智囊 / 剖疑・漢昭帝
昭帝初立,燕王旦怨望謀反。而上官桀忌霍光,因與旦通謀,詐令人為旦上書,言:「光出都,肄郎羽林疑習軍官。道上稱蹕,擅調益幕府校尉,專權自恣,疑有非常。」俟光出沐日奏之,帝不肯下。光聞之,止畫室中不入。上問:「大將軍安在?」桀曰:「以燕王發其罪,不敢入。」詔召光入,光免冠頓首謝,上曰:「將軍冠,朕知是書詐也,將軍無罪。」光曰:「陛下何以知之?」上曰:「將軍調校尉以來未十日,燕王何以知之?」時帝年十四,尚書左右皆驚,而上書者果亡。
新字:昭帝初立,燕王旦怨望謀反。而上官桀忌霍光,因与旦通謀,詐令人為旦上書,言:「光出都,肄郎羽林疑習軍官。道上称蹕,擅調益幕府校尉,専権自恣,疑有非常。」俟光出沐日奏之,帝不肯下。光聞之,止画室中不入。上問:「大将軍安在?」桀曰:「以燕王発其罪,不敢入。」詔召光入,光免冠頓首謝,上曰:「将軍冠,朕知是書詐也,将軍無罪。」光曰:「陛下何以知之?」上曰:「将軍調校尉以来未十日,燕王何以知之?」時帝年十四,尚書左右皆驚,而上書者果亡。
書き下し
昭帝、初めて立つや、燕王旦、怨望して反を謀る。而して上官桀、霍光を忌み、因りて旦と通謀し、詐りて人をして旦の為に上書せしむ。言う、「光、都を出でて、郎羽林を肄し、軍官を疑習す。道上にて蹕を称し、擅に幕府の校尉を調益す。権を専らにして自ら恣にし、非常有るかと疑う」と。光が出沐の日を俟ちて之を奏す。帝、下すを肯んぜず。光、之を聞き、画室の中に止まりて入らず。上、問う、「大将軍は安くにか在る」と。桀曰く、「燕王の其の罪を発くを以て、敢えて入らず」と。詔して光を召し入らしむ。光、冠を免じ頓首して謝す。上曰く、「将軍、冠せよ。朕、是の書の詐なるを知る。将軍に罪無し」と。光曰く、「陛下、何を以て之を知るか」と。上曰く、「将軍、校尉を調して以来、未だ十日ならず。燕王、何を以て之を知らんや」と。時に帝は年十四。尚書の左右、皆な驚く。而して上書する者、果たして亡ぐ。
現代語訳
昭帝が即位した当初、燕王の劉旦は不満を抱いて反乱を企てた。上官桀は霍光を嫌っていたので、旦と通じ、人に偽って旦の名で上書させた。内容はこうである。「霍光は都を出て、郎や羽林の兵を訓練し、軍官の演習を行いました。道中で先払いの声をあげ、幕府の校尉を勝手に増員しました。権力を独占して思うままにふるまい、不測の事態をたくらんでいるのではないかと疑います」。霍光が休暇で沐浴する日を待って、これを奏上した。帝は取り上げなかった。霍光はこれを聞き、画室の中に留まって入ってこなかった。帝が「大将軍はどこにいるか」と尋ねると、上官桀は「燕王に罪をあばかれたので、あえて入らないのです」と答えた。詔して光を呼び入れると、光は冠を脱いで額を地につけ謝罪した。帝は言った。「将軍、冠をかぶりなさい。朕はこの書簡が偽りだと知っている。将軍に罪はない」。光は「陛下はどうしてそれをお知りになったのですか」と尋ねた。帝は言った。「将軍が校尉を調達してから、まだ十日にならない。燕王は遠くにいてどうしてそれを知り得ようか」。そのとき帝は十四歳であった。尚書の左右の者はみな驚いた。上書した者は、果たして逃亡した。
解説
この章句が説くこと
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論語・顔淵篇子張、明を問う。子曰く、「浸潤の譖、膚受の愬、行われざれば、明と謂う可きのみ。浸潤の譖、膚受の愬、行われざれば、遠しと謂う可きのみ。」
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荀子・大略篇語に曰く、「流丸(りゅうがん)は甌臾(おうゆ)に止まり、流言は知者に止まる」と。此れ家言(かげん)邪説の儒者を悪(にく)む所以(ゆゑん)なり。是非疑はしければ、則ち之を度(はか)るに遠き事を以てし、之を験(ため)すに近き物を以てし、之に参(まじ)ふるに平らかなる心を以てす。流言焉(ここ)に止まり、悪言焉に死す。
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『墨子』節葬下是の故に子墨子曰く、郷に吾が本と言えらく、意うに亦た其の言をして、其の謀を用いて、厚葬久喪を計るに、誠に以て貧を富まし、寡を衆くし、危を定め、亂を治む可からんか。則ち仁なり、義なり、孝子の事なり。人の為に謀る者は、勸めざる可からざるなり。意うに亦た其の言に法り、其の謀を用いて、人の若きの厚葬久喪、實に以て貧を富まし、寡を衆くし、危を定め、亂を治む可からざらんか。則ち仁に非ざるなり、義に非ざるなり、孝子の事に非ざるなり。人の為に謀る者は、沮まざる可からざるなり。是の故に以て國家を富まさんことを求むるも、甚だ貧を得たり。以て人民を衆くせんと欲するも、甚だ寡を得たり。以て刑政を治めんと欲するも、甚だ亂を得たり。以て大國の小國を攻むるを禁止せんことを求むるも、既已に不可なり。以て上帝鬼神の福を千めんと欲するも、又た禍を得たり。上、之を堯舜禹湯文武の道に稽うるに、政、之に逆らう。下、之を桀紂幽厲の事に稽うるに、猶お節を合わするがごとし。若し此を以て觀れば、則ち厚葬久喪は、其れ聖王の道に非ざるなり。
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史記 孝武本紀泰一の用ゐる所は、雍の一畤の物の如く、而して醴棗脯の属を加へ、一犛牛を殺して以て俎豆の牢具と為す。而して五帝は独り俎豆醴の進有り。其の下の四方の地は、餟食の為に群神の従者及び北斗を云ふ。已に祠れば、胙の余は皆之を燎く。其の牛の色は白、鹿其の中に居り、彘鹿の中に在り、水にて之を洎(ひた)す。日を祭るに牛を以てし、月を祭るに羊彘特を以てす。泰一の祝宰は則ち紫及び繡を衣る。五帝は各々其の色の如くし、日は赤、月は白。十一月辛已朔旦冬至、昧爽、天子始めて郊して泰一を拝す。朝に日を朝し、夕に月を夕すれば、則ち揖す。而して泰一に見ゆること雍の礼の如くす。其の贊饗に曰く、「天始めて宝鼎神筴を以て皇帝に授く、朔にして又朔、終はりて復た始まる、皇帝敬ひて拝し焉に見ゆ。」と。而して衣は黄を上ぶ。其の祠火を列ねて壇に満たし、壇の旁に烹炊の具あり。有司云ふ「祠上に光有り」と。公卿言ふ「皇帝始めて泰一に雲陽に郊見す、有司瑄玉嘉牲を奉じて薦饗す。是の夜美光有り、昼に及びて、黄気上りて天に属す。」と。太史公・祠官寛舒等曰く、「神霊の休、祐福兆祥なり、宜しく此の地の光域に因りて泰畤の壇を立て以て応を明らかにすべし。太祝をして領せしめ、(祀)[秋]及び臘の間に祠らしめん。三歳に天子一たび郊見せん。」と。其の秋、南越を伐たんが為に、泰一に告禱し、牡荊を以て幡に日月北斗登龍を画き、以て天一三星に象り、泰一の鋒と為し、名づけて「霊旗」と曰ふ。兵の為に禱れば、則ち太史奉じて以て伐つ所の国を指す。而して五利将軍使ひして敢へて海に入らず、泰山に之きて祠る。上人をして微かに随ひて験せしむるに、実に見る所無し。五利妄りに其の師を見たりと言ふ、其の方尽き、多く讎(あた)らず。上乃ち五利を誅す。其の冬、公孫卿神を河南に候ひ、僊人の跡を緱氏城の上に見る、物有り雉の若く、城上を往来す。天子親ら緱氏城に幸して跡を視る。卿に問ふ、「文成・五利に効ふこと毋きを得んや。」と。
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史記 扁鵲倉公列伝潘満如の病を知る所以の者は、臣意其の脈を切するに深く小さく弱く、其の卒然として合合するなり。是れ脾気なり。右の脈口の気至ること緊小にして、瘕気を見るなり。次を以て相乗ず。故に三十日にして死す。三陰倶に摶つ者は、法の如し。倶には摶たざる者は、決は急期に在り。一たび摶ち一たび代はる者は、近し。故に其の三陰摶ち、血を溲すること前の如くして止む。陽虚侯の相趙章病み、臣意を召す。衆医皆以て寒中と為す。臣意其の脈を診して曰く、「迵風なり」と。迵風なる者は、飲食嗌を下りて輒ち出でて留まらず。法に曰く、「五日にして死す」と。而るに後十日にして乃ち死す。病は之を酒に得たり。趙章の病を知る所以の者は、臣意其の脈を切するに、脈来ること滑なり。是れ内風の気なり。飲食嗌を下りて輒ち出でて留まらざる者は、法として五日にして死す。皆前の分界の法なり。後十日にして乃ち死し、期を過ぐる所以の者は、其の人粥を嗜む。故に中蔵実す。中蔵実す、故に期を過ぐ。師言ひて曰く、「穀に安んずる者は期を過ぎ、穀に安んぜざる者は期に及ばず」と。済北王病み、臣意を召して其の脈を診せしむ。曰く、「風蹶して胸満つ」と。即ち為に薬酒を為る。三石を尽くして、病已ゆ。之を汗出でて地に伏すに得たり。済北王の病を知る所以の者は、臣意其の脈を切する時、風気なり、心脈濁る。病法に「過ぎて其の陽に入り、陽気尽きて陰気入る」と。陰気入りて張れば、則ち寒気上りて熱気下る。故に胸満つ。汗出でて地に伏す者は、其の脈を切するに、気陰なり。陰気なる者は、病必ず中に入り、出づること瀺水に及ぶなり。斉の北宮司空の命婦出於病む。衆医皆以て風中に入り、病は主として肺に在りと為し、其の足の少陽の脈を刺す。臣意其の脈を診して曰く、「病は気疝にして、膀胱に客たり。前後に溲するに難くして、溺赤し。病寒気を見れば則ち遺溺し、人をして腹腫れしむ」と。出於の病は之を溺せんと欲して得ず、因りて以て接内するに得たり。
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史記 越王句践世家二歳にして呉、蠡を帰す。句践、会稽より帰りて七年、其の士民を拊循し、用ひて以て呉に報いんと欲す。大夫逢同諫めて曰く、「国新たに流亡し、今乃ち復た殷給す。繕飾して利を備へば、呉必ず懼れん。懼るれば則ち難必ず至らん。且つ鷙鳥の撃つや、必ず其の形を匿す。今夫れ呉は兵を斉・晋に加へ、怨みは楚・越に深く、名は天下に高く、実は周室を害す。徳少なくして功多く、必ず淫して自ら矜らん。越の為に計るに、斉に結び、楚に親しみ、晋に附きて、以て呉を厚くするに若くは莫し。呉の志広ければ、必ず戦ひを軽んぜん。是れ我其の権を連ね、三国之を伐ち、越其の弊に承ずれば、克つべきなり」と。句践曰く、「善し」と。居ること二年、呉王将に斉を伐たんとす。子胥諫めて曰く、「未だ可ならず。臣聞く、句践は食に味を重ねず、百姓と苦楽を同じくすと。此の人死せずんば、必ず国の患と為らん。呉に越有るは、腹心の疾なり。斉の呉に与けるは、疥癬なり。願はくは王、斉を釈きて越を先にせよ」と。呉王聴かず、遂に斉を伐ち、之を艾陵に敗り、斉の高・国を虜にして以て帰る。子胥を譲む。子胥曰く、「王喜ぶ毋かれ」と。王怒り、子胥自殺せんと欲す。王聞きて之を止む。越の大夫種曰く、「臣、呉王の政を観るに驕れり。請ふ試みに之に粟を貸らんことを嘗み、以て其の事を卜せん」と。貸らんことを請ふ。呉王与へんと欲し、子胥与ふる勿かれと諫む。王遂に之に与ふ。越乃ち私かに喜ぶ。子胥言ひて曰く、「王諫めを聴かず、後三年にして呉其れ墟とならんか」と。太宰嚭之を聞き、乃ち数々子胥と越の議を争ひ、因りて子胥を讒して曰く、「伍員は貌は忠なれども実は忍人なり。其の父兄をすら顧みず、安んぞ能く王を顧みんや。王前に斉を伐たんと欲するや、員彊く諫む。已にして功有り、是を用て反りて王を怨む。王、伍員に備へずんば、員必ず乱を為さん」と。逢同と共に謀り、之を王に讒す。王始め従はず。乃ち子胥を斉に使はす。其の子を鮑氏に託するを聞き、王乃ち大いに怒りて曰く、「伍員果たして寡人を欺けり」と。役より反り、人をして子胥に属鏤の剣を賜ひて以て自殺せしむ。
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