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智囊 / 經務・富弼・滕元發・原杰

成化初,陝西至荊、襄、唐、鄧一路,皆長山大谷,綿亙千里,所至流逋藏聚為梗,劉千斤因之作亂,至李鬍子復亂,流民無慮數萬。都御史項忠下令有司逐之,道死者不可勝計。祭酒周洪謨憫之,乃著《流民說》,略曰:「東晉時,庐、鬆、滋之民流至荊州,乃僑置滋縣於荊江之南。陝西,雍州之民流聚襄陽,乃僑置南雍州於襄水之側。其後鬆,滋遂隸於荊州,南雍遂並於襄陽,迄今千載,寧謐如故。此前代處置得宜之效。今若聽其近諸縣者附籍,遠諸縣者設州縣以撫之,置官吏,編里甲,寬徭役,使安生理,則流民皆齊民矣,何以逐為?」李賢深然其說。至成化十一年,流民復集如前,賢乃援洪謨說上之。

新字:成化初,陝西至荊、襄、唐、鄧一路,皆長山大谷,綿亙千里,所至流逋蔵聚為梗,劉千斤因之作乱,至李鬍子復乱,流民無慮数万。都御史項忠下令有司逐之,道死者不可勝計。祭酒周洪謨憫之,乃著《流民説》,略曰:「東晋時,庐、鬆、滋之民流至荊州,乃僑置滋県於荊江之南。陝西,雍州之民流聚襄陽,乃僑置南雍州於襄水之側。其後鬆,滋遂隸於荊州,南雍遂並於襄陽,迄今千載,寧謐如故。此前代処置得宜之効。今若聴其近諸県者附籍,遠諸県者設州県以撫之,置官吏,編里甲,寛徭役,使安生理,則流民皆斉民矣,何以逐為?」李賢深然其説。至成化十一年,流民復集如前,賢乃援洪謨説上之。

書き下し

成化の初め、陝西より荊、襄、唐、鄧に至る一路は、皆な長山大谷にして、綿亙すること千里。至る所流逋藏聚して梗を為す。劉千斤之に因りて乱を作し、李鬍子に至りて復た乱る。流民は無慮数万なり。都御史項忠、有司に下令して之を逐わしむ。道に死する者勝げて数うべからず。祭酒周洪謨之を憫れみ、乃ち流民説を著す。略に曰く、「東晋の時、廬、鬆、滋の民流れて荊州に至り、乃ち滋県を荊江の南に僑置す。陝西、雍州の民流聚して襄陽に至り、乃ち南雍州を襄水の側に僑置す。其の後鬆、滋遂に荊州に隷し、南雍遂に襄陽に並し、今に迄るまで千載、寧謐なること故の如し。此れ前代処置得宜の効なり。今若し其の諸県に近き者は籍に附するを聴し、遠き諸県は州県を設けて以て之を撫し、官吏を置き、里甲を編み、徭役を寛くして、生理に安んぜしめば、則ち流民は皆な斉民なり、何ぞ逐うを以てせん」と。李賢深く其の説を然りとす。成化十一年に至り、流民復た集まること前の如し。賢乃ち洪謨の説を援きて之を上る。

現代語訳

成化の初め、陝西から荊州、襄陽、唐州、鄧州に至る一帯は、すべて長い山と大きな谷で、千里にわたって続いている。至る所に逃れてきた者が隠れ集まって災いとなった。劉千斤がこれに乗じて乱を起こし、李鬍子に至ってまた乱れた。流民はおよそ数万人であった。都御史の項忠は、役人に命じてこれを追い出させた。道で死ぬ者は数えきれなかった。国子祭酒の周洪謨はこれを憐れみ、「流民説」を著した。その要旨は次のとおり。「東晋の時代、廬州、鬆州、滋州の民が流れて荊州に至り、そこで滋県を荊江の南に仮に設けた。陝西、雍州の民が流れ集まって襄陽に至り、そこで南雍州を襄水のほとりに仮に設けた。その後、鬆県と滋県は荊州に属し、南雍州は襄陽に併合されて、今に至るまで千年、穏やかなことは昔のままである。これは前代の処置が適切だった効果である。今もし、近い県にいる者は戸籍に加えることを許し、遠い地域の者には州や県を設けて安んじ、役人を置き、里甲を編成し、徭役を軽くして生業に安んじさせれば、流民は皆普通の民となる。どうして追い出す必要があろうか」。李賢はこの説に深く賛同した。成化十一年に至り、流民がまた以前のように集まった。そこで李賢は洪謨の説を引いて上奏した。

解説

流民を力で追い払う項忠の施策は、道に死者を出すだけで、問題の根本を解決しませんでした。周洪謨は、東晋の時代に避難民のために仮の県を置き、後に定着させた前例を引き、追い出すのではなく受け入れて民にする案を示しています。力による排除は一時の治安を保っても、また同じ人々が戻ってくるだけです。現代の職場でも、問題を抱えた人や居場所のない人を排除するだけでは、同種の問題が繰り返されます。居場所と役割を用意して組織の一員に組み込む発想が、長期の安定を生みます。

この章句が説くこと

何以逐為僑置流民皆斉民受け入れ人材登用先例に学ぶ

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