智囊 / 億中・李泌
臣之上章,以為朝廷,非為身也!」上曰:「如何為朝廷?」對曰:「今天下旱蝗,關中米鬥千錢,倉廩耗竭,而江東豐稔。願陛下早下臣章,以解朝眾之惑,而諭韓臯,使之歸覲,令滉感激,無自疑之心,速運糧儲,豈非為朝廷耶?」上曰:「朕深諭之矣。」即下泌章,令韓臯謁告歸覲,面賜緋衣,諭以「卿父比有謗言,朕今知其所以,釋然不復信矣」,因言「關中乏糧,與卿父宜速置之。」臯至潤州,滉感悅流涕,即日自臨水濱,發米百萬斛,聽臯留五日即還朝。臯別其母,啼聲聞於外。滉怒,召出撻之,自送至江上,冒風濤而遣之。既而陳少游聞滉貢米,亦貢二十萬斛。上謂李泌曰:「韓滉乃能使陳少游亦貢米乎?」對曰:「豈唯少游,諸道將爭入貢矣!」
新字:臣之上章,以為朝廷,非為身也!」上曰:「如何為朝廷?」対曰:「今天下旱蝗,関中米鬥千銭,倉廩耗竭,而江東豊稔。願陛下早下臣章,以解朝衆之惑,而諭韓皋,使之帰覲,令滉感激,無自疑之心,速運糧儲,豈非為朝廷耶?」上曰:「朕深諭之矣。」即下泌章,令韓皋謁告帰覲,面賜緋衣,諭以「卿父比有謗言,朕今知其所以,釈然不復信矣」,因言「関中乏糧,与卿父宜速置之。」皋至潤州,滉感悦流涕,即日自臨水浜,発米百万斛,聴皋留五日即還朝。皋別其母,啼声聞於外。滉怒,召出撻之,自送至江上,冒風濤而遣之。既而陳少游聞滉貢米,亦貢二十万斛。上謂李泌曰:「韓滉乃能使陳少游亦貢米乎?」対曰:「豈唯少游,諸道将争入貢矣!」
書き下し
臣の上章は、以て朝廷の為にするなり、身の為にするに非ず」と。上曰く、「如何ぞ朝廷の為なるか」と。対えて曰く、「今、天下は旱蝗にして、関中の米は斗千銭、倉廩は耗竭するも、江東は豊稔なり。願わくは陛下早く臣の章を下し、以て朝衆の惑いを解き、而して韓皐に諭して、之をして帰覲せしめ、滉をして感激して自ら疑うの心無からしめ、速やかに糧儲を運ばしめば、豈に朝廷の為に非ずや」と。上曰く、「朕、深く之を諭せり」と。即ち泌の章を下し、韓皐をして告を謁して帰覲せしめ、面に緋衣を賜い、諭すに「卿の父、比ごろ謗言有るも、朕今其の所以を知り、釈然として復た信ぜず」と以てし、因りて言う、「関中は糧に乏し、卿の父と宜しく速やかに之を置くべし」と。皐、潤州に至り、滉は感悦して涕を流し、即日自ら水浜に臨み、米百万斛を発し、皐の留まること五日にして即ち朝に還るを聴す。皐、其の母に別るるに、啼く声外に聞こゆ。滉怒り、召し出して之を撻ち、自ら江上に送り、風濤を冒して之を遣る。既にして陳少遊、滉の貢米を聞き、亦た二十万斛を貢す。上、李泌に謂いて曰く、「韓滉乃ち能く陳少遊をして亦た貢米せしむるか」と。対えて曰く、「豈に唯だ少遊のみならんや、諸道将に争いて入貢せんとす」と。
現代語訳
私が上奏したのは、朝廷のためであって、わが身のためではありません」と。皇帝は言った。「どうして朝廷のためなのか」。答えて言った。「今、天下は日照りと蝗に苦しみ、関中の米は一斗千銭、倉は空になっていますが、江東は豊作です。どうか陛下には早く私の上奏文を下して、朝廷の人々の惑いを解き、韓皐に諭して親の元へ帰らせ、滉を感激させて自ら疑う心をなくさせ、速やかに食糧を運ばせてください。これが朝廷のためでなくて何でしょう」。皇帝は言った。「朕はよく分かった」。そこで泌の上奏を下し、韓皐に休暇を与えて親に会いに帰らせ、じかに緋の衣を賜わって、「卿の父には近ごろ悪い噂があったが、朕は今その理由を知り、すっかり信じなくなった」と告げさせ、さらに「関中は食糧に乏しい。卿の父は急いで手配すべきだ」と言わせた。皐が潤州に着くと、滉は感激して涙を流し、その日のうちに自ら水辺に出て、米百万斛を送り出し、皐が五日留まった後に朝廷へ帰ることを許した。皐が母に別れる時、泣き声が外まで聞こえた。滉は怒って、呼び出して杖で打ち、自ら川のほとりまで送って、風や波をおかして出発させた。やがて陳少遊も滉が米を献上したと聞いて、二十万斛を献上した。皇帝は李泌に言った。「韓滉は陳少遊にまで米を献上させたのか」。答えて言った。「少遊だけではありません。各地の道が争って献上するでしょう」。
解説
この章句が説くこと
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