智囊 / 億中・李泌・李絳
制命至魏州,興感泣流涕,士眾無不鼓舞。李絳又言:「魏博五十餘年不沾皇化,一旦舉六州之地來歸,刳河朔之腹心,傾叛亂之巢穴,不有重賞過其所望,則無以慰士卒之心,使四鄰勸慕。請發內庫錢百五十萬緡以賜之。」左右宦官以為太多,絳曰:「田興不貪專地之利,不顧四鄰之患,歸命聖朝,陛下奈何愛小費而遺大計,不以收一道人心哉?借使國家發十五萬兵以取六州,期年而克之,其費豈止百五十萬緡已乎?」上悅曰:「朕所以惡衣菲食,蓄聚貨財,正為平定四方。不然,徒貯之府庫何為?」即遣知制誥裴度至魏博宣慰,以錢百五十萬賞軍士,六州百姓給復一年。軍士受賜,歡聲如雷。成德、兗鄆使者數輩見之,相顧失色,歎曰:「倔強果何益乎?」李泌嘗言:「善料敵者,料將不料兵。」泌之策陝城,絳之揣魏博,皆料將法也。
新字:制命至魏州,興感泣流涕,士衆無不鼓舞。李絳又言:「魏博五十余年不沾皇化,一旦舉六州之地来帰,刳河朔之腹心,傾叛乱之巣穴,不有重賞過其所望,則無以慰士卒之心,使四鄰勧慕。請発内庫銭百五十万緡以賜之。」左右宦官以為太多,絳曰:「田興不貪専地之利,不顧四鄰之患,帰命聖朝,陛下奈何愛小費而遺大計,不以収一道人心哉?借使国家発十五万兵以取六州,期年而克之,其費豈止百五十万緡已乎?」上悦曰:「朕所以悪衣菲食,蓄聚貨財,正為平定四方。不然,徒貯之府庫何為?」即遣知制誥裴度至魏博宣慰,以銭百五十万賞軍士,六州百姓給復一年。軍士受賜,歓声如雷。成徳、兗鄆使者数輩見之,相顧失色,嘆曰:「倔強果何益乎?」李泌嘗言:「善料敵者,料将不料兵。」泌之策陝城,絳之揣魏博,皆料将法也。
書き下し
制命、魏州に至り、興は感泣して涕を流し、士衆は鼓舞せざる無し。李絳又た言う、「魏博は五十餘年、皇化に沾わず、一旦六州の地を挙げて来り帰す。河朔の腹心を刳り、叛乱の巣穴を傾く。重賞の其の望みを過ぐる有らずんば、則ち以て士卒の心を慰め、四鄰をして勧慕せしむる無し。請う、内庫の銭百五十万緡を発して以て之に賜わんことを」と。左右の宦官以て太だ多しと為す。絳曰く、「田興は専地の利を貪らず、四鄰の患いを顧みず、命を聖朝に帰す。陛下奈何ぞ小費を愛しみて大計を遺れ、以て一道の人心を収めざるや。借使い国家が十五万の兵を発して以て六州を取り、期年にして之に克たば、其の費豈に唯だ百五十万緡のみならんや」と。上悦びて曰く、「朕の悪衣菲食して、貨財を蓄聚する所以は、正に四方を平定せんが為なり。然らずんば、徒だ之を府庫に貯えて何をか為さん」と。即ち知制誥裴度を遣わして魏博に至り宣慰せしめ、銭百五十万を以て軍士を賞し、六州の百姓は復を給すること一年なり。軍士賜を受け、歓声雷の如し。成徳・兗鄆の使者数輩、之を見て相い顧みて色を失い、歎じて曰く、「倔強にして果たして何の益あらんや」と。李泌嘗て言う、「善く敵を料る者は、将を料りて兵を料らず」と。泌の陝城を策し、絳の魏博を揣るは、皆な将を料るの法なり。
現代語訳
任命の詔が魏州に届くと、田興は感激して涙を流し、兵士たちは皆奮い立った。李絳はさらに言った。「魏博は五十年余り、朝廷の教化に浴さずにいましたが、一旦、六州の土地を挙げて帰順しました。河北の腹心を抜き取り、叛乱の巣窟を傾けたのです。望み以上の重い賞がなければ、兵士たちの心を慰め、近隣の者に慕って従う気持ちを起こさせることはできません。どうか内庫の銭百五十万緡を出して賜ることを願います」。側近の宦官は多すぎると言った。絳は言った。「田興は独り占めの利益を貪らず、近隣の災いを顧みず、聖朝に命を委ねました。陛下はなぜ小さな出費を惜しんで大計を忘れ、一道の人心を収めないのですか。もし国家が十五万の兵を出して六州を取ろうとし、一年かけて勝ったとして、その費用はたった百五十万緡で済むでしょうか」。皇帝は喜んで言った。「朕が粗末な衣食に耐え、財貨を蓄えているのは、まさに四方を平定するためだ。そうでなければ、ただ蔵に貯めておいて何になる」。すぐに知制誥の裴度を魏博に遣わして慰撫させ、銭百五十万で軍士を賞し、六州の民は一年の免税を受けた。兵士たちは褒賞を受け、歓声は雷のようであった。成徳・兗鄆の使者数人がこれを見て、顔を見合わせて色を失い、嘆いて言った。「意地を張って何の得があろうか」。李泌はかつて言った。「敵をよく推し量る者は、将を推し量り、兵を推し量らない」。泌が陝城を図り、絳が魏博を読んだのは、どちらも将を推し量る方法であった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』襄公十年 偪陽の戦い十年春、柤(さ)に會す。吳子壽夢に會するなり。三月癸丑、齊の高厚、大子光を相(たす)けて、以て先づ諸侯に鍾離に會するに、敬まず。士莊子曰く、「高子、大子を相けて以て諸侯に會す。將に社稷を是れ衛らんとするに、皆敬まず。社稷を棄つるなり。其れ將に免れざらんか」と。夏四月戊午、柤に會す。晉の荀偃・士匄、偪陽(ひつやう)を伐ちて宋の向戌を封ぜんことを請ふ。荀罃曰く、「城小にして固し。之に勝つも武ならず、勝たずんば笑ひと為らん」と。固く請ふ。丙寅、之を圍む。克たず。孟氏の臣秦堇父(しんきんぽ)、重を輦(ひ)きて役に如く。偪陽人、門を啟く。諸侯の士、門す。縣門發す。郰人(すうひと)紇(こつ)、之を抉(かか)げて、以て門に入りし者を出だす。狄虒彌(てきしび)、大車の輪を建てて、之を蒙ふに甲を以てし、以て櫓と為し、左に之を執り、右に戟を拔きて、以て一隊を成す。孟獻子曰く、「詩に所謂『力有ること虎の如し』といふ者なり」と。主人、布を縣く。堇父、之に登る。
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『墨子』辭過子墨子曰く、古の民、未だ宫を為るを知らざる時、陵阜に就きて以て居り、穴して處る。下、潤濕にして民を傷る。故に聖王、作りて宫室を為る。宫室を為るの法に曰く、髙さは以て潤濕を辟くるに足り、邊は以て風寒を圉ぐに足り、上は以て雪霜雨露を待つに足り、宫牆の髙さは、以て男女の禮を别つに足る。謹んで此に止まり、財を費やし力を勞して利を加えざる者は、為さざるなり。是の故に聖王の宫室を作り為るは、生に使するにして、以て觀樂を為さざるなり。衣服・帯履を作り為るは、身に便なるにして、以て辟怪を為さざるなり。故に身に節し、民に誨う。是を以て天下の民、得て治む可く、財用、得て足る可し。今の主に當たりては、其の宫室を為るや則ち此と異なれり。必ず厚く百姓に作斂し、暴かに民の衣食の財を奪いて、以て宫室・臺榭・曲直の望、青黄刻鏤の飾りを為る。宫室を為ること此くの若し。故に左右皆な之に法象す。是を以て其の財、以て凶饑を待ち孤寡を賑わすに足らず。故に國貧しくして民治め難きなり。君、實に天下の治を欲して其の亂を惡まば、當に宫室を為るは節せざる可からず。
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『墨子』節用中是の故に古者、聖王、制して節用の法を為りて曰く、「凡そ天下の羣百工、輪・車・鞼・匏・陶・冶・梓・匠は、各おの其の能くする所に從事せしむ」と。曰く、「凡そ以て民用に奉給するに足る諸れは、費を加えて民の利を加えざれば則ち止む」と。
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『墨子』節用中古者、聖王、制して衣服の法を為りて曰く、「冬は紺緅の衣を服て輕くして且つ暖かく、夏は絺綌の衣を服て輕くして且つ凊しければ、則ち諸を止む」と。費を加えて民の利に加えざる者は、聖王、為さず。
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『韓非子』南面第十八人主、人臣をして言はしむる者は、必ず其の端を知りて以て其の実を責む。言はざる者は、必ず其の取舎を問ひて以て之が責を為す。則ち人臣敢へて妄言すること莫く、又敢へて黙然たらず。言・黙則ち皆責有るなり。人主事を為さんと欲して、其の端末に通ぜずして、以て其の欲を明らかにすれば、之を為す者有るも、其の為すこと利を得ず、必ず害を以て反る。此れを知る者は、理に任じて欲を去る。事を挙ぐるに道有り。其の入ることの多く、其の出づることの少なきを計る者は、為すべきなり。惑主は然らず。其の入るを計りて、其の出づるを計らず。出づること其の入るに倍すと雖も、其の害を知らず。則ち是れ名得て実亡ぶ。是くの如き者は功小にして害大なり。凡そ功なる者は、其の入ること多く、其の出づること少なくして、乃ち功と謂ふべし。
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『商君書』徠民且つ周軍の勝、華軍の勝、長平の勝、秦の民を亡う所の者は幾何ぞ、民客の兵にして本を事とするを得ざる者は幾何ぞ。臣竊かに以て數うべからずと為すなり。假使し王の群臣に、能くこれを用うる有りて、此れの半ばを費やして、晉を弱め秦を強くすること、三戰の勝の若き者あらば、王は必ず大賞を加えん。今、臣の言う所は、民に一日の繇無く、官に數錢の費無くして、その晉を弱め秦を強くすること三戰の勝に過ぐる有り。而るに王は猶お以て不可と為さば、則ち臣愚にして知る能わざるのみ。
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