智囊 / 剖疑・隋郎將・賀齊
隋妖賊宋子賢潛謀作亂,將為無遮佛會,因舉火襲擊乘輿。事泄,鷹揚郎將以兵捕之。夜至其所,繞其所居,但見火坑,兵不敢進。郎將曰:「此地素無坑,止妖妄耳。」乃進,無復火矣,遂擒斬之。賀齊為將軍,討山賊。賊中有善禁者,每交戰,官軍刀劍不得擊,射矢皆還自向。賀曰:「吾聞金有刃者可禁,蟲有毒者可禁。彼能禁吾兵,必不能禁無刃之器。」乃多作勁木白棓,選健卒五千人為先登。賊恃善禁,不設備。官軍奮棓擊之,禁者果不復行,所擊殺萬計。
新字:隋妖賊宋子賢潜謀作乱,将為無遮仏会,因舉火襲撃乗輿。事泄,鷹揚郎将以兵捕之。夜至其所,繞其所居,但見火坑,兵不敢進。郎将曰:「此地素無坑,止妖妄耳。」乃進,無復火矣,遂擒斬之。賀斉為将軍,討山賊。賊中有善禁者,毎交戦,官軍刀剣不得撃,射矢皆還自向。賀曰:「吾聞金有刃者可禁,虫有毒者可禁。彼能禁吾兵,必不能禁無刃之器。」乃多作勁木白棓,選健卒五千人為先登。賊恃善禁,不設備。官軍奮棓撃之,禁者果不復行,所撃殺万計。
書き下し
隋の妖賊宋子賢、潜かに謀りて乱を作さんとし、将に無遮の仏会を為さんとして、因りて火を挙げて乗輿を襲撃せんとす。事泄れ、鷹揚郎将、兵を以て之を捕らう。夜其の所に至り、其の居る所を繞るに、但だ火坑を見るのみ、兵敢えて進まず。郎将曰く、「此の地は素より坑無し。止だ妖妄のみ」と。乃ち進めば、復た火無く、遂に之を擒斬す。賀斉、将軍と為りて山賊を討つ。賊中に善く禁ずる者有り、交戦する毎に、官軍の刀剣は撃つを得ず、射る矢は皆還りて自ら向かう。賀曰く、「吾聞く、金の刃有る者は禁ずべく、虫の毒有る者は禁ずべしと。彼能く吾が兵を禁ずるも、必ず無刃の器を禁ずること能わず」と。乃ち多く勁木の白棓を作り、健卒五千人を選びて先登と為す。賊、禁に恃みて備えを設けず。官軍奮いて棓もて之を撃てば、禁ずる者果たして復た行われず、撃殺する所万を以て計う。
現代語訳
隋の時代、妖術使いの賊、宋子賢はひそかに反乱を企て、無遮の仏会を開くふりをして、その場で火を放ち天子の乗り物を襲おうとした。事が漏れ、鷹揚郎将が兵を率いて捕らえに向かった。夜にその場所へ着き、住まいの周りを見ると、燃える火の穴ばかりが見え、兵は進もうとしなかった。郎将は言った。「この土地にはもともと穴などない。ただの妖しいまやかしだ」。そこで進むと、もう火はなく、ついに捕らえて斬った。賀斉は将軍として山賊を討った。賊の中に呪いで封じる術に長けた者がいて、戦うたびに官軍の刀剣は打てず、放つ矢はみな自分の方へ戻ってきた。賀斉は言った。「聞くところでは、刃のある金属は封じられ、毒のある虫も封じられるという。だが彼らが私の兵の武器を封じられても、刃のない道具までは封じられないはずだ」。そこで丈夫な木の白い棒を多く作り、屈強な兵五千人を選んで先鋒とした。賊は術を頼みにして備えをしていなかった。官軍が奮って棒で撃つと、術はやはり効かなくなり、撃ち殺した数は万に及んだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 南越列伝使者皆東郷し、太后南郷し、王北郷し、相嘉・大臣皆西郷し、侍坐して飲む。嘉の弟将為り、卒を将ゐて宮外に居る。酒行はれ、太后嘉に謂ひて曰く、「南越の内属は、国の利なり、而るに相君苦だ便ならずとする者は、何ぞや」と。以て使者を激怒せしめんとす。使者狐疑して相杖り、遂に敢て発する莫し。嘉耳目の是に非ざるを見て、即ち起ちて出づ。太后怒り、嘉を鏦くに矛を以てせんと欲す、王太后を止む。嘉遂に出で、其の弟の兵を分かちて舎に就き、病と称し、王及び使者に見ゆるを肯ぜず。乃ち陰に大臣と乱を作さんとす。王素より嘉を誅するに意無し、嘉之を知る、故を以て数月発せず。太后淫行有り、国人附かず、独り嘉等を誅せんと欲するも、力又能はず。天子嘉の王に聴かず、王・王太后弱孤にして制すること能はず、使者怯えて決無きを聞く。又以為へらく王・王太后已に漢に附く、独り呂嘉乱を為す、以て兵を興すに足らずと、荘参をして二千人を以て往きて使ひせしめんと欲す。参曰く、「好を以て往かば、数人にて足れり。武を以て往かば、二千人以て為す足る無し」と。辞して可かず、天子参を罷む。郟の壮士、故の済北の相韓千秋奮ひて曰く、「区区たる越を以て、又王・太后の応ずる有り、独り相呂嘉害を為す、願はくは勇士二百人を得て、必ず嘉を斬りて以て報ぜん」と。是に於て天子千秋と王太后の弟樛楽とを遣はし二千人を将ゐて往かしめ、越の境に入る。呂嘉等乃ち遂に反し、令を国中に下して曰く、「王年少し。太后は、中国の人なり、又使者と乱し、専ら内属を欲し、尽く先王の宝器を持して入りて天子に献じて以て自ら媚び、多く人を従へ、行きて長安に至り、虜売して以て僮僕と為さんとす。自ら一時の利を脱するを取り、趙氏の社稷を顧み、万世の為に慮計するの意無し」と。乃ち其の弟と卒を将ゐて王・太后及び漢の使者を攻め殺す。
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『甲陽軍鑑』品第十四さありて此度長篠にて勝頼公の人数甲州衆うへの原に加藤丹後を残し置き、其余は一円に立て是八千なり、上野衆四千信濃より六千合せて一万八千の内、鳶が巣に千又長篠城奥平押へに千おきて、残る一万六千をもつて七万あまりの人数の節所を三ツまで搆へ、柵の木を三重にふりて待ちかまへてゐる所へ、面もふらずかゝるは、敵四人こなた一人のつもりなれ共、節所と柵の木とを考れば是又敵に十万の加勢なり、縦へば十七万の人数の籠りたる城を一万六千にて責めたるごとくなり、信玄公つねの智略にも千籠りたる城をば、二四の人数にてせめんと定め給ふ、五千にてはことあやうしと有り、
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『大和俗訓』巻之八・応接一人のするわざ、其善悪十分に知れて、明白なること有り。又其事の有様、其人の心の中、善きも悪しきも、明かに知らざること多し。我が心に悪ししと思ふことも、その実をよく尋ぬれば、道理あることあり。善しと思ふことにも、善からざることあり。かやうのこと唐もやまとも、古今多し。天下皆非なるの理なしと、古人もいへり。何事も、人のしわざに故あらんと思ひ、妄に人を悪みそしるべからず。又妄に誉むべからず。
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