智囊 / 迎刃・吳時來
〔按〕時來在松御倭,歷有奇績。寇勢逼甚,士女趨保於城者萬計。或議閉關拒之,時來悉縱入擇閒曠地舍之。又城隘民眾,遂污蒸而為疫。時來乃四啟水關,使輸薪谷者,因其歸舟載穢滯以出。明年四月,寇猝至攻城,雨甚,城崩西南隅十餘丈,人情洶洶。時來盡撤屯戍,第以強弩數十扼其衝。總臣以為危,時來曰:「淖濘彼安能登?」果無恙。時內徙之民薄城而居,類以苫蓋,時來慮為火箭所及,亟撤之而陰識其姓名於屋材,夜選卒運之城外,以為木柵,扞修城者。卒皆股栗不前,時來首馳一騎出南門,眾皆從之,平明柵畢,三日而城完。復以柵材還為民屋,則固向所識也。賊知有備,北走,時來建議決震澤水,斷松陵道。賊至平望,阻水不得進,我兵尾而擊之,斬首三千餘,溺死無算。此公文武全才,故備載之。
新字:〔按〕時来在松御倭,歴有奇績。寇勢逼甚,士女趨保於城者万計。或議閉関拒之,時来悉縦入択閒曠地舎之。又城隘民衆,遂汚蒸而為疫。時来乃四啓水関,使輸薪谷者,因其帰舟載穢滞以出。明年四月,寇猝至攻城,雨甚,城崩西南隅十余丈,人情洶洶。時来尽撤屯戍,第以強弩数十扼其衝。総臣以為危,時来曰:「淖濘彼安能登?」果無恙。時内徙之民薄城而居,類以苫蓋,時来慮為火箭所及,亟撤之而陰識其姓名於屋材,夜選卒運之城外,以為木柵,扞修城者。卒皆股栗不前,時来首馳一騎出南門,衆皆従之,平明柵畢,三日而城完。復以柵材還為民屋,則固向所識也。賊知有備,北走,時来建議決震沢水,断松陵道。賊至平望,阻水不得進,我兵尾而撃之,斬首三千余,溺死無算。此公文武全才,故備載之。
書き下し
〔按ず〕時来は松に在りて倭を禦ぎ、歴く奇績有り。寇勢逼ること甚だしく、士女の城に趨り保る者は万を以て計う。或いは議して関を閉じて之を拒がんとす。時来は悉く縦ちて入らしめ、閒曠の地を擇びて之を舎す。又た城隘にして民衆く、遂に汚蒸して疫を為す。時来は乃ち水関を四つながら啓き、薪谷を輸する者をして、其の帰舟に因りて穢滞を載せて以て出でしむ。明年四月、寇猝に至りて城を攻む。雨甚だしく、城は西南の隅の十余丈を崩し、人情洶洶たり。時来は尽く屯戍を撤し、第だ強弩数十を以て其の衝を扼す。総臣以て危しと為す。時来曰く、「淖濘に彼安くんぞ能く登らん」と。果たして恙無し。時に内徙の民は城に薄りて居り、類ね苫を以て蓋う。時来は火箭の及ぶ所と為るを慮り、亟やかに之を撤して陰かに其の姓名を屋材に識し、夜に卒を選びて之を城外に運ばせ、以て木柵と為し、修城者を扞がしむ。卒は皆な股栗して前まず。時来は首ず一騎を馳せて南門を出ず。衆は皆な之に従い、平明に柵畢わり、三日にして城完し。復た柵材を以て還して民屋と為せば、則ち固より向に識す所なり。賊は備え有るを知り、北に走る。時来は議を建てて震沢の水を決し、松陵の道を断つ。賊は平望に至りて水に阻まれて進むを得ず。我が兵は尾して之を撃ち、首を斬ること三千余、溺死するは算無し。此の公は文武全才なり、故に備さに之を載す。
現代語訳
〔按ずるに〕時来は松江で倭寇を防ぎ、数々の優れた功績があった。敵の勢いが迫ること甚だしく、城に逃れて身を守ろうとする男女は万単位で数えられた。ある者は城門を閉じて拒むことを議した。時来はすべて入れて、空いている土地を選んで収容した。また城は狭く民が多いので、汚れた空気がこもって疫病になった。時来は四つの水門をすべて開き、薪や穀物を運び入れる者に、帰りの船に汚物を載せて出させた。翌年四月、敵が突然現れて城を攻めた。雨が激しく、城壁の西南の隅が十丈余り崩れ、人心は動揺した。時来は守備兵をすべて引き上げ、ただ強弩数十だけで要所を押さえた。総督は危ないと思った。時来は言った。「ぬかるみの中を、敵がどうして登れようか」。果たして無事であった。そのとき、疎開して来た民は城壁に近く住み、多くは草葺き屋根であった。時来は火矢が及ぶことを心配し、急いで取り壊してひそかにその持ち主の姓名を建材に記し、夜に兵を選んで城外に運ばせ、木の柵として、城壁を修理する者を守らせた。兵は皆ふるえて進もうとしなかった。時来はまず一騎で南門から出た。皆はこれに従い、夜明けに柵が完成し、三日で城壁が修復された。柵の材木はまた民家に戻したが、それは以前に印をつけておいたものだった。賊は備えがあることを知り、北に逃げた。時来は提案して震沢の水を切り、松陵の道を断った。賊は平望に至って水に阻まれて進めず、我が兵は後を追って撃ち、首を斬ること三千余、溺死者は数えきれなかった。この公は文武に全才があるので、詳しく載せた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
牧民忠告・救荒民或いは火を失えば、則ち鼓を伐(う)ちて衆を集め、親(みずか)ら蒞(のぞ)みて以て之を救う。惻隠(そくいん)の心は、人の共に有する所なり。誠に能く鼓舞して以て其の気を作(おこ)さば、仇人(きゅうじん)と雖も亦将に焦頭爛額(しょうとうらんがく)して相患難に趨(おもむ)かんとす。
-
説苑・君道高宗なる者は武丁なり、高くして之を宗とす、故に高宗と号す。成湯の後、先王の道欠け、刑法違犯せられ、桑穀倶に朝に生じ、七日にして大いに拱す。武丁其の相を召して之を問う。其の相曰く、「吾之を知ると雖も、吾言うを得ざるなり。之を祖己に聞く、桑穀なる者は野草なり、而して朝に生ず、意うに国亡びんとするか」と。武丁恐駭し、身を飭め行いを修め、先王の政を思い、滅国を興し絶世を継ぎ、逸民を挙げ、養老を明らかにす。三年の後、蛮夷重訳して朝する者七国、此を之れ存亡継絶の主と謂う、是を以て高くして之を尊ぶなり。
-
史記 呉王濞列伝当に賜ふべき者有らば寡人に告げよ。寡人且に往きて之を遺らんとす。敬みて以て聞す」と。七国反するの書天子に聞す。天子乃ち太尉条侯周亜夫をして三十六将軍を将ゐて、往きて呉楚を撃たしむ。曲周侯酈寄を遣はして趙を撃たしむ。将軍欒布斉を撃つ。大将軍竇嬰滎陽に屯し、斉趙の兵を監す。呉楚反するの書聞す。兵未だ発せず、竇嬰未だ行かざるに、故の呉の相袁盎を言ふ。盎時に家居す。詔して召して入見せしむ。上方に晁錯と兵を調へ軍食を笇ふ。上袁盎に問ひて曰く、「君嘗て呉の相為り。呉の臣田禄伯の人と為りを知るか。今呉楚反す。公に於て何如」と。対へて曰く、「憂ふるに足らざるなり。今破れん」と。上曰く、「呉王山に即きて銭を鋳、海水を煮て塩と為し、天下の豪桀を誘ひ、白頭にして事を挙ぐ。此の若くんば、其の計百全ならずんば、豈に発せんや。何を以て其の能く為す無しと言ふや」と。袁盎対へて曰く、「呉に銅塩の利有るは則ち之有り。安くんぞ豪桀を得て之を誘はん。誠に呉をして豪桀を得しめば、亦且に王を輔けて義を為さんとし、反せざらん。呉の誘ふ所は皆無頼の子弟、亡命して銭を鋳る姦人なり。故に相率ゐて以て反す」と。晁錯曰く、「袁盎の之を策すること善し」と。上問ひて曰く、「計安くにか出づる」と。盎対へて曰く、「願はくは左右を屏けよ」と。上人を屏く。独り錯在り。盎曰く、「臣の言ふ所は、人臣知るを得ざるなり」と。乃ち錯を屏く。錯趨りて東廂に避け、恨むこと甚だし。上卒に盎に問ふ。盎対へて曰く、「呉楚相遺る書に曰く、『高帝子弟を王とし各々分地有り。今賊臣晁錯擅に諸侯を適過し、之が地を削奪す』と。故に反するを以て名と為し、西して共に晁錯を誅し、故地を復して罷めんとす。方今の計は、独り晁錯を斬り、使を発して呉楚七国を赦し、其の故の削地を復せば、則ち兵は刃に血ぬること無くして倶に罷むべし」と。是に於て上嘿然たること良久しくして、曰く、「顧ふに誠に何如。吾一人を愛しみて以て天下に謝せざらんや」と。盎曰く、「臣の愚計は此に出づる無し。願はくは上之を孰計せよ」と。
-
史記 扁鵲倉公列伝一熊有りて我を援かんと欲す。帝我に命じて之を射しむ。熊に中り、熊死す。羆有りて来る。我又之を射る。羆に中り、羆死す。帝甚だ喜び、我に二笥を賜ふ。皆副有り。吾児の帝の側に在るを見る。帝我に一翟犬を属して曰く、『而の子の壮なるに及びて以て之に賜へ』と。帝我に告ぐ、『晋国且に世々衰へ、七世にして亡びんとす。嬴姓将に大いに周人を范魁の西に敗らんとするも、而も亦有つ能はざるなり』と」と。董安于言を受け、書して之を蔵す。扁鵲の言を以て簡子に告ぐ。簡子扁鵲に田四万畝を賜ふ。
-
史記 陳丞相世家漢王大いに怒りて罵る、陳平漢王を躡む。漢王も亦た悟り、乃ち厚く斉の使を遇し、張子房をして卒に信を立てて斉王と為さしむ。平を封ずるに戸牖郷を以てす。其の奇計策を用ひ、卒に楚を滅ぼす。常に護軍中尉を以て従ひて燕王臧荼を定む。漢六年、人の上書して楚王韓信の反くを告ぐる者有り。高帝諸将に問ふ、諸将曰く、「亟やかに兵を発して豎子を阬にせんのみ」と。高帝黙然たり。陳平に問ふ、平固く辞謝して、曰く、「諸将は云何」と。上具に之を告ぐ。陳平曰く、「人の上書して信の反くを言ふ、之を知る者有るか」と。曰く、「未だ有らず」と。曰く、「信之を知るか」と。曰く、「知らず」と。陳平曰く、「陛下の精兵は楚に孰与ぞ」と。上曰く、「過ぐる能はず」と。平曰く、「陛下の将の兵を用ふるに能く韓信に過ぐる者有るか」と。上曰く、「及ぶ莫きなり」と。平曰く、「今兵は楚の精に如かず、而して将は及ぶ能はず、而して兵を挙げて之を攻むるは、是れ之に戦ひを趣すなり、窃かに陛下の為に之を危ぶむ」と。上曰く、「之を為すこと奈何」と。平曰く、「古者天子巡狩し、諸侯を会す。南方に雲夢有り、陛下弟だ出でて偽りて雲夢に遊び、諸侯を陳に会せよ。陳は、楚の西界なり、信天子の好を以て出遊するを聞かば、其の勢必ず事無くして郊迎し謁せん。謁せば、而して陛下因りて禽にせよ、此れ特だ一力士の事のみ」と。高帝以て然りと為し、乃ち使を発して諸侯に陳に会せんことを告げしむ、「吾将に南のかた雲夢に遊ばんとす」と。上因りて随ひて以て行く。行きて未だ陳に至らざるに、楚王信果たして道中に郊迎す。高帝豫め武士を具へ、信の至るを見て、即ち之を執縛し、後車に載す。信呼びて曰く、「天下已に定まる、我固より当に烹らるべし」と。高帝顧みて信に謂ひて曰く、「若声すること毋かれ。而の反くこと、明らかなり」と。武士反接す。遂に諸侯に陳に会し、尽く楚の地を定む。還りて雒陽に至り、信を赦して以て淮陰侯と為し、而して功臣と符を剖きて封を定む。是に於て平と符を剖き、世世絶ゆること勿からしめ、戸牖侯と為す。平辞して曰く、「此れ臣の功に非ざるなり」と。
-
説苑・奉使秦楚兵を轂う。秦王人をして楚に使いせしむ。楚王人をして之を戲れしめて曰く、「子來るに亦た之を卜せしか。」對えて曰く、「然り。」「卜して何をか謂うや。」對えて曰く、「吉なり。」楚人曰く、「噫、甚だしいかな、子の國良龜無きなり。王將に子を殺して以て鐘に釁らんとす、其の吉なること如何。」使者曰く、「秦楚兵を轂う、吾が王我をして先んじて窺わしむ。我死して還らずんば、則ち吾が王警戒を知り、兵を整齊して以て楚に備う。是れ吾が所謂吉なり。且つ死者にして知無くんば、又た何ぞ鐘に釁らん。死者にして知有らば、吾豈に秦を錯きて楚を相みんや。我將に楚の鐘鼓をして聲無からしめんとす。鐘鼓聲無くんば則ち將に其の士卒を整齊して君の軍を理むる無からんとす。夫れ人の使いを殺し、人の謀を絕つは、古の通議に非ざるなり。子大夫試みに熟ら之を計れ。」使者以て楚王に報ず。楚王之を赦す。此れを之れ「造命」と謂う。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る