智囊 / 迎刃・范檟
先是光祿寺札沿途郡縣具王膳,食品珍異,每頓直數千兩。檟袖《大明會典》爭於撫院曰:「王舟所過州縣,止供雞鵝柴炭,此明證也,且光祿備萬方玉食以辦,此窮州僻縣,何緣應奉乎?」撫按然之,為咨禮部。部更奏,令第具膳直。王每頓二十兩,妃十兩。省供費巨萬計。比至,檟遣人持錠金逆於途,遺王左右曰:「水悍難泊,唯留意。」於是王舟皆窮日行,水漂疾如激箭。三泊,供止千三百。比至儀真,而一夕五萬矣。多少難題目,到此公手,便是一篇絕好文字。
新字:先是光禄寺札沿途郡県具王膳,食品珍異,毎頓直数千両。檟袖《大明会典》争於撫院曰:「王舟所過州県,止供鶏鵝柴炭,此明証也,且光禄備万方玉食以辦,此窮州僻県,何縁応奉乎?」撫按然之,為咨礼部。部更奏,令第具膳直。王毎頓二十両,妃十両。省供費巨万計。比至,檟遣人持錠金逆於途,遺王左右曰:「水悍難泊,唯留意。」於是王舟皆窮日行,水漂疾如激箭。三泊,供止千三百。比至儀真,而一夕五万矣。多少難題目,到此公手,便是一篇絶好文字。
書き下し
これより先、光禄寺は札して沿途の郡県に王の膳を具えさせ、食品は珍異で、一頓の直は数千両であった。檟は《大明会典》を袖にして撫院に争って曰く、「王の舟が過ぎる州県では、ただ鶏・鵝・柴炭を供するのみ、これが明証です。かつ光禄は万方の玉食を備えて辦ずるものです。この窮州僻県が、何の縁で応奉できましょうか」と。撫按はこれを然りとして、為に礼部に咨した。部は更めて奏し、ただ膳の直を具えさせることにした。王は一頓二十両、妃は十両。供費を省くこと巨万を以て計えた。至るに比んで、檟は人を遣わして錠金を持たせ、途に逆えさせ、王の左右に遺って曰く、「水は悍しく泊め難いです、ただ留意されたい」と。ここにおいて王の舟は皆日を窮めて行き、水は漂疾して激しい箭のようであった。三泊して、供は千三百に止まった。儀真に至るに比んで、一夕に五万となった。多少の難題目も、この公の手に到れば、すなわち一篇の絶好の文字となる。
現代語訳
これより先、光禄寺は通達を出して沿道の郡県に王の食膳を整えさせ、食材は珍しい品ばかりで、一食の費用は数千両にのぼった。范檟は『大明会典』を袖に入れて巡撫の役所に行って訴えた。「王の船が通る州県では、ただ鶏・鵞鳥・薪炭を供するだけと定められています。これが明らかな証拠です。しかも光禄寺は各地の珍味を備えて調えるものです。この貧しく辺鄙な州県が、どうして賄えましょうか」。巡撫と按察使はもっともだとして、礼部に問い合わせた。礼部は改めて上奏し、食費の代金だけを用意させることにした。王は一食二十両、妃は十両。供応の費用を省いたこと、数万両にのぼる。船が到着すると、范檟は人を遣わして金の延べ板を持たせて道に迎えさせ、王のお側の者に贈って言った。「水が荒く船を泊めにくいので、どうかご留意下さい」。こうして王の船はみな一日中進み続け、流れは矢のように速かった。三泊しても、供応の費用は千三百に収まった。儀真に着いたときには、一晩で五万両になった。多くの難題も、この人の手に渡れば絶好の文章になる。
解説
この章句が説くこと
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