智囊 / 知微・潘濬
武陵郡樊伷由嘗誘諸夷作亂,州督請以萬人討之,權召問潘濬。濬曰:「易與耳,五千人足矣。」權曰:「卿何輕之甚也?」濬曰:「伷雖弄唇吻而無實才。昔嘗為州人設饌(比至日中,食不可得,而十餘自起,此亦侏儒觀一節之驗也。」權大笑,即遣濬,果以五千人斬伷。
新字:武陵郡樊伷由嘗誘諸夷作乱,州督請以万人討之,権召問潘濬。濬曰:「易与耳,五千人足矣。」権曰:「卿何軽之甚也?」濬曰:「伷雖弄唇吻而無実才。昔嘗為州人設饌(比至日中,食不可得,而十余自起,此亦侏儒観一節之験也。」権大笑,即遣濬,果以五千人斬伷。
書き下し
武陵郡の樊伷、由に嘗て諸夷を誘いて乱を作さしむ。州督、万人を以て之を討たんと請う。権、潘濬を召して問う。濬曰く、「与し易きのみ。五千人にして足る。」権曰く、「卿、何ぞ之を軽んずること甚だしきや。」濬曰く、「伷は唇吻を弄すと雖も実才無し。昔嘗て州人の為に饌を設くるに(原文に欠け)、日中に至るに比びて、食得べからず。而して十余自ら起つ。此れも亦た侏儒の一節を観るの験なり。」権大いに笑い、即ち濬を遣わす。果たして五千人を以て伷を斬る。
現代語訳
武陵郡の樊伷は、以前から諸々の蛮族をそそのかして反乱を起こさせていた。州の長官は一万の兵で討伐したいと願い出た。孫権が潘濬を呼んで意見を求めると、潘濬は「たやすい相手です。五千人で十分です」と答えた。孫権は「あなたはどうして、そこまで軽く見るのか」と言った。潘濬は言った。「樊伷は口先を弄しはしますが、実際の才能はありません。以前、州の人々のために宴の食事を用意したことがありましたが(原文に欠けがあり確かでない)、昼になっても食事が出せず、十人あまりが自分から席を立ってしまいました。これも、小人の一つの行いを見て全体を知る証拠です。」孫権は大笑いして、すぐに潘濬を派遣した。潘濬は果たして五千人で樊伷を斬った。
解説
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