智囊 / 億中・李泌・李絳
既入城視事,賓佐有請屏人白事者,泌曰:「易帥之際,軍中煩言,乃其常理,泌到自妥,不願聞也。」泌但索簿書治糧儲。明日,抱暉到宅,語之曰:「吾非愛汝而不誅,恐自今危疑之地,朝廷所命,將帥不能入,故丐汝餘生。汝為我齎版幣祭節使,慎無入關,自擇安處,潛來取家,保無他也。」泌之行也,上籍陝將預亂者七十五人授泌,使誅之。泌既遣抱暉,日中,宣慰使至,泌奏:已遣抱暉,餘不足問。」上復遣中使詣陝,必使誅之。泌不得已,械兵馬使林滔等五人送京師,懇請赦宥,詔謫戍天德軍,而抱暉遂亡命。〔馮述評〕傳稱鄴侯好大言,然才如鄴侯方許大言。古來大言者二人,東方朔、李鄴侯是也。
新字:既入城視事,賓佐有請屏人白事者,泌曰:「易帥之際,軍中煩言,乃其常理,泌到自妥,不願聞也。」泌但索簿書治糧儲。明日,抱暉到宅,語之曰:「吾非愛汝而不誅,恐自今危疑之地,朝廷所命,将帥不能入,故丐汝余生。汝為我齎版幣祭節使,慎無入関,自択安処,潜来取家,保無他也。」泌之行也,上籍陝将預乱者七十五人授泌,使誅之。泌既遣抱暉,日中,宣慰使至,泌奏:已遣抱暉,余不足問。」上復遣中使詣陝,必使誅之。泌不得已,械兵馬使林滔等五人送京師,懇請赦宥,詔謫戍天徳軍,而抱暉遂亡命。〔馮述評〕伝称鄴侯好大言,然才如鄴侯方許大言。古来大言者二人,東方朔、李鄴侯是也。
書き下し
既に城に入りて事を視るや、賓佐に人を屏けて事を白さんことを請う者有り、泌曰く、「帥を易うるの際、軍中に煩言あるは、乃ち其の常理なり。泌、到らば自ら妥からん、聞くを願わず」と。泌、但だ簿書を索めて糧儲を治む。明日、抱暉、宅に到る。之に語りて曰く、「吾、汝を愛して誅せざるに非ず、恐らくは今より危疑の地、朝廷の命ずる所の将帥、入る能わざらん、故に汝の餘生を丐うのみ。汝、我の為に版幣を齎して節使を祭れ。慎んで関に入ること無かれ、自ら安んずる所を択び、潜かに来りて家を取れ。他無きを保す」と。泌の行くや、上、陝将の乱に預かる者七十五人を籍して泌に授け、之を誅せしむ。泌既に抱暉を遣り、日中、宣慰使至る、泌奏す、「已に抱暉を遣れり、餘は問うに足らず」と。上復た中使を遣わして陝に詣らしめ、必ず之を誅せしむ。泌已むを得ず、兵馬使林滔ら五人を械して京師に送り、懇ろに赦宥を請い、詔して天徳軍に謫戍せしめ、而して抱暉は遂に亡命す。〔馮述評〕伝に称す、鄴侯は大言を好むと。然れども才の鄴侯の如き者にして方に大言を許さる。古来の大言者は二人、東方朔、李鄴侯是れなり。
現代語訳
城に入って政務を執ると、側近の中に、人払いして内密の話を申し上げたいと願う者がいたが、泌は言った。「将軍が代わる際に、軍中に騒がしい声が出るのは、ごく当たり前のことだ。私が着けば自然に収まる。聞きたくない」。泌はただ帳簿を取り寄せて食糧の備蓄を整えた。翌日、抱暉が泌の屋敷に来た。泌は彼に言った。「私は君を愛するから処罰しないのではない。今後、疑いと危うさの渦巻く地に、朝廷が任命した将帥が入れなくなることを恐れて、君の余生を乞うのだ。君は私のために供物を携えて前の節度使を祭りなさい。決して関に入ってはならない。自分で身の落ち着く場所を選び、ひそかに戻って家族を連れて行け。他意はないことを保証する」。泌が出発する時、皇帝は陝州の将で乱に関わった七十五人の名簿を泌に授け、誅殺させようとしていた。泌はすでに抱暉を去らせており、日中、慰撫の使者が来ると、泌は上奏した。「すでに抱暉を去らせました。そのほかは問うまでもありません」。皇帝は再び宦官の使者を陝に遣わして、必ず誅殺させようとした。泌はやむを得ず、兵馬使林滔ら五人を枷にはめて京師に送り、懇ろに赦免を願い、詔によって天徳軍へ流されることになり、抱暉はそのまま逃亡した。〔馮夢龍の評〕史書に、鄴侯は大言を好むとある。しかし鄴侯ほどの才があってこそ、大言を許される。古来の大言者は二人、東方朔と李鄴侯である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『智囊』億中・李泌・李絳徳宗の時、陝虢の都知兵馬使達奚抱暉、節度使張勧を鴆殺し、代わりて軍務を総べ、旌節を邀求し、且つ陰かに李懐光の将達奚小俊を召して援と為す。上、泌を以て陝虢都防禦水陸運使と為し、神策軍を以て之を送らんと欲す。対えて曰く、「陝城の人は、敢えて命に逆らわず、此れ特だ抱暉の悪を為すのみ。若し大兵を以て之に臨まば、彼は壁を閉ざして定まらん。三面は懸絶して、未だ歳月を以て下すべからず。臣、請う単騎を以て入らん」と。上曰く、「朕、方に卿を用いんとす、当に更に他人をして往かしむべし」と。対えて曰く、「他人は必ず入る能わず。今、事変の初めにして、衆心未だ定まらず、故に其の不意に出でて、其の奸謀を奪うべし。他人は猶豫遷延し、彼の謀成らば、則ち前むを得ず」と。上之を許す。泌、陝州の進奏官及び将吏の長安に在る者に見え、之に語りて曰く、「主上は陝・虢の飢うるを以て、故に泌に節を授けずして運使を領せしめ、江淮の米を督して以て之を賑わしめんと欲するのみ。陝州の行営は夏県に在り、若し抱暉用うべくんば、当に将たらしむべし。将、功有らば、則ち旌節を賜わん」と。覘う者馳せて以て抱暉に告げ、稍や用いて自ら安んず。泌、具さに以て上に白して曰く、「其の士卒をして米を思わしめ、抱暉をして節を思わしめば、必ず臣を害せざらん」と。泌、潼関を出で、曲沃に宿し、将佐皆来り迎う。城を去ること十五里、抱暉も亦た出でて謁す。泌、其の事を摂し城を保つの功を称して曰く、「軍中の煩言は、意に介するに足らず、公等の職事は、皆安堵すること故の如し」と。
-
『智囊』億中・李泌・李絳既にして田懐諫は幼弱にして、軍政は皆家僮蔣士則に決し、愛憎を以て諸将を移易す。衆皆憤怒す。田興、晨に府に入るに、士卒数千人大いに噪ぎ、興を環りて拝し、請いて留後と為す。興驚きて地に仆れ、久しくして、免れざるを度り、乃ち衆に謂いて曰く、「汝ら肯えて吾が言を聴くか。副大使を犯すこと勿かれ、朝廷の法令を守り、版籍を申べ、官吏を請え、然る後に可なり」と。皆曰く、「諾」と。興乃ち蔣士則ら十餘人を殺し、懐諫を外に遷す。冬十月、魏博の監軍、状を以て聞す。上、亟かに宰相に詔し、李絳に謂いて曰く、「卿の魏博を揣ること符契の若し」と。李吉甫、中使を遣わして宣慰して以て其の変を観んことを請う。李絳曰く、「不可なり。今、田興は其の土地兵衆を奉じ、坐して詔命を待つ。此の際に乗じて心を推して撫納し、結ぶに大恩を以てせず、必ず敕使の彼に至り、将士の表を待ちて為に節鉞を請うを来らしめ、然る後に之を与えば、則ち是れ恩は下より出で、上より出でず、将士は重く、朝廷は軽くなる」と。上乃ち興を以て魏博節度使と為す。
-
『智囊』剖疑・張說・李泌向使い楊素、許敬宗、李林甫の徒、此の旨を承けなば、已に舒王に就きて定策の功を図らん」と。上曰く、「卿の為に遷延して明日に至りて之を思わん」と。泌、笏を抽きて叩頭し泣きて曰く、「此くの如くんば、臣、陛下の父子慈孝の初めの如きを知るなり。然れども陛下、宮に還らば当に自ら審らかにし、此の意を左右に露わすこと勿かるべし。之を露わせば、則ち彼ら皆な舒王に功を樹てん。太子、危うし」と。上曰く、「具さに卿の意を暁れり」と。間日、上、延英殿を開き、独り泌を召し、流涕闌干として、其の背を撫でて曰く、「卿の切言に非ざれば、朕、今、悔ゆるとも及ぶ無けん。太子は仁孝にして、実に他無きなり」と。泌、拝賀し、因りて骸骨を乞う。〔馮述評〕鄴侯、広平を保全し、及び徳宗に回紇と和親せんことを勧むるは、皆な回天の力を顕す。独り郜国の一事は、患いを微かなるに杜ぎ、宛転激切にして、猜主をして信ぜざるを得ざらしめ、悍主をして柔ならざるを得ざらしむ。真に万世納忠の法なり。
-
『智囊』經務・李泌武后より以来、承平日に久しく、武備漸く弛む。開元の末、張説始めて長徴兵を募り、之を弓広騎と謂い、其の後益す六軍と為る。李林甫の相たるに及び、諸軍は皆な人を募りて之を為し、兵は土着せず、又宗族無く、自ら重惜せず、禍乱遂に生ず。徳宗、李泌と議し、旧制に復せんと欲す。泌対えて曰く、「今歳関東の卒を徴して京西を戍る者十七万人、粟二百四万斛を計る。国家比ごろ飢乱に遭い、経費充たず、未だ府兵を復するに暇あらず」と。上曰く、「亟かに戍卒を減じ、之を帰さば、如何」と。対えて曰く、「陛下誠に能く臣の言を用いば、戍卒を減ぜず、百姓を擾さずして、糧食皆な足り、粟麦日に賤く、府兵も亦た成るべし」と。上曰く、「果たして能く是の如きか」と。対えて曰く、「此れ須らく急ぎて之を為すべし。旬月を過ぐれば及ばず。今、吐蕃久しく原、蘭の間に居り、牛を以て糧を運ぶ。糧尽くれば、牛用うる所無し。請う、左蔵の悪繒を発し、染めて采纈と為し、党項に因りて之を市わしめん。毎頭二三匹、十八万匹を計り、六万余頭を致すべし。又諸冶に命じて農器を鋳せしめ、麦種を糴し、分かちて縁辺の軍鎮に賜い、戍卒を募りて荒田を耕して之を種えしめん。明年の麦熟するを約し、倍して其の種を償い、其の余は時価に拠りて五分に一を増し、官は為に糴して貯え、来春の種禾も亦た之の如くせん。
-
『智囊』億中・李泌・李絳制命、魏州に至り、興は感泣して涕を流し、士衆は鼓舞せざる無し。李絳又た言う、「魏博は五十餘年、皇化に沾わず、一旦六州の地を挙げて来り帰す。河朔の腹心を刳り、叛乱の巣穴を傾く。重賞の其の望みを過ぐる有らずんば、則ち以て士卒の心を慰め、四鄰をして勧慕せしむる無し。請う、内庫の銭百五十万緡を発して以て之に賜わんことを」と。左右の宦官以て太だ多しと為す。絳曰く、「田興は専地の利を貪らず、四鄰の患いを顧みず、命を聖朝に帰す。陛下奈何ぞ小費を愛しみて大計を遺れ、以て一道の人心を収めざるや。借使い国家が十五万の兵を発して以て六州を取り、期年にして之に克たば、其の費豈に唯だ百五十万緡のみならんや」と。上悦びて曰く、「朕の悪衣菲食して、貨財を蓄聚する所以は、正に四方を平定せんが為なり。然らずんば、徒だ之を府庫に貯えて何をか為さん」と。即ち知制誥裴度を遣わして魏博に至り宣慰せしめ、銭百五十万を以て軍士を賞し、六州の百姓は復を給すること一年なり。軍士賜を受け、歓声雷の如し。成徳・兗鄆の使者数輩、之を見て相い顧みて色を失い、歎じて曰く、「倔強にして果たして何の益あらんや」と。李泌嘗て言う、「善く敵を料る者は、将を料りて兵を料らず」と。泌の陝城を策し、絳の魏博を揣るは、皆な将を料るの法なり。
-
『智囊』億中・李泌・李絳李絳、唐の憲宗の朝に在りて、魏博の田季安死し、子の懐諫弱きに値う。李吉甫、兵を興して之を討たんことを請う。絳は以為らく、魏博は必ずしも兵を用いず、当に自ら朝廷に帰すべしと。吉甫、盛んに兵を用いざるべからざるの状を陳ぶ。絳曰く、「臣、竊かに両河の藩鎮の跋扈する者を観るに、皆兵を分かちて以て諸将に隷し、専ら一人に在らしめず。其の権任太だ重くして、間に乗じて己を謀るを恐るるが故なり。諸将は勢い均しく力敵し、相い制する能わず。広く相い連結せんと欲すれば、則ち衆心同じからずして、其の謀は必ず泄る。独り起こりて変を為さんと欲すれば、則ち兵少なく力微にして、勢い必ず成らず。跋扈する者は此れを恃みて以て長策と為す。然れども臣、竊かに之を思うに、若し常に厳明の主帥の、能く諸将の死命を制する者を得て以て之に臨まば、則ち粗ぼ自ら図ること能わん。今、懐諫は乳臭の子にして、自ら聴断する能わず、軍府の大権は、必ず帰する所有らん。諸将の厚薄均しからざれば、怨怒必ず起こる。然らば則ち向日の兵を分かつの策は、適に今日の禍乱の階と為るに足る。田氏は屠肆と為らずんば、則ち悉く俘囚とならん、何ぞ天兵を煩わさんや。但だ願わくは陛下兵を按じて威を養い、諸道に厳敕して、士馬を選びて以て後効を観、賊中をして之を知らしめば、数月に過ぎずして、必ず軍中に自ら効す者有らん。時に至らば、唯だ朝廷の応ずること敏速にして、其の機会に中り、爵禄を愛まずして以て其の人を賞するに在り、両河の藩鎮をして其の麾下の聞きて之に效いて以て朝廷の賞を取らんことを恐れしめば、亦た恐懼して恭慎と為らん。此れ所謂不戦にして人の兵を屈する者なり」と。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る