智囊 / 知微・張翰・顧榮・庾袞
齊王冏專政,顧榮、張翰皆慮及禍。翰因秋風起,思菰菜、蒓羹、鱸魚膾,歎曰:「人生貴適志耳,富貴何為?」即日引去,榮故酣飲,不省府事,以廢職徙為中書侍郎。潁川處士庾袞聞冏期年不朝,歎曰:「晉室卑矣,禍亂將興。」帥妻子逃林慮山中。
新字:斉王冏専政,顧栄、張翰皆慮及禍。翰因秋風起,思菰菜、蒓羹、鱸魚膾,嘆曰:「人生貴適志耳,富貴何為?」即日引去,栄故酣飲,不省府事,以廃職徙為中書侍郎。潁川処士庾袞聞冏期年不朝,嘆曰:「晋室卑矣,禍乱将興。」帥妻子逃林慮山中。
書き下し
斉王冏、政を専らにするや、顧栄・張翰、皆な禍に及ぶを慮る。翰、秋風起こるに因り、菰菜・蓴羹・鱸魚の膾を思い、歎じて曰く、「人生は志に適うを貴ぶのみ。富貴は何をか為さん。」即日引き去る。栄は故に酣飲して府事を省みず、職を廃するを以て徙りて中書侍郎となる。潁川の処士庾袞は、冏が期年朝せざるを聞き、歎じて曰く、「晋室卑し。禍乱将に興らんとす。」妻子を帥いて林慮山中に逃る。
現代語訳
斉王の司馬冏が政権を独占すると、顧栄と張翰はともに、禍が自分たちに及ぶことを心配した。張翰は秋風が吹くと、故郷の菰の芽、蓴菜の吸い物、鱸の膾が恋しくなり、嘆いて言った。「人生は心の向くままに生きるのが大切だ。富や地位が何になろう。」そしてその日のうちに職を去った。顧栄はわざと酒に浸り、役所の仕事を顧みず、職務怠慢の罪で中書侍郎に左遷された。潁川の隠士の庾袞は、司馬冏が一年も朝廷に出ないと聞いて嘆いた。「晋の王室は衰えた。禍乱がまもなく起こるだろう。」そして妻子を連れて林慮山に逃れた。
解説
権力者が専横を極めたとき、巻き込まれないための身の処し方を三者三様に示す話です。張翰は故郷の食べ物を口実に辞め、顧栄は酒に溺れて無能を装い、庾袞は兆しを見て山に逃れました。共通するのは、危険な環境に長く留まらず、自分に合った方法で距離を置いたことです。会社でも、不正やパワハラが蔓延する職場に留まり続けるのは危険で、早めに離れる決断が人生を守る場合があります。ただし、退く理由を作る巧みさも含め、周囲との関係を悪化させず穏当に去る知恵が学べます。
この章句が説くこと
人生貴適志酣飲不省府事晋室卑辞職の判断距離を置く身の処し方
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