智囊 / 迎刃・趙令郯
崇寧初,分置敦宗院於三京,以居疏冗,選宗子之賢者蒞治院中。或有尊行,治之者頗以為難。令郯初除南京敦宗院,登對,上問所以治宗子之略。對曰:「長於臣者,以國法治之;幼於臣者,以家法治之。」上稱善,進職而遣之。郯既至,宗子率教,未嘗擾人,京邑頗有賴焉。
新字:崇寧初,分置敦宗院於三京,以居疏冗,選宗子之賢者莅治院中。或有尊行,治之者頗以為難。令郯初除南京敦宗院,登対,上問所以治宗子之略。対曰:「長於臣者,以国法治之;幼於臣者,以家法治之。」上称善,進職而遣之。郯既至,宗子率教,未嘗擾人,京邑頗有頼焉。
書き下し
崇寧の初め、敦宗院を三京に分置し、疏冗の者を居らせ、宗子の賢者を選んで院中に蒞治させた。或いは尊行の者が有ったので、これを治める者はおおむね難しいとした。令郯は初め南京敦宗院に除せられ、登対すると、上は宗子を治める所以の略を問うた。対えて曰く、「臣より長ずる者は、国法を以てこれを治め、臣より幼い者は、家法を以てこれを治めます」と。上は善しと称え、職を進めて遣わした。郯は既に至ると、宗子は教えに率い、未だ曾て人を擾さず、京邑はおおむね頼むことがあった。
現代語訳
崇寧の初め、敦宗院を三つの都に分けて置き、皇族の傍系や無職の者を住まわせ、皇族のうち賢明な者を選んで院の統治に当たらせた。その中には目上の人もいたため、治める者はたいてい難しいと感じていた。趙令郯は初め南京の敦宗院の長官に任じられ、皇帝に謁見すると、皇帝は皇族を治める方針を問うた。彼は答えた。「私より年長の者には国法で治め、私より年少の者には家法で治めます」。皇帝は良いと称賛し、官職を進めて送り出した。趙令郯が着任すると、皇族は教えに従い、人々を煩わすことはなく、都の町もおおむねその恩恵を受けた。
解説
この章句が説くこと
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