智囊 / 知微・任文公・東院主者
王莽居攝。巴郡任文公善占,知大亂將作,乃課家人負物百斤,環舍疾走,日數十回。人莫知其故。後四方兵起,逃亡鮮脫者,唯文公大小負糧捷步,悉得免。〔馮述評〕張觷教蔡家兒學走,本此。唐末,岐、梁爭長。東院主者知其將亂,日以菽粟作粉,為土墼,附而墁之,增其屋木。一院笑以為狂。亂既作,食盡樵絕。民所窖藏為李氏所奪,皆餓死;主沃粟為糜,毀木為薪,以免。隴右有富人,預為夾壁,視食之可藏者,乾之,貯壁間,亦免。
新字:王莽居摂。巴郡任文公善占,知大乱将作,乃課家人負物百斤,環舎疾走,日数十回。人莫知其故。後四方兵起,逃亡鮮脱者,唯文公大小負糧捷歩,悉得免。〔馮述評〕張觷教蔡家児学走,本此。唐末,岐、梁争長。東院主者知其将乱,日以菽粟作粉,為土墼,附而墁之,增其屋木。一院笑以為狂。乱既作,食尽樵絶。民所窖蔵為李氏所奪,皆餓死;主沃粟為糜,毀木為薪,以免。隴右有富人,預為夾壁,視食之可蔵者,乾之,貯壁間,亦免。
書き下し
王莽、居攝す。巴郡の任文公は占に善く、大乱の将に作らんとするを知り、乃ち家人に課して物百斤を負わしめ、舎を環りて疾走すること、日に数十回せしむ。人其の故を知る莫し。後に四方に兵起こり、逃亡して脱るる者鮮し。唯だ文公の大小のみ糧を負いて捷く歩み、悉く免るるを得たり。〔馮述評〕張觷、蔡家の児に走ることを教うるは、此に本づく。唐末、岐・梁、長を争う。東院の主者、其の将に乱れんとするを知り、日に菽粟を以て粉と作し、土墼と為し、附して之を墁り、其の屋木を増す。一院笑いて以て狂と為す。乱既に作り、食尽き樵絶ゆ。民の窖蔵する所は李氏の奪う所と為り、皆な餓死す。主は粟に沃ぎて糜と為し、木を毀ちて薪と為し、以て免る。隴右の富人、預め夾壁を為り、食の蔵すべき者を視て、之を乾かし、壁間に貯え、亦た免る。
現代語訳
王莽が摂政となったとき、巴郡の任文公は占いに長けており、大きな乱が起こることを知った。そこで家の者に百斤の荷を背負わせ、家の周りを走らせることを日に数十回も課した。人々にはその理由が分からなかった。のちに各地で兵が起こり、逃げて助かった者はほとんどいなかったが、任文公の一家だけは、大人も子供も食糧を背負って足早に歩いたので、皆が難を免れた。〔馮夢龍の評〕張觷が蔡家の子供に走ることを教えたのは、これにならったものだ。唐末、岐王と梁王が覇権を争ったとき、東院の長は乱が起きるのを予知し、毎日豆や粟を粉にして土のかたまりのように固め、壁に塗りつけ、建物の木材を増やした。院の者たちは笑って狂人扱いした。乱が起こると、食糧は尽き、薪も絶えた。民が穴蔵に貯えていたものは李氏に奪われ、皆が餓死した。東院の長は壁の粟に水を注いで粥にし、木を壊して薪にして助かった。隴右の金持ちは、あらかじめ二重壁を作り、保存できる食物を乾かして壁の間にしまっておき、やはり助かった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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言志四録・言志後録 第百八十一条 凶歉に予め備ふ五穀の豊歉も、亦大抵数有り。三十年前後に必ず小饑荒有り、六十年前後に必ず大凶歉有り。較遅速有りと雖も、竟に免るる能はず。之が為に予め備へざるべけんや。(癸巳春季筆す)
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『墨子』七患故に食に備粟無ければ、以て凶饑を待つ可からず。庫に備兵無ければ、義有りと雖も、無義を征する能わず。城郭、備え全からざれば、以て自ら守る可からず。心に備慮無ければ、以て卒に應ずる可からず。是の故に慶忌は之を去るの心無くんば、輕々しく出づる能わず。夫れ桀に湯を待つの備無し、故に放たる。紂に武王を待つの備無し、故に殺さる。桀紂は貴きこと天子と為り、富は天下を有つ。然れども皆な百里の君に滅亡せらるるは、何ぞや。富貴有りて備えを為さざればなり。故に備えなる者は、國の重んずる所なり。
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説苑・建本豊牆磽下は未だ必ずしも崩れざるも、流行潦至れば、壊るること必ず先んず。樹の本浅く、根垓深からざるは、未だ必ずしも橛れざるも、飄風起こり暴雨至れば、抜けること必ず先んず。君子是の国に居りて、仁義を崇めず賢臣を尊ばざるも、未だ必ずしも亡びざるも、然れども一旦非常の変有らば、車馳せ人走り、指して禍至れば、乃ち始めて喉を干し唇を燋がし、天を仰ぎて歎じ、庶幾わくは天其れ之を救わんと、亦難からずや。孔子曰わく、「其の前を慎まずして其の後を悔ゆれば、悔ゆると雖も及ぶ無し」と。詩に曰わく、「其れ啜りて泣く、何ぞ嗟くも及ばん」と。本を先に正さずして末に憂いを成すを言うなり。
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『春秋左氏伝』成公九年 備へ無きかな冬十一月、楚の子重陳より莒を伐ち、渠丘を圍む。渠丘城惡し。眾潰えて、莒に奔る。戊申、楚渠丘に入る。莒人楚の公子平を囚ふ。楚人曰く、「殺す勿かれ。吾而の俘を歸さん」と。莒人之を殺す。楚の師莒を圍む。莒の城も亦た惡し。庚申、莒潰ゆ。楚遂に鄆に入る。莒備へ無きが故なり。君子曰く、「陋を恃みて備へざるは、罪の大なる者なり。不虞に備豫するは、善の大なる者なり。莒其の陋を恃みて、城郭を脩めず。浹辰の間にして、楚其の三都に克つ。備へ無きかな。詩に曰く、『絲麻有りと雖も、菅蒯を棄つる無かれ。姬姜有りと雖も、蕉萃を棄つる無かれ。凡百の君子、匱しきに代はらざる莫し』と。備への以て已むべからざるを言ふなり」と。秦人・白狄晉を伐つ。諸侯貳するが故なり。鄭人許を圍む。晉に君を急がざるを示すなり。是れ則ち公孫申之を謀りて曰く、「我師を出だして以て許を圍み、將に君を改め立てんとする者の為にして、而して晉の使を紓べば、晉必ず君を歸さん」と。中城に城く。時を書するなり。十二月、楚子公子辰をして晉に如かしむ。鍾儀の使に報い、好を修め成を結ばんことを請ふ。
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『文武訓』武訓下一天下太平なれども、武をわするればあやふし。故に治世にも乱を忘れず、武事をまなぶべし。無事なる時武をならはば、後悔なかるべし。遠き慮なければ、必ず近きうれへあり。乱にのぞみて兵をならふは、渇にのぞんで井を掘るがごとし。
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