智囊 / 遠猶・程顥
《容齋隨筆》云:會稽天寧觀老何道士,居觀之東廊,栽花釀酒,客至必延之。一日有道人貌甚偉,款門求見。善談論,能作大字。何欣然款留,數日方去。未幾,有妖人張懷素謀亂,即前日道人也。何亦坐繫獄,良久得釋。自是畏客如虎,杜門謝客。忽有一道人,亦美風儀,多技術。西廊道士張若水介之來謁,何大怒罵,合扉拒之。此道乃永嘉林靈噩,旋得上幸,貴震一時,賜名靈素,平日一飯之恩無不厚報。若水乘驛赴闕,官至蕊珠殿校籍,父母俱榮封。而老何以嘗罵故,朝夕憂懼。若水以書慰之,始少安。此亦知其一不知其二之鑒也!
新字:《容斎随筆》云:会稽天寧観老何道士,居観之東廊,栽花醸酒,客至必延之。一日有道人貌甚偉,款門求見。善談論,能作大字。何欣然款留,数日方去。未幾,有妖人張懐素謀乱,即前日道人也。何亦坐繋獄,良久得釈。自是畏客如虎,杜門謝客。忽有一道人,亦美風儀,多技術。西廊道士張若水介之来謁,何大怒罵,合扉拒之。此道乃永嘉林霊噩,旋得上幸,貴震一時,賜名霊素,平日一飯之恩無不厚報。若水乗駅赴闕,官至蕊珠殿校籍,父母倶栄封。而老何以嘗罵故,朝夕憂懼。若水以書慰之,始少安。此亦知其一不知其二之鑒也!
書き下し
《容斎随筆》に云う、会稽天寧観の老何道士、観の東廊に居り、花を栽え酒を醸し、客至れば必ず之を延く。一日、道人の貌甚だ偉なる有り、門を款きて見を求む。談論を善くし、能く大字を作る。何欣然として款留し、数日にして方に去る。未だ幾ばくならず、妖人張懐素の乱を謀る有り、即ち前日の道人なり。何も亦た坐して獄に繫がれ、良や久しくして釈かる。是より客を畏るること虎の如く、門を杜ぎて客を謝す。忽ち一道人有り、亦た風儀美しく、技術多し。西廊の道士張若水、之を介して来り謁せしむ。何大いに怒り罵り、扉を合して拒む。此の道士は乃ち永嘉の林霊噩にして、旋ち上の幸を得、貴きこと一時を震わし、霊素の名を賜る。平日一飯の恩も厚く報いざる無し。若水は駅に乗りて闕に赴き、官は蕊珠殿校籍に至り、父母俱に栄封せらる。而して老何は嘗て罵りしを以ての故に、朝夕憂懼す。若水、書を以て之を慰め、始めて少しく安んず。此も亦た其の一を知りて其の二を知らざるの鑑なり。
現代語訳
『容斎随筆』にこうある。会稽の天寧観にいた老いた何道士は、観の東の廊下に住み、花を育て酒を醸し、客が来れば必ず招き入れた。ある日、見事な風貌の道士が門を叩いて面会を求めた。話がうまく、大きな字も上手に書いた。何は喜んで引き留め、数日して去った。まもなく妖人の張懐素が謀反を企てて捕らえられたが、それは先日の道士であった。何も連座して獄につながれ、長い間ののち釈放された。それ以来、客を虎のように恐れ、門を閉ざして来客を断った。ところがある日、やはり風采のよい、技芸の多い道士が現れた。西廊の道士張若水が紹介して訪ねさせたのだが、何は大いに怒って罵り、扉を閉めて追い返した。この道士は永嘉の林霊噩で、まもなく皇帝の寵愛を得て、一時は権勢を振るい、霊素の名を賜った。普段の一食の恩にも厚く報いた。張若水は駅馬で都に赴き、官は蕊珠殿校籍に至り、両親もそろって栄誉の封を受けた。ところが老何は、かつて罵ったために朝夕おびえて暮らした。若水が手紙で慰めて、ようやく少し安心した。これもまた、一つしか知らず二つ目を知らないことへの戒めである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『智囊』遠猶・程顥程顥、越州の僉判と為る。蔡卞帥たり、公を待すること甚だ厚し。初め、卞嘗て公の為に語る、「張懐素の道術は神に通じ、飛禽走獣すら之を呼び遣わすべし。孔子が少正卯を誅せしに至りては、彼嘗て諫めて以て太だ早しと為せりと言い、漢祖が成皋に相持せしとき、彼屢しば高きに登りて戦を観たりと言う。其の歳数を知らず、殆ど世間の人に非ざるなり」と。公は毎に竊かに之を笑う。四明に往かんとするに及び、懐素は且に来りて会稽に至らんとす。卞少しく留まりて俟たんとするも、公は止まらず、曰く、「『子は怪、力、乱、神を語らず』、以て訓とすべからざればなり。斯れ怪に近し。州牧は既に甚だ信重し、士大夫も又た相諂合し、下民は風に従いて靡く。使し真に道有る者ならば、固より此を願わず。然らずんば、之を識らざるは未だ不幸と為さざるなり」と。後二十年、懐素敗れ、多く名士を引く。或いは是に因りて公を染めんと欲せしも、竟に尋求するに跡無きを以て止む。公の素論の守正に非ざれば、則ち羅織を免れざらん。〔馮述評〕張譲は衆の棄つる所なるに、太丘は独り一弔を難しとせず。張懐素は衆の奉ずる所なるに、伯淳は独り一見を軽しくせず。明哲保身、豈に定局有らんや。二公の識を具えば、並び行いて悖らず可なり。蔡邕は江海に亡命すること十二年なるに、自ら晦ましむ能わずして以て董卓の辟を預め免れず。既に辟せらるるに逮び、疾と称して就かざるは猶お可なり、乃ち卓の一怒に因り、禍を懼れて従う。其の寵異を受け、死して猶お歎息す。初心は謂何ぞ。介にして果たさず、涅して遂に淄し、公論自ら違い、猶お史を続ぐを以て倖免を望む、豈に愚ならずや。太丘に視ぶれば愧死せん。
-
『智囊』知微・韓侂冑賓客韓平原侂冑、嘗て南海尉と為り、一士人を延きて館客と作す。甚だ賢なり。既に別れて、杳として問いを通ぜず。平原国を当るに及び、嘗て其の人を思う。一日忽ち来たりて上謁す。則ち已に名を改め登第して数年なり。一たび見て歓ぶこと甚だしく、館遇甚だ厚し。嘗て夜闌け酒罷みて、平原左右を屏け、膝を促して問いて曰く、「某、謬りて国秉に当たる。外間の論議は如何。」其の人太息して曰く、「平章の家族、危うきこと纍卵の如し。尚お復た何をか言わん。」平原愕然として故を問う。対えて曰く、「是れ知り難からざるなり。椒殿の立つは、平章に出づるに非ざれば、則ち椒殿怨む。皇子の立つは、平章に出づるに非ざれば、則ち皇子怨む。賢人君子、朱熹・彭亀年・趙汝愚より下、斥逐貶死して勝げて数うべからず。則ち士大夫怨む。辺釁既に開き、三軍骨を暴し、孤児寡婦、哭声相い聞こゆ。則ち三軍怨む。辺民は殺掠に死し、内地は科需に死す。則ち四海万姓皆な怨む。此の衆怨を叢めて、平章何を以て之に当たらん。」平原黙然として久しくして曰く、「何を以て我に教うる。」其の人辞謝す。再三固く問う。乃ち曰く、「僅かに一策有り。第だ平章の能く用いざるを恐る。
-
『智囊』知微・夏翁・尤翁夏翁は江陰の巨族である。嘗て舟で行き市橋を過ぎた。一人が糞を担い、その舟に傾け入れ、翁の衣に濺いだ。その人は旧識であった。僮輩は怒って殴ろうとした。翁は曰く、「これは知らずして出たことだ。我と知れば、どうして犯そうか」と。そこで好語して遣った。帰るに及んで、債籍を閲すると、この人は三十金を負って償う無く、これによって死を求めようとしていたのである。翁はこれが為に券を折った。長洲の尤翁は銭典を開いていた。歳底に、外で哄ぐ声を聞き、出て視ると鄰人であった。司典者が前に訴えて曰く、「某は衣を将て銭を質とし、今、空手で来て取ろうとし、反って罵詈の語を出しました。そんな理がありましょうか」と。その人は悍然として遜らなかった。翁は徐ろに諭して曰く、「我は汝の意を知っている。新年を過ごす計のためにすぎない。これは小事だ、どうして争うのか」と。原質を検えさせると、衣帷が四五事あった。翁は絮衣を指して、「これは寒さを禦ぐに少なくできぬ」と言い、また道袍を指して、「汝のために拝年に用いよ。他の物は急ぐ所ではない、自ら留めておいてよい」と言った。その人は二件を得て、黙して去った。この夜、竟に他家で死に、訟えが経年に及んだ。蓋しこの人は債を負うこと多く、已に毒を服していて、尤が富むので詐れると知ったが、獲られなかったので、他家に移ったのである。或るひとが尤翁に問うた、「どうして預め知って忍んだのですか」と。翁は曰く、「およそ非理が相加わるのは、その中に必ず恃む所があるからだ。小さな不忍は禍が立ちどころに至る」と。人はその識に服した。
-
『智囊』知微・王禹偁・何心隱丁謂の詩に「天門九重開き、終に当に臂を掉りて入るべし」有り。王禹偁之を読みて曰く、「公門に入るには、鞠躬如たり。天門豈に臂を掉りて入るべけんや。此の人必ず忠ならず。」後に其の言の如し。何心隠は、嘉・隆の間の大侠にして、講学を以て名と為す。御史耿定向と善く、京師に游びて与に処る。適たま翰林張居正来たりて訪う。何、望み見て便ち走りて匿る。張、何が耿の所に在るを聞き、見えんことを請う。何、辞するに疾を以てす。張少しく坐し、深く語るに及ばずして去る。耿、江陵を見ざる故を問う。何曰く、「此の人は吾之を畏る。」耿曰く、「何為れぞ。」何曰く、「此の人は能く天下の大柄を操る。」耿、然りとせず。何又た曰く、「分宜は道学を滅ぼさんと欲して能わず、華亭は道学を興さんと欲して能わず。能く興滅する者は、此の子なり。子之を識せ。此の人当に我を殺すべし。」後に江陵国に当たり、其の徒を聚めて政を乱すを以て、卒に之を捕えて殺す。〔馮述評〕心隠、一たび江陵を見て、便ち其の必ず能く柄を操るを知り、又た其の当に我を殺すべきを知る。智と謂うべし。卒に放浪不検を以て、自ら罟獲に陥るは何ぞや。王弇州『朝野異聞』に載す、心隠嘗て呉興に游び、幾ど其の豪を誘いて不軌を為さんとす。又た其の友呂光は多く蛮中に游び、兵法を以て其の酋長に教う。然らば則ち心隠の死は枉げられたるに非ざるなり。而るに李卓吾猶お心隠を容れざるを以て江陵の罪と為す。豈に正論ならんや。
-
『智囊』狡黠・丹客嘉靖中、松江の一監生、博学にして口有り、酷だ丹術を信ず。丹士有り、先ず小試を以て信を取り、乃ち大いに其の金を出さしめて尽く之を竊む。生、慚憤すること甚だしく、広く游びて以て一遇を冀わんと欲す。忽ち一日、呉の閶門に値う。丹士、啓歯を俟たず、即ち邀えて肆中に飲み、慇懃に過ちを謝す。既にして謀りて曰く、「吾が儕は金を得れば、手に随いて費し去る。今、東山の一大姓、業に成約有り。吾が師の来たりて事を挙ぐるを俟つ。君、肯んじて権に吾が師と作りて、彼より償いを取らば、易易たるのみ」と。生、金を得るに急にして、之を許す。乃ち髪を剪りて頭陀と為し、事うるに師の礼を以てす。大姓、其の談鋒に接して深く相い欽服し、日に款接す。而して丹の事を以て其の徒輩に委ね、且つ師の在れば慮る無しと謂う。一旦、復た金を竊みて去る。其の師を執えて、官に訟えんと欲す。生、号泣して自ら明らかにし、僅かにして釈さるるを得たり。帰るに及び、親知は其の髪の種種たるを見て、皆訕笑す。〔述評〕金を以て色に易うるは、尚お未だ全く輸けず、但だ纏頭の過費のみ。若し頭髪を送却して「師父」の一声に博するは、尤も謂れ無し。
-
『智囊』知微・夏翁・尤翁〔馮述評〕呂文懿公が初めて相位を辞して、故里に帰ると、海内は仰ぐこと山斗の如くであった。郷人で酔ってこれを詈る者がいたが、公は僕者に較うことなかれと戒めた。年を逾えて、その人は死刑を犯して獄に入った。呂は始めて悔いて曰く、「もし当時、稍や計較して、公家に送って責め治めさせていれば、小懲を以て大戒とすることができた。吾はただ厚きを存しようと欲したが、悪を養成して、人を過ちの地に陥れるに至ろうとは思わなかった」と。議する者はこれを仁人の言とした。或いは疑うに、この事は夏・尤の二翁と相反する。子猶(馮夢龍)は曰く、不然である。酔って詈る者は悪習であり、理の有る所であるから、これを創して改めさせるべきである。理外の事のごときは、また理外を以て容れるべきである。智は活水の如く、どうして一轍に拘るべきであろうか。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る