智囊 / 知微・明智部總序
馮子曰:「有宇宙以來,只爭『明』、『暗』二字而已。混沌暗而開闢明,亂世暗而治朝明,小人暗而君子明;水不明則腐,鏡不明則錮,人不明則墮於雲霧。今夫燭腹極照,不過半磚,朱曦霄駕,洞徹八海;又況夫以夜為晝,盲人瞎馬,僥倖深溪之不隕也,得乎?故夫暗者之未然,皆明者之已事;暗者之夢景,皆明者之醒心;暗者之歧途,皆明者之定局;由是可以知人之所不能知,而斷人之所不能斷,害以之避,利以之集,名以之成,事以之立。明之不可已也如是,而其目為『知微』,為『億中』,為『剖疑』,為『經務』。吁!明至於能經務也,斯無惡於智矣!聖無死地,賢無敗局;縫禍於渺,迎祥於獨;彼昏是違,伏機自觸。集「知微」。
新字:馮子曰:「有宇宙以来,只争『明』、『暗』二字而已。混沌暗而開闢明,乱世暗而治朝明,小人暗而君子明;水不明則腐,鏡不明則錮,人不明則堕於雲霧。今夫燭腹極照,不過半磚,朱曦霄駕,洞徹八海;又況夫以夜為昼,盲人瞎馬,僥倖深渓之不隕也,得乎?故夫暗者之未然,皆明者之已事;暗者之夢景,皆明者之醒心;暗者之歧途,皆明者之定局;由是可以知人之所不能知,而断人之所不能断,害以之避,利以之集,名以之成,事以之立。明之不可已也如是,而其目為『知微』,為『億中』,為『剖疑』,為『経務』。吁!明至於能経務也,斯無悪於智矣!聖無死地,賢無敗局;縫禍於渺,迎祥於独;彼昏是違,伏機自触。集「知微」。
書き下し
馮子は曰く、「宇宙が有って以来、ただ『明』『暗』の二字を争うのみ。混沌は暗くして開闢は明、乱世は暗くして治朝は明、小人は暗くして君子は明。水は明らかでなければ腐り、鏡は明らかでなければ錮び、人は明らかでなければ雲霧に墮ちる。今そもそも燭が腹を極照しても、半磚に過ぎず、朱曦が霄に駕すれば、八海を洞徹する。ましてや夜を以て昼とし、盲人が瞎馬に乗って、深い溪に隕ちぬことを僥倖としても、得られようか。ゆえに暗き者の未だ然らざることは、皆明らかな者の已に事とすること。暗き者の夢の景は、皆明らかな者の醒めた心。暗き者の歧れ路は、皆明らかな者の定局。これによって人の知り得ぬことを知り、人の断じ得ぬことを断じ、害はこれにより避け、利はこれにより集まり、名はこれにより成り、事はこれにより立つ。明の已むべからざることはかくの如くであり、その目を『知微』と為し、『億中』と為し、『剖疑』と為し、『経務』と為す。ああ。明が務めを経する域に至れば、智を悪むことはなくなる。聖に死地なく、賢に敗局なし。禍を渺かなるうちに縫い、祥を独りのうちに迎える。彼の昏き者は違い、伏機に自ら触れる。『知微』を集む」。
現代語訳
馮夢龍は言う。「この世界が始まって以来、ただ『明』と『暗』の二字を争ってきたにすぎない。混沌は暗く、天地開闢は明るい。乱世は暗く、治まった朝廷は明るい。小人は暗く、君子は明るい。水は澄んでいなければ腐り、鏡は磨いていなければ曇り、人は明らかでなければ雲や霧の中に落ちる。ろうそくで体の内側を照らしても、せいぜい半枚の煉瓦ほどしか照らせないが、朝日が空に昇れば八つの海の隅々まで見通せる。まして夜を昼とみなし、盲人が目の見えぬ馬に乗って、深い谷に落ちないのを幸運とするようなことが、成り立つだろうか。だから暗い者にとってまだ起きていないことは、明るい者にとってはすでに済んだこと。暗い者が夢に見る景色は、明るい者が覚めて知っている心中のこと。暗い者の迷う分かれ道は、明るい者にとって決まった局面である。そこから人が知り得ないことを知り、人が決断できないことを決断でき、害を避け、利を集め、名は成り、事業は立つ。明が欠かせないことはこのとおりである。その分野を『知微』『億中』『剖疑』『経務』とする。ああ。明が務めを治める域にまで達すれば、智を憎むことはなくなる。聖人に死地はなく、賢者に敗局はない。禍を目に見えぬうちに繕い、福を独り先に迎える。あの暗い者は違い、仕掛けの罠に自ら触れてしまう。ここに『知微』を集める」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『智囊』得情・察智部總序馮子曰く、察に非ざれば神ならず、察も智に非ざれば精ならず。子思云う、「文理密察、必ず至聖に属す」と。而して孔子も亦た云う、「其の安んずる所を察す」と。是を以て察の用たる、神にして広きを知る。善く人を相する者は、猶お能く貌を鑑み色を弁じて、人の富貴寿貧賤孤夭を察す。況んや其の事に因りて其の心を察するをや。則ち人の忠佞賢奸、灼然たらざる有らんや。其の目を分かちて「得情」と曰い、「詰奸」と曰い、即ち此を以て人を照らす鏡と為すのみ。馮子曰く、語に云う、「淵の魚を察見する者は不祥なり」と。是を以て聖人は夜行を貴び、人の知らざる所に遊ぶ。然りと雖も、人を知るは実に難し、己を知るは何ぞ害あらん。目中に照乗・摩尼無くんば、又た何を以て夜行して躓かざらんや。子輿は舜を賛するに、明と察を並べ挙ぐ。蓋し明に非ざれば察する能わず、察に非ざれば明を顕わさず。之を大照の空に当たるに譬うれば、容光自ら領し、豈に覆盆有らんや、人憾まず。察察として予に好きが如きは、淵魚は之を避けん。吏治の其の最も顕かなる者にして、情を得れば天下に冤民無く、奸を詰すれば天下に戮民無し。夫れ是を精察と謂う。口は緇素を変じ、権は馬鹿を移し、山鬼は昼に舞い、愁魂は夜に哭す。如し其の情を得ば、片言にして獄を折く。唯だ参と由は、吾是れ私淑す。「得情」を集む。
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『智囊』見大・上智部總序馮子曰く、智に常局無し。恰も其の局に肖たる者を以て上と為す。故に愚夫も或いは其の一得を現し、而して暁人も反って千慮に失す。何となれば、上智は心無くして合い、千慮の臻る所に非ざればなり。人は小を取り、我は大を取る。人は近を視、我は遠を視る。人は動きて愈いよ紛れ、我は静かにして自ら正す。人は手を束ねて策無く、我は刃を游ばせて余り有り。夫れ是の故に、難事も之に遇えば皆な易く、巨事も之に遇えば皆な細なり。其の斡旋は声臭無きの微に入り、其の挙動は人の意想思索の外に出ず。或いは先に忤いて後に合い、或いは逆に似て実は順なり。其の閒閒たるに方たりては、豪傑も疑う所なれども、断断たるに迄びては、聖人も易えず。嗚呼、智の此の若きは、豈に上に非ずや。上智は学ぶべからず。意うに上に法りて中を得んか。抑も語に云う、下下の人にも上上の智有り、と。庶幾くは触るる有りて現れんか。余は其の概を条列し、稍や四則に分かち、曰く見大、曰く遠猶、曰く通簡、曰く迎刃、而して統べて名づけて上智と曰う。一は操り一は縦ち、意表を度越す。尋常の驚く所、豪傑の了する所。見大を集む。
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『智囊』序・智囊自敘馮子曰く、人に智有るは猶お地に水有るがごとし。地に水無ければ焦土と為り、人に智無ければ行屍と為る。智の人に用いらるるは、猶お水の地を行くがごとし。地勢坳なれば則ち水之に満ち、人事坳なれば則ち智之に満つ。古今成敗得失の林を周覧するに、此に由らざるは蔑し。何を以て之を明らかにせん。昔者、梁・紂は愚にして湯・武は智なり。六国は愚にして秦は智なり。楚は愚にして漢は智なり。隋は愚にして唐は智なり。宋は愚にして元は智なり。元は愚にして聖祖は智なり。大を挙ぐれば則ち細は見るべし。斯れ『智囊』の述ぶる所以なり。或ひと之を難じて曰く、智は舜より大なるは莫きに、頑囂に困しめらる。亦た孔より大なるは莫きに、陳・蔡に厄す。西隣の子は六芸に嫻習するも、璞を懐いて售られず、鶉衣にして食を彀う。東隣の子は紇字をも識らざるに、坐して素封を享け、僕従は百に盈つ。又た安くんぞ愚は失い智は得るに在らんや、と。馮子笑いて曰く、子は夫の井を鑿つ者を見ざるか。冬は裸にして夏は裘し、縄もて入り、畚もて出す。平地にして泉を獲る者は智なり。夫の土究まりて石見るは変なり。種世衡なる者有り、石を屑して泉を出だし、潤いは万家に及ぶ。是の故に愚人は石を見、智者は泉を見る。変は智を窮せしむれども、智は復た変に窮せず。もし智が舜・孔に非ざれば、廩に灰し、井に泥し、陳・蔡に俘にされ、何の暇ありて牀に琴し野に弦せんや。子は且つ聖人の智の妙用を未だ知らず、而るに又た何を以て吾が囊を窺わんや。
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『智囊』靈變・捷智部總序馮子曰く、大事なる者は百年を争い、一息を争わず。然れども一息は固より百年の始めなり。夫れ事変の会は、火の如く風の如し。愚者は焉に犯し、稍や覚れば、則ち去りて之を違る。賀して害せざるのみ。今此に道有り、能く風を返し火を滅ぼさば、則ち木を抜き原を燎くと雖も、適に其の伎を試すに足るのみにして驚かず。嘗試みに之を足力に譬えん。一里の程にも、必ず先に至る者有り、争う所は刻に逾ゆるのみ。之を累ねて十里百里となれば、則ち其の刻を為すこと弥々多し。又況んや智の遅疾、相い去ること啻に千万里のみならざるをや。軍志に之有り、「兵は拙速を聞くも、巧の久しきを聞かず」と。夫れ速くして巧み無き者は、必ず久しくして愈々拙なる者なり。今、径尺の樽有りて、通衢に置かんに、先に至る者は酔うを得、継いで至る者は嘗むるを得、最後に至る者は唇を乾かして返らん。葉葉にして之を摘まば、日を窮むるも一樹を髡くす能わず。秋風霜を下せば、一夕にして零落す。此れ造化の捷きを言うなり。人の若し其れ捷くば、其の霊は万変し、卒に応ずるに窮せず。此れ唯だ敏悟なる者庶幾からん。嗚呼、事変の停まりて我を俟つ能わざること審らかなり。天下も亦た烏んぞ智にして捷からず、捷からずして智なる者有らんや。一日百戦し、成敗は糸の如し。三年にして車を造り、臨時に覆る。凶を去り吉に即くは、夷の思うに匪ず。「霊変」を集む。
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『智囊』狡黠・雜智部總序馮子曰く、「智、何を以て雑と名づくるや。其の黠にして狡く、慧にして小なるを以てなり。正智は狡に取る無く、而れども正智は或いは反って狡の者の為に困しめらる。大智は小に取る無く、而れども大智は或いは反って小の者の為に欺かる。其の狡を破れば則ち正は勝ち、其の小を識れば則ち大は又た勝つ。況んや狡にして之を正に帰せば、未だ始めより正に非ざるにあらず。小にして之を大に充たせば、未だ始めより大ならずんばあらざるをや。一の餳なるや、夷は以て老を娯しませ、跖は以て戸に脂す。是の故に狡は正すべくして、正は狡なるべし。一の不亀手の薬なるや、或いは以て戦い勝ちて封ぜられ、或いは洴澼絖を免れず。是の故に大は小なるべく、而して小は大なるべし。雑智具わりて天下に余智無し。之を難ずる者曰く、『智は愚の若し、是れ余智有らざるか』と。吾応じて曰く、『政に唯だ余智無し、乃ち以て余智有るべし。太山にして撮土を却け、河海にして涓流を辞すれば、則ち亦た太山河海を成さざらん』と。鶏鳴狗盗、卒に孟嘗を免れしめ、薛の上客と為る。顧うに之を用うること何如のみ。吾又た安んぞ古人の所謂正且つ大なる者の、反って不善に智を用うる者の賎しむる所と為らざるを知らんや。是の故に雑智を以て其の篇を終う。其の智を得て、其の雑を化するも可なり。其の雑を略して、其の智を彩るも可なり。英雄人を欺き、盗にも亦た道有り。智は日に以て深く、奸は日に以て老ゆ。物に象りて備えを為す、禹鼎は茲に在り。庶幾くは若わず、或いは之に逢う莫からん。『狡黠』を集む」と。
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『智囊』序・智囊自敘或ひと又た曰く、僕聞く、法を上に取れば、僅かに中を得る、と。子の智を品するや、神奸巨猾も或いは上乗に登り、雞鳴狗盗も亦た奇聞に備う。囊は且に穢れたり。何を以て世に訓えんや。馮子曰く、吾れは智を品するにして人を品するに非ざるなり。唯だに其の人のみならず、唯だ其の事のみ。唯だに其の事のみならず、唯だ其の智のみ。奸猾盗賊と雖も、誰か吾が薬籠中の硝・戟に非ざらん。吾れは一に以て蛛網と為し、推して之を漁すべし。一に以て蚕繭と為し、推して之を室とすべし。譬えば谷王のごとし。衆水同じく帰す。豈に其の流を択びて受けんや。或ひと以て難ずる無く、遂に其の語を篇首に書す。馮子は名は夢龍、字は猶龍、東呉の畸人なり。
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