智囊 / 知微・高歡
齊神武自洛陽還,傾產結客。親友怪問之,答曰:「吾至洛陽,宿衛羽林相率焚領軍張彝宅,朝廷懼亂而不問。為政若此,事可知也。財物豈可常守耶?」自是有澄清天下之志。〔馮述評〕莽殺子滅後家,而三綱絕;魏不治宿衛羽林之亂,而五刑隳。退則為梅福之掛冠浮海,進則為神武之散財結客。
新字:斉神武自洛陽還,傾産結客。親友怪問之,答曰:「吾至洛陽,宿衛羽林相率焚領軍張彝宅,朝廷懼乱而不問。為政若此,事可知也。財物豈可常守耶?」自是有澄清天下之志。〔馮述評〕莽殺子滅後家,而三綱絶;魏不治宿衛羽林之乱,而五刑隳。退則為梅福之掛冠浮海,進則為神武之散財結客。
書き下し
斉の神武、洛陽より還り、産を傾けて客を結ぶ。親友怪しみて之を問う。答えて曰く、「吾、洛陽に至り、宿衛の羽林、相い率いて領軍張彝の宅を焚くを見る。朝廷は乱を懼れて問わず。政を為すこと此の若くんば、事知るべきなり。財物豈に常に守るべけんや。」是れ自り天下を澄清するの志有り。〔馮述評〕莽は子を殺し後家を滅ぼして三綱絶え、魏は宿衛羽林の乱を治めずして五刑隳る。退けば則ち梅福の冠を掛け海に浮かぶが為にし、進めば則ち神武の財を散じ客を結ぶが為にす。
現代語訳
北斉の神武帝(高歓)は洛陽から戻ると、財産を傾けて人々と交わりを結んだ。親しい友人が怪しんで理由をたずねると、答えた。「私は洛陽に行ったとき、宮中を守る羽林の兵士たちが、そろって領軍将軍張彝の邸宅に火をつけたのを見た。朝廷は混乱を恐れて責めなかった。政治がこのようであれば、先行きは分かる。財産がいつまでも守れるものか。」これ以来、天下を澄み正す志を抱いた。〔馮夢龍の評〕王莽は子を殺し、家族を滅ぼして、人倫の三つの綱が絶え、北魏は宿衛の兵の乱を処罰せず、法が崩れた。身を引くなら、梅福のように官を捨てて海に隠れ、進むなら、神武のように財を散じて人々と結ぶ、ということだ。
解説
この章句が説くこと
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