説苑 / 奉使
秦、楚轂兵,秦王使人使楚,楚王使人戲之曰:「子來亦卜之乎?」對曰:「然!」「卜之謂何?」對曰:「吉。」楚人曰:「噫!甚矣!子之國無良龜也。王方殺子以釁鐘,其吉如何?」使者曰:「秦、楚轂兵,吾王使我先窺我死而不還,則吾王知警戒,整齊兵以備楚,是吾所謂吉也。且使死者而無知也,又何釁於鐘,死者而有知也,吾豈錯秦相楚哉?我將使楚之鐘鼓無聲,鐘鼓無聲則將無以整齊其士卒而理君軍。夫殺人之使,絕人之謀,非古之通議也。子大夫試熟計之。」使者以報楚王。楚王赦之。此之謂「造命」。
新字:秦、楚轂兵,秦王使人使楚,楚王使人戯之曰:「子来亦卜之乎?」対曰:「然!」「卜之謂何?」対曰:「吉。」楚人曰:「噫!甚矣!子之国無良龜也。王方殺子以釁鐘,其吉如何?」使者曰:「秦、楚轂兵,吾王使我先窺我死而不還,則吾王知警戒,整斉兵以備楚,是吾所謂吉也。且使死者而無知也,又何釁於鐘,死者而有知也,吾豈錯秦相楚哉?我将使楚之鐘鼓無声,鐘鼓無声則将無以整斉其士卒而理君軍。夫殺人之使,絶人之謀,非古之通議也。子大夫試熟計之。」使者以報楚王。楚王赦之。此之謂「造命」。
書き下し
秦楚兵を轂う。秦王人をして楚に使いせしむ。楚王人をして之を戲れしめて曰く、「子來るに亦た之を卜せしか。」對えて曰く、「然り。」「卜して何をか謂うや。」對えて曰く、「吉なり。」楚人曰く、「噫、甚だしいかな、子の國良龜無きなり。王將に子を殺して以て鐘に釁らんとす、其の吉なること如何。」使者曰く、「秦楚兵を轂う、吾が王我をして先んじて窺わしむ。我死して還らずんば、則ち吾が王警戒を知り、兵を整齊して以て楚に備う。是れ吾が所謂吉なり。且つ死者にして知無くんば、又た何ぞ鐘に釁らん。死者にして知有らば、吾豈に秦を錯きて楚を相みんや。我將に楚の鐘鼓をして聲無からしめんとす。鐘鼓聲無くんば則ち將に其の士卒を整齊して君の軍を理むる無からんとす。夫れ人の使いを殺し、人の謀を絕つは、古の通議に非ざるなり。子大夫試みに熟ら之を計れ。」使者以て楚王に報ず。楚王之を赦す。此れを之れ「造命」と謂う。
現代語訳
秦と楚が兵を交えようとしていた。秦王は使者を楚に遣わした。楚王は人を使ってその使者をからかって言わせた。『あなたはここへ来るとき、占いもしたのか。』使者は答えた。『いたしました。』『占いの結果はどうであったか。』使者は答えた。『吉と出ました。』楚の人は言った。『ああ、ひどいものだ。あなたの国にはろくな亀甲がないのだな。王は今にもあなたを殺して鐘の血祭りにしようとしているのに、それのどこが吉だというのか。』使者は言った。『秦と楚が兵を交えようとしているので、我が王は私に先んじて様子をうかがわせました。もし私が死んで帰らなければ、我が王は警戒すべきことを知り、軍を整えて楚に備えるでしょう。これこそ私の言う吉なのです。それに、死者に意識がないならば、どうして鐘の血祭りにする意味がありましょうか。もし死者に意識があるならば、私はどうして秦をさしおいて楚を助けるようなことをしましょうか。私はあなた方の鐘や太鼓を鳴らないようにさせてしまうかもしれません。鐘や太鼓が鳴らなければ、あなた方は兵士を整列させて軍を統率することができなくなるでしょう。そもそも他国の使者を殺し、他国の謀略を断つようなことは、昔からの通義にかなったことではありません。あなた様も、どうかよくよくお考えください。』使者はこのことを楚王に報告した。楚王は彼を赦した。これを『命を自ら造る』というのである。
解説
この章句が説くこと
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説苑・君道高宗なる者は武丁なり、高くして之を宗とす、故に高宗と号す。成湯の後、先王の道欠け、刑法違犯せられ、桑穀倶に朝に生じ、七日にして大いに拱す。武丁其の相を召して之を問う。其の相曰く、「吾之を知ると雖も、吾言うを得ざるなり。之を祖己に聞く、桑穀なる者は野草なり、而して朝に生ず、意うに国亡びんとするか」と。武丁恐駭し、身を飭め行いを修め、先王の政を思い、滅国を興し絶世を継ぎ、逸民を挙げ、養老を明らかにす。三年の後、蛮夷重訳して朝する者七国、此を之れ存亡継絶の主と謂う、是を以て高くして之を尊ぶなり。
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『韓非子』存韓第二夫れ韓は小國なり、而して以て天下の四撃に應ず。主辱められ臣苦しみ、上下相い與に憂いを同じうすること久し。
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牧民忠告・救荒民或いは火を失えば、則ち鼓を伐(う)ちて衆を集め、親(みずか)ら蒞(のぞ)みて以て之を救う。惻隠(そくいん)の心は、人の共に有する所なり。誠に能く鼓舞して以て其の気を作(おこ)さば、仇人(きゅうじん)と雖も亦将に焦頭爛額(しょうとうらんがく)して相患難に趨(おもむ)かんとす。
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史記 老子韓非列伝非、韓の削弱を見、数々書を以て韓王を諫むるも、韓王用ふる能はず。是に於いて韓非、国を治むるに其の法制を修明し勢いを執りて以て其の臣下を御し、国を富まし兵を彊くして以て人を求め賢に任ずるを務めず、反って浮淫の蠹を挙げて之を功実の上に加ふるを疾む。以為らく、儒者は文を用ゐて法を乱し、侠者は武を以て禁を犯す。寛なれば則ち名誉の人を寵し、急なれば則ち介冑の士を用ふ。今は養ふ所は用ふる所に非ず、用ふる所は養ふ所に非ず、と。廉直の邪枉の臣に容れられざるを悲しみ、往者の得失の変を観る。故に孤憤・五蠹・内外儲・説林・説難、十余万言を作る。