牧民忠告 / 救荒
民或失火,則伐鼓集眾,親蒞以救之。惻隱之心,人所共有,誠能鼓舞以作其氣,雖仇人亦將焦頭爛額而相趨患難矣。
新字:民或失火,則伐鼓集眾,親蒞以救之。惻隠之心,人所共有,誠能鼓舞以作其気,雖仇人亦将焦頭爛額而相趨患難矣。
書き下し
民或いは火を失えば、則ち鼓を伐(う)ちて衆を集め、親(みずか)ら蒞(のぞ)みて以て之を救う。惻隠(そくいん)の心は、人の共に有する所なり。誠に能く鼓舞して以て其の気を作(おこ)さば、仇人(きゅうじん)と雖も亦将に焦頭爛額(しょうとうらんがく)して相患難に趨(おもむ)かんとす。
現代語訳
民が火事を出したときは、太鼓を打ち鳴らして人々を集め、自ら現場に赴いて消火にあたる。哀れみいたわる心は、誰もが共通して持っているものである。もし人々を鼓舞してその意気を奮い立たせることができれば、たとえ仇同士であっても、額を焼き頭を焦がしながら共に危難に駆けつけるものである。
解説
本条は火災という緊急事態への対応を通じて、リーダーが率先して現場に赴くことの重要性を説く。単に指示を出すだけでなく自ら現場に立つことで、人々に共通する惻隠の情を呼び覚まし、士気を鼓舞できるとする。仇同士でさえ危難の前では協力し合うという指摘は、共通の危機に直面したとき、人はふだんの対立を超えて団結しうるという人間観察に基づく。現代の組織においても、危機対応の局面でリーダーが自ら陣頭に立つ姿勢は、部下やチームの士気を高め、平時の対立や軋轢を超えた協力を引き出す原動力になるという示唆を持つ一条である。
この章句が説くこと
救焚率先垂範危機対応団結
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