智囊 / 知微・韓侂冑賓客
韓平原侂冑嘗為南海尉,延一士人作館客,甚賢。既別,杳不通問。平原當國,嘗思其人。一日忽來上謁,則已改名登第數年矣。一見歡甚,館遇甚厚。嘗夜闌酒罷,平原屏左右,促膝問曰:「某謬當國秉,外間論議如何?」其人太息曰:「平章家族危如纍卵,尚復何言?」平原愕然問故,對曰:「是不難知也!椒殿之立,非出平章,則椒殿怨矣;皇子之立,非出平章,則皇子怨矣。賢人君子,自朱熹、彭龜年、趙汝愚而下,斥逐貶死,不可勝數,則士大夫怨矣。邊釁既開,三軍暴骨,孤兒寡婦,哭聲相聞,則三軍怨矣。邊民死於殺掠,內地死於科需,則四海萬姓皆怨。叢此眾怨,平章何以當之?」平原默然久之,曰:「何以教我?」其人辭謝。再三固問,乃曰:「僅有一策,第恐平章不能用耳。
新字:韓平原侂冑嘗為南海尉,延一士人作館客,甚賢。既別,杳不通問。平原当国,嘗思其人。一日忽来上謁,則已改名登第数年矣。一見歓甚,館遇甚厚。嘗夜闌酒罷,平原屏左右,促膝問曰:「某謬当国秉,外間論議如何?」其人太息曰:「平章家族危如纍卵,尚復何言?」平原愕然問故,対曰:「是不難知也!椒殿之立,非出平章,則椒殿怨矣;皇子之立,非出平章,則皇子怨矣。賢人君子,自朱熹、彭亀年、趙汝愚而下,斥逐貶死,不可勝数,則士大夫怨矣。辺釁既開,三軍暴骨,孤児寡婦,哭声相聞,則三軍怨矣。辺民死於殺掠,内地死於科需,則四海万姓皆怨。叢此衆怨,平章何以当之?」平原黙然久之,曰:「何以教我?」其人辞謝。再三固問,乃曰:「僅有一策,第恐平章不能用耳。
書き下し
韓平原侂冑、嘗て南海尉と為り、一士人を延きて館客と作す。甚だ賢なり。既に別れて、杳として問いを通ぜず。平原国を当るに及び、嘗て其の人を思う。一日忽ち来たりて上謁す。則ち已に名を改め登第して数年なり。一たび見て歓ぶこと甚だしく、館遇甚だ厚し。嘗て夜闌け酒罷みて、平原左右を屏け、膝を促して問いて曰く、「某、謬りて国秉に当たる。外間の論議は如何。」其の人太息して曰く、「平章の家族、危うきこと纍卵の如し。尚お復た何をか言わん。」平原愕然として故を問う。対えて曰く、「是れ知り難からざるなり。椒殿の立つは、平章に出づるに非ざれば、則ち椒殿怨む。皇子の立つは、平章に出づるに非ざれば、則ち皇子怨む。賢人君子、朱熹・彭亀年・趙汝愚より下、斥逐貶死して勝げて数うべからず。則ち士大夫怨む。辺釁既に開き、三軍骨を暴し、孤児寡婦、哭声相い聞こゆ。則ち三軍怨む。辺民は殺掠に死し、内地は科需に死す。則ち四海万姓皆な怨む。此の衆怨を叢めて、平章何を以て之に当たらん。」平原黙然として久しくして曰く、「何を以て我に教うる。」其の人辞謝す。再三固く問う。乃ち曰く、「僅かに一策有り。第だ平章の能く用いざるを恐る。
現代語訳
平原郡王の韓侂冑は、かつて南海の尉であったころ、一人の士人を招いて客分として館に置いた。その人はとても賢かった。別れてからは、まったく音信が途絶えた。韓侂冑が国政を担うようになると、ふとその人を思い出した。ある日突然その人が訪ねてきて面会を求めた。すでに名を改め、科挙に合格して数年たっていた。一目見て大いに喜び、手厚くもてなした。ある夜、宴が果てて、韓侂冑は側近を退け、膝を寄せてたずねた。「私はあやまって国政を握っている。世間の議論はどうか。」その人は大きくため息をついて言った。「あなたの一族は、累ねた卵のように危ういのです。これ以上何を申しましょう。」韓侂冑は驚いて理由を問うた。答えて言った。「理由を知るのは難しくありません。皇后が立ったのはあなたの力によらなかったので、皇后が怨んでいます。皇太子が立ったのもあなたの力によらなかったので、皇太子が怨んでいます。賢人君子は、朱熹・彭亀年・趙汝愚をはじめ、追放され、貶められ、死んだ者は数えきれません。士大夫が怨んでいます。国境の争いを開いて、三軍の骨が野にさらされ、孤児や寡婦の泣き声があちこちに聞こえます。三軍が怨んでいます。国境の民は殺されて略奪され、内地の民は徴発に苦しんで死ぬ。天下の万民が皆怨んでいます。これほどの怨みを集めて、あなたはどう対処するのですか。」韓侂冑はしばらく黙って、言った。「どうすればよいか教えてほしい。」その人は辞退した。再三強く問うと、ようやく言った。「わずかに一つ策があります。ただ、あなたが用いることができないのではと恐れます。
解説
この章句が説くこと
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『韓非子』十過第十貪愎にして利を喜むは、則ち國を滅ぼし身を殺すの本なり。
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