智囊 / 迎刃・張瀚
張瀚知庐州府,再補大名。庚戌羽當薄都門,詔遣司馬郎一人,持節徵四郡兵入衛。使者馳至真定,諸守相錯愕,且難庭謁禮,躊躇久之。瀚聞報,以募召游食,飢附飽颺,不可用。披所屬編籍,選丁壯三十之一,即令三十人治一人餉,得精銳八百人。馳謂諸守:「此何時也,而與使者爭苛禮乎。司馬郎誠不尊於二千石,顧《春秋》之義,以王人先諸侯,要使令行威振耳。借令傲然格使者,其謂勤王何?」諸守色動,遂俱入謁。瀚首請使者閱師。使者卉然曰:「何速也?」比閱師,則人人精銳,絕出望外,使者乃歎服守文武才。
新字:張瀚知庐州府,再補大名。庚戌羽当薄都門,詔遣司馬郎一人,持節徴四郡兵入衛。使者馳至真定,諸守相錯愕,且難庭謁礼,躊躇久之。瀚聞報,以募召游食,飢附飽颺,不可用。披所属編籍,選丁壮三十之一,即令三十人治一人餉,得精鋭八百人。馳謂諸守:「此何時也,而与使者争苛礼乎。司馬郎誠不尊於二千石,顧《春秋》之義,以王人先諸侯,要使令行威振耳。借令傲然格使者,其謂勤王何?」諸守色動,遂倶入謁。瀚首請使者閲師。使者卉然曰:「何速也?」比閲師,則人人精鋭,絶出望外,使者乃嘆服守文武才。
書き下し
張瀚は廬州府に知たり、再び大名に補された。庚戌に虜が都門に薄ろうとし、詔して司馬郎一人を遣わし、節を持って四郡の兵を徴して入衛させた。使者が真定に馳せ至ると、諸守相は錯愕し、かつ庭謁の礼を難しとして、躊躇すること久しかった。瀚は報を聞き、募召した游食は、飢えれば附き飽けば颺り、用いるべからずと考えた。所属の編籍を披き、丁壮の三十分の一を選び、三十人をして一人の餉を治めさせ、精鋭八百人を得た。馳せて諸守に謂う、「これは何の時か。而るに使者と苛礼を争うのか。司馬郎は誠に二千石より尊くはないが、顧みるに《春秋》の義は、王人を以て諸侯に先んず。要は令を行い威を振るわせることにある。もし傲然として使者を格むならば、それでも勤王と言えようか」と。諸守は色を動かし、遂に倶に入謁した。瀚は首に使者に請うて師を閲させた。使者は卉然として曰く、「何と速いことか」と。閲師するに及ぶと、人々は精鋭で、望外に絶出していた。使者はこれにより歎服し、守の文武の才を称えた。
現代語訳
張瀚は廬州府の知府となり、再び大名府に補任された。庚戌の年に北方の異民族が都の城門に迫り、詔により兵部の郎官一人が節を持って派遣され、四郡の兵を徴発して都の守りに入らせることになった。使者が真定に馳せ着くと、各地の知府たちは慌てふためき、しかも庭で出迎える礼を面倒がって、長い間ためらっていた。張瀚は知らせを聞くと、金で募った遊民は、飢えれば寄ってきて満腹になれば逃げるので、役に立たないと考えた。そこで管内の戸籍簿を開き、壮丁の三十分の一を選び、三十人でその一人の食糧を負担させて、精鋭八百人を得た。そして各知府に急いで言った。「今はどんな時だ。それなのに使者と煩わしい礼を争うのか。兵部の郎官は確かに知府より身分は高くないが、考えてみれば『春秋』の教えでは、天子の使者は諸侯より先に立てるとある。大切なのは命令を行き渡らせ威光を振るうことだ。もし傲然として使者に逆らうなら、それで勤王と言えようか」。知府たちは顔色を変え、皆で一緒に使者に挨拶に出た。張瀚は真っ先に使者に軍の閲兵を願った。使者は驚いて言った。「何と早いことか」。閲兵すると、兵は皆精鋭で、予想をはるかに超えていた。使者はこれに感嘆し、張瀚の文武の才を称えた。
解説
この章句が説くこと
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尚書・冏命慎みて乃の僚を簡べ、巧言令色、便辟側媚を以てすること無かれ、其れ惟れ吉士なるべし。
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