智囊 / 經務・蘇軾
復造堰閘,以為湖水蓄泄之限,然後潮不入市,且以餘力復完六井,民稍獲其利矣。軾間至湖上,周視良久,曰:「今欲去葑田,將安所置之?湖南北三十里,環湖往來,終日不達,若取葑田積於湖中,為長堤以通南北,則葑田去而行者便矣。吳人種麥,春輒芟除,不遺寸草,葑田若去,募人種麥,收其利以備修湖,則湖當不復堙塞。」乃取救荒之餘,得錢糧以萬石數者,復請於朝,得百僧度牒,以募役者。堤成,植芙蓉、楊柳其上,望之如圖畫,杭人名之「蘇公堤」。〔馮述評〕華亭宋彥云:「西湖蓄水,專以資運河,湖濱多水田,春夏間苦旱,秋間又苦澇,莫若專設一司,精究水利,湖宜開廣濬深,諸山水溢則能受,諸田苦旱則能泄,閘司又俟淺深以啟閉,則運無阻滯,而三輔內膏腴可相望矣。」按:此宋人為都城漕計,其實今日亦宜行之,邇來西湖漸淤,有力者喜於占業,地方任事者,不可不慮其終也。
新字:復造堰閘,以為湖水蓄泄之限,然後潮不入市,且以余力復完六井,民稍獲其利矣。軾間至湖上,周視良久,曰:「今欲去葑田,将安所置之?湖南北三十里,環湖往来,終日不達,若取葑田積於湖中,為長堤以通南北,則葑田去而行者便矣。呉人種麦,春輒芟除,不遺寸草,葑田若去,募人種麦,収其利以備修湖,則湖当不復堙塞。」乃取救荒之余,得銭糧以万石数者,復請於朝,得百僧度牒,以募役者。堤成,植芙蓉、楊柳其上,望之如図画,杭人名之「蘇公堤」。〔馮述評〕華亭宋彦云:「西湖蓄水,専以資運河,湖浜多水田,春夏間苦旱,秋間又苦澇,莫若専設一司,精究水利,湖宜開広濬深,諸山水溢則能受,諸田苦旱則能泄,閘司又俟浅深以啓閉,則運無阻滞,而三輔内膏腴可相望矣。」按:此宋人為都城漕計,其実今日亦宜行之,邇来西湖漸淤,有力者喜於占業,地方任事者,不可不慮其終也。
書き下し
復た堰閘を造り、以て湖水の蓄泄の限と為し、然る後に潮は市に入らず、且つ餘力を以て復た六井を完くし、民は稍や其の利を獲たり。軾、間ま湖上に至り、周く視ること良や久しくして曰く、「今、葑田を去らんと欲するも、将た安くにか之を置かん。湖の南北は三十里、湖を環りて往来すれば、終日にして達せず。若し葑田を取りて湖中に積み、長堤と為して以て南北を通ぜしめば、則ち葑田は去りて行く者は便ならん。呉人は麦を種え、春に輒ち芟除して寸草も遺さず。葑田若し去れば、人を募りて麦を種えしめ、その利を収めて以て修湖に備うれば、則ち湖は当に復た堙塞せざるべし」と。乃ち救荒の余りを取り、銭糧の万石を以て数うるものを得、復た朝に請い、百僧の度牒を得て、以て役者を募る。堤成りて、芙蓉・楊柳を其の上に植え、之を望めば図画の如し。杭人、之を名づけて「蘇公堤」と曰う。〔馮述評〕華亭の宋彦云う、「西湖の蓄水は、専ら以て運河を資くるなり。湖浜には水田多く、春夏の間は旱に苦しみ、秋には又た澇に苦しむ。専ら一司を設け、水利を精究するに若くは莫し。湖は宜しく開広濬深すべし。諸山の水溢るれば則ち能く受け、諸田の旱に苦しめば則ち能く泄ぐ。閘司は又た浅深を俟ちて以て啓閉すれば、則ち運に阻滞無く、而して三輔の内の膏腴は相い望むべし」と。按ずるに、此れは宋人が都城の漕計の為にせしなり。其の実、今日も亦た宜しく之を行うべし。邇来、西湖は漸く淤し、力ある者は業を占むるを喜ぶ。地方に任ずる者は、その終わりを慮らざるべからず。
現代語訳
さらに堰と水門を造って湖水を蓄え、放流する限度を定め、その後は潮が市中に入らなくなった。しかも余力で六つの井戸も整え直し、民はようやくその利益を得た。蘇軾はときどき湖のほとりに来て、長い間あたりを見回してから言った。「今、葑田(水草の根でできた浮き田)を取り除こうとしても、どこに置けばよいのか。湖の南北は三十里あり、湖をめぐって往来すれば一日かけても着かない。もし葑田を取って湖の中に積み、長い堤を築いて南北を通じさせれば、葑田は除かれ、行き来する者にも便利になる。呉の人は麦を植え、春にはすぐ草を刈ってわずかな草も残さない。葑田が除かれたら、人を募って麦を植えさせ、その利益を湖の修理費用に充てれば、湖は二度とふさがらないだろう」。そこで救荒の余りから、万石単位の銭と食糧を得て、さらに朝廷に願って百人分の僧の度牒をもらい、これで働く者を募った。堤ができあがると、蓮と柳をその上に植え、遠くから見ると絵のようであった。杭州の人はこれを「蘇公堤」と名づけた。〔馮夢龍の評〕華亭の宋彦は言う。「西湖が水を蓄えるのは、専ら運河を助けるためだ。湖のほとりには水田が多く、春夏には干ばつに苦しみ、秋にはまた長雨に苦しむ。専門の官署を一つ置いて水利を徹底的に研究するのが最善だ。湖は広げて深く浚うべきで、山々の水があふれれば受け止められ、田が干ばつに苦しめば水を放てる。水門を管理する役所が水位に応じて開閉すれば、運搬は滞らず、都周辺の肥沃な土地が見渡せるようになる」。考えるに、これは宋の人が都の漕運のために立てた計画だが、実は今日もこれを行うべきである。近ごろ西湖は次第に泥が積もり、力のある者が土地を占有して喜んでいる。地方を任された者は、その行く末を深く考えなければならない。
解説
この章句が説くこと
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『宋名臣言行録』後集巻九・蘇軾公始めて至りて二河を浚う。茅山の一河を以て江潮を受け、鹽橋の一河を以て湖水を受く。復た堰閘を造りて以て湖水畜洩の限と爲す。然る後に潮市に入らず。且つ餘力を以て復た六井を完うす。又た葑田を取りて湖中に積みて長堤と爲し、以て南北を通ず。人を募りて菱を湖中に種え、其の利を收めて以て湖を修むるに備う。杭人其の堤を名づけて蘇公堤と曰うと云う。
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『智囊』經務・蘇軾蘇軾、杭州に知たりし時、歳、適ま大旱にして、飢疫並び作る。軾、朝に請い、本路の上供米の三の一を免ぜしむ。故に米は翔貴せず。復た度僧牒百を賜わるを得、米に易えて以て飢うる者を救う。明年、方に春なるに、即ち価を減じて常平米を糶し、民は遂に大旱の苦しみを免る。杭州は江海の地にして、水泉は鹹苦、居民稀少なり。唐の刺史李泌、始めて西湖の水を引きて六井を作り、民は水に足り、故に井邑は日びに富む。白居易に及びて復た西湖を濬い、水を放ちて運河に入れ、河より田に入れ、取り溉ぐこと千頃に至る。然れども湖水に葑多く、唐より銭氏に及ぶまで、歳ごとに輒ち開治し、故に湖水は用に足る。宋に至りて廃して理めず、是に至りて湖中に葑積もり、田と為ること一十五万余丈、而して水は幾ばくも無し。運河は河水の利を失えば、則ち江湖に取給し、潮は渾濁にして淤多く、河は闤闠の中を行き、三年に一たび淘うれば、市井の大患たり、而して六井も亦た幾んど廃す。軾、始めて至り、茅山・塩橋の二河を濬い、茅山の一河を以て専ら江潮を受け、塩橋の一河を以て専ら湖水を受く。
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『智囊』經務・蘇州堤蘇州より崑山県に至るまで凡そ七十里、皆な浅水にして陸途無し。民は頗る渉るに病み、久しく長堤を為さんと欲す。而れども沢国にして土を取るに艱む。嘉祐中、人の計を献ずる有り、水中に就きて蘧除・芻藁を以て牆を為り、両行を栽え、相い去ること三尺。牆を去ること六尺にして、又た一牆を為ること、亦た此の如し。水中の淤泥を漉い、蘧除の中に実し、乾くを候ちて、則ち水車を以て両牆の間の旧水を沃ぎ去り、牆間六尺は皆な土なり。其の半ばを留めて以て堤脚と為し、其の半ばを掘りて渠と為し、土を取りて堤と為す。三四里ごとに則ち一橋を為し、以て南北の水を通ず。日ならずして堤成り、遂に永利と為る。
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『宋名臣言行録』後集巻九・蘇軾杭は本と江海の地。水泉は鹹苦なり。唐の刺史李泌始めて西湖の水を引きて六井を作る。民水に足れり。白居易に及びて復た西湖を浚え、水を運河に淤ぎ、河より田に入れ、漑ぐ所千頃に至る。然れども湖水は葑多く、久しく開治を廢す。是に至りて積むこと二十五萬餘丈、而して水は幾ばくも無し。運河は湖水の利を失い、給を江潮に取る。潮は濁りて淤多し。河は闤闠の中を行き、三年に一たび淘う。市井の大患と爲る。而して六井も亦た幾ど廢る。
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『智囊』經務・李若谷・趙昌言安豊の芍陂県は、叔敖の創むる所なり。南北の渠を為り、田を溉ぐこと万頃。民、旱に因りて多く其の間を侵耕し、雨水溢るれば則ち之を盗決し、遂に灌漑の利を失う。李若谷、寿春に知たりて、令を下す、陂の決するも兵夫を起こすを得ず、独り陂に瀕する民を調して之を完築せしむ。是れより盗決する者無し。天雄軍の豪家は芻麦野に亙り、時に奸人は官堤に穴して弊を為す。咸平中、趙昌言、守と為り、廉かに其の事を知り、未だ問わず。一旦、堤潰え、吏、急を告ぐ。昌言、命じて急ぎ豪家の積む所を取りて、給用して堤を塞がしむ。是れより奸は息む。〔馮述評〕近日、東南の漕務は孔だ亟く、冬ごとに壩を作り河を開き、労費は算うる無し。而して丹陽一路は尤も甚だし。其の由を訪うに、則ち居人は歳ごとに夫脚盤剥の値を収め、阻塞を利とす。壩を起こすに当たりては、先ず賄を用いて基を存し、糧の過ぐるを俟ちて後、輒ち深夜に土を填む。冬に至り水涸れれば、疏通を議せざるを得ず。若し李・趙二公の策に依り、一年の労費を竭くして深く開濬を加え、居民に曉示し、後に壅淤あらば、即ち彼の処の自ら撈掘するを責成すれば、庶くは常・鎮の間、或いは肩を息むべきか。或るひと言う、「毎歳の開塞は、独り脚夫のみ之を利とするにあらず、即ち官吏も亦た之を利とす」と。此れは又た愚の敢えて知る所にあらず。
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