智囊 / 知微・曹瑋
鬷曰:「非也。昔時為三司鹽鐵副使,疏決獄囚,至河北;是時曹南院自陝西謫官,初起為定帥。鬷至定,治事畢,瑋謂鬷曰:『公事已畢,自此當還。明日願少留一日,欲有所言。』鬷既愛其雄材,又聞欲有所言,遂為之留。明日,具饌甚簡儉,食罷,屏左右,曰:『公滿面權骨,不為樞輔即邊帥,或謂公當作相,則不能也。不十年,必總樞於此,時西方當有警,公宜預講邊備,搜閱人材,不然無以應猝。』鬷曰:「四境之事,唯公知之,何以見教?』曹曰:『瑋在陝西日,河西趙德明嘗使以馬易於中國,怒其息微,欲殺之,莫可諫止。德明有一子,年方十餘歲,極諫不已:『以戰馬資鄰國已是失計,今更以資殺邊人,則誰肯為我用者?』瑋聞其言,私念之曰:『此子欲用其人矣,是必有異志!』聞其常往來於市中,瑋欲一識之,屢使人誘致之,不可得。乃使善畫者圖其貌,既至觀之,真英物也!此子必為邊患,計其時節,正在公秉政之日。公其勉之!」鬷是時殊未以為然。今知其所畫,乃元昊也。」〔李溫陵曰〕對王鬷談兵,如對假道學談學也。對耳不相聞,況能用之於掌本兵之後乎?既失官矣,乃更思前語。滔滔者天下皆是也!
新字:鬷曰:「非也。昔時為三司塩鉄副使,疏決獄囚,至河北;是時曹南院自陝西謫官,初起為定帥。鬷至定,治事畢,瑋謂鬷曰:『公事已畢,自此当還。明日願少留一日,欲有所言。』鬷既愛其雄材,又聞欲有所言,遂為之留。明日,具饌甚簡倹,食罷,屏左右,曰:『公満面権骨,不為枢輔即辺帥,或謂公当作相,則不能也。不十年,必総枢於此,時西方当有警,公宜預講辺備,捜閲人材,不然無以応猝。』鬷曰:「四境之事,唯公知之,何以見教?』曹曰:『瑋在陝西日,河西趙徳明嘗使以馬易於中国,怒其息微,欲殺之,莫可諫止。徳明有一子,年方十余歳,極諫不已:『以戦馬資鄰国已是失計,今更以資殺辺人,則誰肯為我用者?』瑋聞其言,私念之曰:『此子欲用其人矣,是必有異志!』聞其常往来於市中,瑋欲一識之,屡使人誘致之,不可得。乃使善画者図其貌,既至観之,真英物也!此子必為辺患,計其時節,正在公秉政之日。公其勉之!」鬷是時殊未以為然。今知其所画,乃元昊也。」〔李温陵曰〕対王鬷談兵,如対仮道学談学也。対耳不相聞,況能用之於掌本兵之後乎?既失官矣,乃更思前語。滔滔者天下皆是也!
書き下し
鬷曰く、「術士に非ざるなり。昔時、三司塩鉄副使として、囚獄を疏決し、河北に至る。是の時、曹南院は陝西より官を謫せられ、初めて起ちて定の帥と為る。鬷、定に至り、事を治め畢わる。瑋、鬷に謂いて曰く、『公事は已に畢わる。此れ自り当に還るべし。明日願わくは少しく留まること一日にして、言わんと欲する所有り。』鬷は既に其の雄材を愛し、又た言わんと欲する所有ると聞き、遂に之が為に留まる。明日、饌を具うること甚だ簡倹なり。食罷りて、左右を屏けて曰く、『公は満面権骨あり。枢輔たらずんば即ち辺帥なり。或いは公当に相と作るべしと謂うも、則ち能わざるなり。十年ならずして、必ず此に枢を総ぶ。時に西方に当に警有るべし。公宜しく預め辺備を講じ、人材を捜閲すべし。然らざれば以て猝に応ずる無し。』鬷曰く、『四境の事は、唯だ公のみ之を知る。何を以て教えらるるか。』曹曰く、『瑋、陝西に在りし日、河西の趙徳明、嘗て馬を以て中国と易えしむ。其の息の微なるを怒り、之を殺さんと欲し、諫め止むる莫し。徳明に一子有り、年は方に十余歳、極諫して已まず、曰く、「戦馬を以て隣国に資するは已に是れ失計なり。今更に以て辺人を殺すに資せば、則ち誰か肯えて我が為に用いんや。」瑋、其の言を聞き、私かに之を念いて曰く、「此の子は其の人を用いんと欲す。是れ必ず異志有り。」其の常に市中に往来すと聞き、瑋、之を一たび識らんと欲し、屢しば人をして誘致せしむるも得ず。乃ち善く画く者をして其の貌を図せしむ。既に至りて之を観るに、真に英物なり。此の子は必ず辺患と為る。其の時節を計るに、正に公の政を秉るの日に在り。公其れ之を勉めよ。』鬷は是の時殊に未だ以て然りとせず。今、其の画く所を知るに、乃ち元昊なり。」〔李温陵曰く〕王鬷に兵を談ずるは、偽道学に学を談ずるが如し。耳は相い聞かず、況んや能く之を兵を掌るの後に用いんや。既に官を失いて、乃ち更に前語を思う。滔滔たる者、天下皆な是れなり。
現代語訳
王鬷は言った。「占い師ではないのだ。昔、私が三司塩鉄副使として、囚人の審理を行いに河北へ行ったときのことだ。その頃、曹瑋(南院使)は陝西で官を貶されていたが、初めて起用されて定州の長官となっていた。私が定州に着いて用事を済ませると、曹瑋は私に『公務はもう終わりました。ここから帰られるでしょうが、明日あと一日留まっていただきたい。申し上げたいことがあります』と言った。私は彼の雄才を好ましく思い、また話があると聞いたので、留まることにした。翌日、用意された食事はごく質素だった。食事が終わると、人払いをして曹瑋は言った。『あなたの顔は頬骨が張って権力の相があります。枢密の要職につくか、辺境の将帥になるでしょう。宰相になるという人もいますが、それは無理です。十年以内に、必ずこの国の枢密を統べる立場になるでしょう。そのとき西方に必ず事変が起こります。今から辺境の備えを講じ、人材を探しておかなければ、急変に対応できません。』私が『四方の境のことは、あなただけが知っている。具体的に何を教えてくださるのか』と問うと、曹瑋は言った。『私が陝西にいたころ、河西の趙徳明が馬を中国の品と交換させようとしたことがありました。その利が少ないことを怒って、役人を殺そうとし、誰も諫め止められませんでした。徳明には息子が一人いて、まだ十歳あまりでしたが、強く諫めて止みませんでした。「軍馬を隣国に与えるのがすでに失策です。そのうえ辺境の人を殺すなら、誰が私たちのために働くでしょうか。」と。私はその言葉を聞き、ひそかに考えました。この子は人を用いることを知っている。きっと別の志を抱くに違いない、と。その子がよく市中を往来していると聞いたので、一度会ってみたいと思い、何度も人を使って誘い出させましたが、来ませんでした。そこで絵の上手な者にその顔を描かせ、持ち帰って見ると、まことに英傑の相でした。この子は必ず辺境の災いになります。その時期を数えると、ちょうどあなたが政権を担当する頃に当たります。どうか励んでください。』私はその頃、まったくそうだと思わなかった。今、その絵の人物が元昊だったと分かったのだ。」〔李卓吾の評〕王鬷に軍事を語るのは、にせ道学者に学問を語るようなものだ。耳に入らないのに、軍を掌る立場になってから活かせるはずがない。官を失ってから、ようやく前の言葉を思い出す。そのような者は世の中にいくらでもいる。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』定公八年 陽虎、宝玉大弓を取る之に違へば死を徵す。死すとも主に益無し」と。桓子曰く、「何の後るることか之有らん。而、能く我を以て孟氏に適かんか」と。對へて曰く、「敢へて死を愛まず。主を免れしめざらんことを懼る」と。桓子曰く、「往け」と。孟氏、圉人の壯なる者三百人を選び、以て公期の為に室を門外に築かしむ。林楚、馬を怒らせ、衢に及びて騁す。陽越、之を射て中らず。築く者、門を闔づ。門の間より陽越を射る有りて、之を殺す。陽虎、公と武叔とを劫かして以て孟氏を伐つ。公斂處父、成人を帥ゐ、上東門より入りて陽氏と南門の內に戰ふ。勝たず。又棘下に戰ふ。陽氏敗る。陽氏、甲を說きて公宮に如き、寶玉・大弓を取りて以て出で、五父の衢に舍る。寢ねて食を為る。其の徒曰く、「追ふもの其れ將に至らんとす」と。虎曰く、「魯人、余の出づるを聞かば、死を徵すを喜ばん。何の暇ありてか余を追はん」と。從者曰く、「嘻、速かに駕せよ。公斂陽在り」と。公斂陽、之を追はんことを請ふ。孟孫許さず。陽、桓子を殺さんと欲す。孟孫懼れて之を歸す。子言、辨く爵を季氏の廟に舍きて出づ。陽虎、讙・陽關に入りて以て叛く。鄭の駟歂、子大叔を嗣ぎて政を為す。
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『春秋左氏伝』成公九年 備へ無きかな冬十一月、楚の子重陳より莒を伐ち、渠丘を圍む。渠丘城惡し。眾潰えて、莒に奔る。戊申、楚渠丘に入る。莒人楚の公子平を囚ふ。楚人曰く、「殺す勿かれ。吾而の俘を歸さん」と。莒人之を殺す。楚の師莒を圍む。莒の城も亦た惡し。庚申、莒潰ゆ。楚遂に鄆に入る。莒備へ無きが故なり。君子曰く、「陋を恃みて備へざるは、罪の大なる者なり。不虞に備豫するは、善の大なる者なり。莒其の陋を恃みて、城郭を脩めず。浹辰の間にして、楚其の三都に克つ。備へ無きかな。詩に曰く、『絲麻有りと雖も、菅蒯を棄つる無かれ。姬姜有りと雖も、蕉萃を棄つる無かれ。凡百の君子、匱しきに代はらざる莫し』と。備への以て已むべからざるを言ふなり」と。秦人・白狄晉を伐つ。諸侯貳するが故なり。鄭人許を圍む。晉に君を急がざるを示すなり。是れ則ち公孫申之を謀りて曰く、「我師を出だして以て許を圍み、將に君を改め立てんとする者の為にして、而して晉の使を紓べば、晉必ず君を歸さん」と。中城に城く。時を書するなり。十二月、楚子公子辰をして晉に如かしむ。鍾儀の使に報い、好を修め成を結ばんことを請ふ。
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『甲陽軍鑑』品第十一縦へば番匠か大和国ならの大仏殿を立るに、二尺·三尺のかねをもつて立て、二間四方のらいさき堂をも右のかねにて仕る、すこしき備を立て、大人数には組合せよからん、大備へに組み其陣にて用有るとて、人数をわくれば、其備減りたるとて上下力をおとす者なり、其所に当る敵も大にきほふ者なり、惣じて大備への崩れ立ちたるは、何たる名大将とても、其下の剛の者共も支配成るまじきぞ、
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『墨子』七患故に食に備粟無ければ、以て凶饑を待つ可からず。庫に備兵無ければ、義有りと雖も、無義を征する能わず。城郭、備え全からざれば、以て自ら守る可からず。心に備慮無ければ、以て卒に應ずる可からず。是の故に慶忌は之を去るの心無くんば、輕々しく出づる能わず。夫れ桀に湯を待つの備無し、故に放たる。紂に武王を待つの備無し、故に殺さる。桀紂は貴きこと天子と為り、富は天下を有つ。然れども皆な百里の君に滅亡せらるるは、何ぞや。富貴有りて備えを為さざればなり。故に備えなる者は、國の重んずる所なり。
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『墨子』備城門城下の里中の家人、各おの葆すること亦た左右前後、城上の如くす。城小さく人衆ければ、鄉の老弱を葆離し、國中及び大城に也す。㓂至らば、必ず攻めんことを度り、主人、先ず城編を削る。唯だ燒くこと勿かれ。冦、城下に在らば、時に吏卒の署を換え、而も亦た養を換うる毋かれ。養は城に上るを得る毋かれ。宼、城下に在らば、諸盆罋を牧め、城下に耕積す。百步に一積、積は五百。城門の内、室有るを得ず。周官・桓吏を為り、四尺を倪と為す。行棧の内閈、二關一堞。城場の外を除き、池を去ること百步、墻垣樹木の小大、盡く壊し代え除去す。寇の從りて來たる所、若しくは昵道・傒近、若しくは城塲は、皆な扈樓を為る。竹箭を天中に立つ。守堂の下に大樓を為り、髙く城に臨む。堂下、周く散じ、道中、客に應ず。客、見ゆるを待つ。時に三老・左葆・官中の者を召し、與に事を計る。之を為すこと奈何と。子墨子曰く、穴士の守を問う。邪びに穴を備うる者は、城内に髙樓を為りて以て此の十四者を謹み具うれば、則ち民も亦た上を疑わず。然る後に城、守る可し。十四者、一も無くんば、則ち善き者と雖も守る能わざるなり。
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『家道訓』巻之一・総論上一凡、家内の平日の用心は、かねてより早くすべし。第一に、来年の秋までの糧米をそなへ、次に塩醬をたくはへ、脯醢をつくり、薪炭油をかねてよりあつむべし。右の貯なければ、家の計たたず。奴婢をあはれみ、其衣食居処を察して飢寒せしめず、其所を得せしむべし。男女内外の別を正しくし、武士は、鎗長刀弓矢鉄炮杖棒等を、常に便よき所におくべし。常に用ふる器をととのへ備へ、器のそこなへるをば修補し、屋宅蔵庫牆壁の破損せるをはやく修理し、材木竹茅土石を求め貯へ、馬をよく飼ひ、其外、家に飼ふべき畜類をやしなひ、菜蔬草木、時に順つてうゑやしなふべし。蔵のあけたて出し入れを察し、盗賊と火災との用心、つねにきびしくしておこたるべからず。火をふせぐ器なども平日備ふべし。凡家内のこと、つねに心を用ひておこたるべからず。
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