智囊 / 經務・李泌
武后以來,承平日久,武備漸弛。開元之末,張說始募長徵兵,謂之弓廣騎,其後益為六軍。及李林甫為相,諸軍皆募人為之,兵不土著,又無宗族,不自重惜,禍亂遂生。德宗與李泌議,欲復舊制,泌對曰:「今歲徵關東卒戍京西者十七萬人,計粟二百四萬斛。國家比遭饑亂,經費不充,未暇復府兵也。」上曰:「亟減戍卒,歸之,如何?」對曰:「陛下誠能用臣之言,可以不減戍卒,不擾百姓,糧食皆足,粟麥日賤,府兵亦成。」上曰:「果能如是乎?」對曰:「此須急為之,過旬月不及矣。今吐蕃久居原、蘭之間,以牛運糧,糧盡,牛無所用。請發左藏惡繒,染為采纈,因党項以市之,每頭二三匹,計十八萬匹,可致六萬餘頭。又命諸冶鑄農器,糴麥種,分賜緣邊軍鎮,募戍卒耕荒田而種之。約明年麥熟,倍償其種,其餘據時價五分增一,官為糴貯,來春種禾亦如之。
新字:武后以来,承平日久,武備漸弛。開元之末,張説始募長徴兵,謂之弓広騎,其後益為六軍。及李林甫為相,諸軍皆募人為之,兵不土著,又無宗族,不自重惜,禍乱遂生。徳宗与李泌議,欲復旧制,泌対曰:「今歳徴関東卒戍京西者十七万人,計粟二百四万斛。国家比遭饑乱,経費不充,未暇復府兵也。」上曰:「亟減戍卒,帰之,如何?」対曰:「陛下誠能用臣之言,可以不減戍卒,不擾百姓,糧食皆足,粟麦日賤,府兵亦成。」上曰:「果能如是乎?」対曰:「此須急為之,過旬月不及矣。今吐蕃久居原、蘭之間,以牛運糧,糧尽,牛無所用。請発左蔵悪繒,染為采纈,因党項以市之,毎頭二三匹,計十八万匹,可致六万余頭。又命諸冶鋳農器,糴麦種,分賜縁辺軍鎮,募戍卒耕荒田而種之。約明年麦熟,倍償其種,其余拠時価五分增一,官為糴貯,来春種禾亦如之。
書き下し
武后より以来、承平日に久しく、武備漸く弛む。開元の末、張説始めて長徴兵を募り、之を弓広騎と謂い、其の後益す六軍と為る。李林甫の相たるに及び、諸軍は皆な人を募りて之を為し、兵は土着せず、又宗族無く、自ら重惜せず、禍乱遂に生ず。徳宗、李泌と議し、旧制に復せんと欲す。泌対えて曰く、「今歳関東の卒を徴して京西を戍る者十七万人、粟二百四万斛を計る。国家比ごろ飢乱に遭い、経費充たず、未だ府兵を復するに暇あらず」と。上曰く、「亟かに戍卒を減じ、之を帰さば、如何」と。対えて曰く、「陛下誠に能く臣の言を用いば、戍卒を減ぜず、百姓を擾さずして、糧食皆な足り、粟麦日に賤く、府兵も亦た成るべし」と。上曰く、「果たして能く是の如きか」と。対えて曰く、「此れ須らく急ぎて之を為すべし。旬月を過ぐれば及ばず。今、吐蕃久しく原、蘭の間に居り、牛を以て糧を運ぶ。糧尽くれば、牛用うる所無し。請う、左蔵の悪繒を発し、染めて采纈と為し、党項に因りて之を市わしめん。毎頭二三匹、十八万匹を計り、六万余頭を致すべし。又諸冶に命じて農器を鋳せしめ、麦種を糴し、分かちて縁辺の軍鎮に賜い、戍卒を募りて荒田を耕して之を種えしめん。明年の麦熟するを約し、倍して其の種を償い、其の余は時価に拠りて五分に一を増し、官は為に糴して貯え、来春の種禾も亦た之の如くせん。
現代語訳
武后の時代以来、太平が長く続き、軍備は次第に緩んだ。開元の末、張説が初めて長期勤務の兵を募り、これを弓広騎と呼び、その後次第に六軍となった。李林甫が宰相になると、諸軍はみな人を募って編成し、兵は土地に根づかず、一族もなく、自分を大切にしないため、禍乱が起こった。徳宗は李泌と協議し、昔の制度に戻そうとした。李泌は答えて言った。「今年、関東の兵を徴発して京の西を守らせているのは十七万人で、穀物は二百四万斛に上ります。国家は近ごろ飢饉と混乱に遭い、経費が足りず、まだ府兵を復活させる余裕がありません」。皇帝は言った。「急いで守備の兵を減らして帰らせてはどうか」。答えて言った。「陛下がもし私の言葉を採用されれば、守備兵を減らさず、百姓を煩わさずに、食糧がみな足り、穀物や麦が日ごとに安くなり、府兵の制度も成り立ちます」。皇帝は言った。「本当にそのようにできるのか」。答えて言った。「これは急いでなさねばならず、一月を過ぎれば間に合いません。今、吐蕃は長く原州と蘭州の間にいて、牛で糧を運んでいます。糧が尽きれば、牛は用がなくなります。どうか左蔵にある粗悪な絹を出し、染めて色模様の布にして、党項族を通じて牛を買わせてください。一頭につき二、三匹の布で、十八万匹で六万頭あまりを得られます。さらに諸々の冶金所に農具を鋳造させ、麦の種を買い入れ、辺境の軍鎮に分けて与え、守備兵を募って荒れ地を耕して種をまかせます。来年の麦の実りを期して、種の倍を返済させ、残りは時価に従って五分の一を上乗せし、官が買い取って貯え、来春の稲の種まきも同様にします。
解説
この章句が説くこと
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史記 南越列伝使者皆東郷し、太后南郷し、王北郷し、相嘉・大臣皆西郷し、侍坐して飲む。嘉の弟将為り、卒を将ゐて宮外に居る。酒行はれ、太后嘉に謂ひて曰く、「南越の内属は、国の利なり、而るに相君苦だ便ならずとする者は、何ぞや」と。以て使者を激怒せしめんとす。使者狐疑して相杖り、遂に敢て発する莫し。嘉耳目の是に非ざるを見て、即ち起ちて出づ。太后怒り、嘉を鏦くに矛を以てせんと欲す、王太后を止む。嘉遂に出で、其の弟の兵を分かちて舎に就き、病と称し、王及び使者に見ゆるを肯ぜず。乃ち陰に大臣と乱を作さんとす。王素より嘉を誅するに意無し、嘉之を知る、故を以て数月発せず。太后淫行有り、国人附かず、独り嘉等を誅せんと欲するも、力又能はず。天子嘉の王に聴かず、王・王太后弱孤にして制すること能はず、使者怯えて決無きを聞く。又以為へらく王・王太后已に漢に附く、独り呂嘉乱を為す、以て兵を興すに足らずと、荘参をして二千人を以て往きて使ひせしめんと欲す。参曰く、「好を以て往かば、数人にて足れり。武を以て往かば、二千人以て為す足る無し」と。辞して可かず、天子参を罷む。郟の壮士、故の済北の相韓千秋奮ひて曰く、「区区たる越を以て、又王・太后の応ずる有り、独り相呂嘉害を為す、願はくは勇士二百人を得て、必ず嘉を斬りて以て報ぜん」と。是に於て天子千秋と王太后の弟樛楽とを遣はし二千人を将ゐて往かしめ、越の境に入る。呂嘉等乃ち遂に反し、令を国中に下して曰く、「王年少し。太后は、中国の人なり、又使者と乱し、専ら内属を欲し、尽く先王の宝器を持して入りて天子に献じて以て自ら媚び、多く人を従へ、行きて長安に至り、虜売して以て僮僕と為さんとす。自ら一時の利を脱するを取り、趙氏の社稷を顧み、万世の為に慮計するの意無し」と。乃ち其の弟と卒を将ゐて王・太后及び漢の使者を攻め殺す。
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