る日に即ち帖を給し、銀完りて次日に即ち咨を給す。事に留宿無く、吏は勒掯し難く、赴く者は雲集し、銀百万両を得たり。公は毎事に核実し、浮費を裁去し、竟に七十万を以て役を竣う。省く所は九十万有奇。工甫めて完れるに、反って不職を以て論じて去らる。冤なるかな。然れども余、公の子仲軾の輯むる所の『冬官紀事』を覧るに、木商を抑え、窯税を清むるが如き、往々にして必ず其の意を行い、主怨を辞せず。宜なるかな、権貴の側目するや。夫れ用世の才有りて、而も必ず其の才を絀して以て世に容れられんことを求めしむ。国家は亦た何の利あらんや。吁、歎ずべきのみ。
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『智囊』經務・賀盛瑞嘉靖中、三殿を修す。中道の階石は長さ三丈、闊さ一丈、厚さ五尺。順天等八府の民夫二万を派し、旱船を造りて拽運す。府県の佐二官を派して之を督せしめ、里ごとに一井を掘り、以て旱舡を澆ぎ、渴飲を資け、二十八日にして京に到るを計る。官民の費は総計して銀十一万両有奇。万暦中、鼎建の両宮の大石も、御史亦た五城の人夫を僉用するの議あり。工部郎中賀盛瑞は、主事郭知易の議を用い、十六輪の大車を造り、騾一千八百頭を用いて拽運し、二十二日にして京に到るを計る。費は七千両に足らず。又た四輪の官車百輛を造り、殷実の戸を召募して之を領せしめ、木石を拽運し、毎日騾を計りて直を給す。其の車価は輛ごとに百金、毎年その運価二十両を扣し、五年を以て率と為し、官銀は固より在り、一民も擾がず。慈寧宮の石礎二十余あり、公、令して工所に運入せしむ。内監は嘩然として旧しと言う。公曰く、「石、安んぞ旧しと言うを得ん。一鑿すれば便ち新たなり。事あらば我自ら当たらん。爾の累ならざるなり」と。
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『智囊』經務・鄭曉時公曰く、「三殿の災は、朝廷已に天下に詔す。如何ぞ不雅と説かん。誰か敢えて朝廷の龍文の磚石を将て罪廃せる太平侯の故宅を填めんや。況んや寿宮の災、九廟の災にも、火焦は皆な長安の両門外に出す。軍士は長安大街より重ねて去りて空にて来たれば、人は並び行くべく、官は照管すべし。若し西の夾道より入れば、必ず寺の東の夾道より出ず。路は一半を多くし、三万人は只だ一万五千人の生活を做し得るのみ。豈に営軍の為に人の坑を填むるものあらんや。且つ火焦は工部に尚お用処あり、木石の料が完わるを待ちて、火焦を取りて路を鋪かんとす。長安の坊牌の下より、直ちに奉天殿の前に填め、五寸を加うる毎に、杵もて碎きて平らかに実し、又た五寸を加え、三尺ばかりに至りて、方に上にて大車・旱船・滾石を行らすべし。然らずんば街道・廊道は皆な壊れん。見今、午門外の東西の脇下に数万担の火焦が積堆す。若し搬出すれば、正に久しからずして又た搬入せんことを慮るのみ」と。趙、複た語るも、公は径ちに出ず。
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