墨子 / 天志下
曰:順天之意何若?曰:兼愛天下之人。何以知兼愛天下之人也?以兼而食之也。何以知其兼而食之也?自古及今,無有逺靈孤夷之國,皆犓豢其牛羊犬彘,潔為粢盛酒醴,以敬祭祀上帝山川鬼神,以此知兼而食之也。茍兼而食焉,必兼而愛之。譬之若楚越之君,今是楚王食於楚之四境之内,故不愛越之人。今天兼天下而食焉,我以此知其兼愛天下之人也。
新字:曰:順天之意何若?曰:兼愛天下之人。何以知兼愛天下之人也?以兼而食之也。何以知其兼而食之也?自古及今,無有遠霊孤夷之国,皆犓豢其牛羊犬彘,潔為粢盛酒醴,以敬祭祀上帝山川鬼神,以此知兼而食之也。苟兼而食焉,必兼而愛之。譬之若楚越之君,今是楚王食於楚之四境之内,故不愛越之人。今天兼天下而食焉,我以此知其兼愛天下之人也。
書き下し
曰く、天の意に順うとは何若ん。曰く、天下の人を兼愛するなり。何を以て天下の人を兼愛するを知るや。其の兼ねて之を食むを以てなり。何を以て其の兼ねて之を食むを知るや。古より今に及ぶまで、逺靈孤夷の國有る無く、皆な其の牛羊犬彘を犓豢し、潔く粢盛酒醴を為りて、以て敬みて上帝山川鬼神を祭祀す。此を以て兼ねて之を食むを知るなり。茍くも兼ねて焉に食まば、必ず兼ねて之を愛す。之を譬うるに楚越の君の若し。今、是の楚王は楚の四境の内に食む、故に越の人を愛せず。今、天は天下を兼ねて焉に食む。我れ此を以て其の天下の人を兼愛するを知るなり。
現代語訳
では天の意に順うとはどういうことか。天下の人を兼ねて愛することである。なぜ天下の人を兼ねて愛すると分かるのか。天が兼ねてすべてから供物を受けているからである。なぜ兼ねて受けていると分かるのか。昔から今まで、どんなに遠く離れた国であっても、みな牛羊犬豚を飼い、清らかに供物と酒を整えて、敬んで上帝や山川の鬼神を祭る。だから兼ねて受けていると分かる。兼ねて受けているなら、必ず兼ねて愛している。たとえるなら楚や越の君のようなものだ。楚王は楚の四方の境の内から受け取る。だから越の人を愛さない。天は天下を兼ねて受け取る。だから私は、天が天下の人を兼ねて愛すると判断する。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『韓非子』十過第十貪愎にして利を喜むは、則ち國を滅ぼし身を殺すの本なり。
-
史記 仲尼弟子列伝子貢をして南のかた呉王に見えしむ。説きて曰く、「臣之を聞く、王者は世を絶たず、霸者は彊敵無し、千鈞の重きも銖両を加ふれば移る。今万乗の斉を以て千乗の魯を私し、呉と彊を争ふ、竊かに王の為に之を危ぶむ。且つ夫れ魯を救ふは、名を顕すなり。斉を伐つは、大利なり。以て泗上の諸侯を撫し、暴斉を誅して以て彊晋を服せしむ、利焉より大なるは莫し。名は亡魯を存し、実は彊斉を困しむ。智者は疑はざるなり」と。呉王曰く、「善し。然りと雖も、吾嘗て越と戦ひ、之を会稽に棲ましむ。越王身を苦しめ士を養ひ、我に報ゆるの心有り。子我の越を伐つを待ちて子に聴かん」と。子貢曰く、「越の勁きは魯に過ぎず、呉の彊きは斉に過ぎず、王斉を置きて越を伐たば、則ち斉已に魯を平らげん。且つ王方に亡を存し絶を継ぐを以て名と為す、夫れ小越を伐ちて彊斉を畏るるは、勇に非ざるなり。夫れ勇者は難を避けず、仁者は約に窮せず、智者は時を失はず、王者は世を絶たず、以て其の義を立つ。今越を存して諸侯に示すに仁を以てし、魯を救ひ斉を伐ち、威晋国に加はらば、諸侯必ず相率ゐて呉に朝し、霸業成らん。且つ王必ず越を悪まば、臣請ふ東のかた越王に見え、兵を出だして以て従はしめん、此れ実は越を空しくし、名は諸侯に従ひて以て伐つなり」と。呉王大いに説び、乃ち子貢をして越に之かしむ。越王道を除ひて郊に迎へ、身ら御して舎に至りて問ひて曰く、「此れ蛮夷の国なり、大夫何を以て儼然として辱くも之に臨むや」と。子貢曰く、「今者吾呉王に説くに魯を救ひ斉を伐つを以てす、其の志之を欲すれども越を畏る、曰く『我の越を伐つを待ちて乃ち可なり』と。此くの如くんば、越を破ること必せり。且つ夫れ人に報ゆるの志無くして人をして之を疑はしむるは、拙なり。人に報ゆるの志有りて、人をして之を知らしむるは、殆ふし。事未だ発せずして先づ聞こゆるは、危ふし。三者は事を挙ぐるの大患なり」と。
-
『呻吟語』外篇・世運・氣化の罪に非ざるなり世界は一般に是れ唐虞の時の世界なり。黎民は一般に是れ唐虞の時の黎民なり。而るに治は古に若かず。氣化の罪に非ざるなり。
-
『呻吟語』内篇・談道・相責各盡の四字天下の治亂は、只だ「相責各盡」の四字に在るのみ。
-
史記 趙世家趙衰、重耳に従ひて出亡すること凡そ十九年、国に反ることを得たり。重耳晋の文公と為り、趙衰原の大夫と為り、原に居り、国政に任ず。文公の国に反り及び霸たる所以は、多く趙衰の計策なり。語は晋の事の中に在り。趙衰既に晋に反り、晋の妻固く翟の妻を迎へんことを要め、而して其の子盾を以て適嗣と為し、晋の妻の三子皆下りて之に事ふ。晋の襄公の六年にして趙衰卒し、諡して成季と為す。趙盾、成季に代はりて国政に任ずること二年にして晋の襄公卒す。太子夷皋年少し。盾、国の多難なるが為に、襄公の弟雍を立てんと欲す。雍時に秦に在り。使をして之を迎へしむ。太子の母日夜啼泣し、頓首して趙盾に謂ひて曰く、「先君何の罪かある。其の適子を釈きて更に君を求むるか」と。趙盾之を患へ、其の宗と大夫との襲ひて之を誅せんことを恐れ、乃ち遂に太子を立つ、是を霊公と為す。兵を発して襄公の弟を秦に迎ふる所の者を距ぐ。霊公既に立ち、趙盾益々国政を専らにす。霊公立ちて十四年、益々驕る。趙盾驟々諫むれども、霊公聴かず。熊蹯を食らふに及び、胹て熟せず、宰人を殺し、其の尸を持ちて出づ。趙盾之を見る。霊公此に由りて懼れ、盾を殺さんと欲す。盾素より仁にして人を愛す。嘗て食はせし所の桑下の餓人、反りて捍ぎて盾を救ふ。盾以て亡ぐるを得たり。未だ境を出でずして、趙穿霊公を弑して襄公の弟黒臀を立つ、是を成公と為す。趙盾復た反りて国政に任ず。君子盾を譏る、「正卿と為りて、亡げて境を出でず、反りて賊を討たず」と。故に太史書して曰く「趙盾其の君を弑す」と。晋の景公の時にして趙盾卒し、諡して宣孟と為す。子朔嗣ぐ。趙朔、晋の景公の三年、朔晋の将として下軍に将として鄭を救ひ、楚の荘王と河上に戦ふ。朔、晋の成公の姊を娶りて夫人と為す。晋の景公の三年、大夫屠岸賈、趙氏を誅せんと欲す。初め、趙盾在りし時、夢に叔帯の要を持ちて哭するを見る。甚だ悲し。已にして笑ひ、手を拊ちて且つ歌ふ。
-
『春秋左氏伝』僖公三十三年 一眚を以て大徳を掩わず夏、四月、辛巳、秦の師を殽に敗り、百里孟明視・西乞術・白乙丙を獲て以って歸る。遂に墨して以って文公を葬る。晉是に於いて始めて墨す。文嬴三帥を請ひて曰く、「彼實に吾が二君を構ふ。寡君若し得て之を食らふとも、厭かじ。君何ぞ辱くも討たん。歸りて秦に戮に就かしめ、以って寡君の志を逞(たくま)しうせしめば、若何」と。公之を許す。先軫朝して、秦の囚を問ふ。公曰く、「夫人之を請ふ、吾之を舍せり」と。先軫怒りて曰く、「武夫力めて諸を原に拘へ、婦人暫くにして諸を國に免ず。軍實を墮(こぼ)ちて寇讎を長ず。亡ぶること日無からん」と。顧みずして唾す。公陽處父をして之を追はしむ。諸を河に及べば、則ち舟中に在り。左驂を釋き、公命を以って孟明に贈る。孟明稽首して曰く、「君の惠、纍臣を以って鼓に釁(ちぬ)らず、歸りて秦に戮に就かしむ。寡君の以って戮と為さば、死すとも且つ朽ちず。若し君の惠に從ひて之を免さば、三年にして將に君の賜を拜せんとす」と。秦伯素服して郊次し、師に鄉(むか)ひて哭して曰く、「孤蹇叔に違ひ、以って二三子を辱しむ、孤の罪なり。孟明を替へざるは、孤の過ちなり。大夫何の罪かあらん。且つ吾一眚(いっせい)を以って大德を掩はず」と。狄齊を侵す、晉の喪に因るなり。公邾を伐ち、訾婁(しろう)を取り、以って升陘の役に報ゆ。邾人備へを設けず。秋、襄仲復た邾を伐つ。狄晉を伐ち、箕に及ぶ。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る