智囊 / 迎刃・陳平
劉表愛少子琮,琦懼禍,謀於諸葛亮,亮不應。一日相與登樓,去梯,琦曰:「今日出君之口,入吾之耳,尚未可以教琦耶?」亮曰:「子不聞申生在內而危,重耳在外而安乎?」琦悟,自請出守江夏。
新字:劉表愛少子琮,琦懼禍,謀於諸葛亮,亮不応。一日相与登楼,去梯,琦曰:「今日出君之口,入吾之耳,尚未可以教琦耶?」亮曰:「子不聞申生在内而危,重耳在外而安乎?」琦悟,自請出守江夏。
書き下し
劉表は少子の琮を愛し、琦は禍を懼れ、諸葛亮に謀る。亮は応ぜず。一日、相与に楼に登り、梯を去る。琦曰く、「今日は君の口より出でて、吾が耳に入る。尚お未だ以て琦に教う可からざるか」と。亮曰く、「子は聞かずや、申生は内に在りて危うく、重耳は外に在りて安きを」と。琦悟り、自ら請いて出でて江夏を守る。
現代語訳
劉表は末の子の琮を愛し、長子の琦は災いを恐れて、諸葛亮に相談した。亮は答えなかった。ある日、二人で高殿に登り、梯子を取り去った。琦は言った。「今日は、あなたの口から出た言葉は私の耳にだけ入ります。それでもまだ私に教えられませんか」。亮は言った。「あなたは聞いたことがありませんか、申生は国内にいて危うくなり、重耳は国外にいて安全だったことを」。琦は悟り、自分から願い出て、外に出て江夏を守った。
解説
後継争いで立場が危うい琦に対し、諸葛亮は最初、他家の内輪の事に口を出さず答えませんでした。梯子を外して、他に漏れない状況をつくった琦の覚悟を見て、初めて春秋の申生と重耳の故事を引き、国内に留まれば危うく、国外に出れば安全だと示します。直接的な助言ではなく、史例で示すので、後で責任を問われにくいという配慮もあります。現代でも、社内の権力争いに巻き込まれたとき、中心から距離を置き、外の役職に出ることが、自分と組織を守る場合があります。助言するときは、聞く覚悟を確かめるのも大切です。
この章句が説くこと
去梯申生在内而危重耳在外而安江夏劉琦後継争い
関連する章句
-
『長短経』三国権〔時に劉表薨ず。諸葛亮、琮を攻めば荊州有つべしと説く。先主曰く「荊州亡ぶるに臨み、我に託するに遺孤を以てす。吾忍びざるなり」と。荊州の人多く先主に帰し、先主日に行くこと十余里。或るひと曰く「宜しく速やかに行きて江陵を保つべし」と。先主曰く「夫れ大事を済す者は、人を以て本と為す。今、人吾に帰す。何ぞ棄て去るに忍びん」と。習鑿齒曰く「劉主は顛沛険難すと雖も、信義愈々明らかに、勢逼り事危うくして、言道を失わず。景升の顧みを追えば、則ち情三軍を感ぜしめ、義に赴くの士を恋えば、則ち甘んじて与に敗るるを同じくす。其の物情を結ぶ所以を視るに、豈に徒に醪を投じ、寒を撫し、蓼を含み、疾を問うのみならんや。其の終に大業を済すこと、亦た宜ならずや」と。〕
-
『長短経』三国権〔時に権、柴桑に軍し、劉備は樊に在り。曹公南のかた劉表を征す。会々表卒し、子の琮、衆を挙げて降る。先主、曹公の卒かに至るを知らず、宛に至りて乃ち之を聞き、遂に其の衆を率いて南に行き、曹公の追破する所と為る。劉備、夏口に至る。諸葛亮曰く「事急なり。請う、命を奉じて救いを孫将軍に求めん」と。遂に見えて、説きて曰く「将軍は兵を江東に起こし、劉豫州も亦た衆を漢南に収め、曹操と並びて天下を争う。今、操は大難を芟夷し、略々已に平らぐ。遂に荊州を破り、威は四海に震い、英雄は武を用うる所無し。故に豫州遁逃して此に至る。将軍、力を量りて之に処せよ。若し能く呉越の衆を以て中国と衡を争わば、早く之と絶つに如かず。若し当たること能わずんば、何ぞ兵を按じ甲を束ね、北面して之に事えざる。今、将軍は外は服従の名に託し、而して内は猶予の計を懐く。事急にして断ぜずんば、禍至ること日無し」と。
-
『智囊』集哲・屈原姊屈原既に放逐せられ、其の姊之を聞き、亦た来たり帰り、原の世を矯むるを責め、喩して自ら寛くせしむ。故に其の地を姊帰県と名づく。『離騒』に曰く、「女嬃の嬋媛たる、申申として其れ余を詈る」と。〔評議〕梁公は委蛇たり、其の姊之を諷するに方正を以てす。仁杰往きて盧姨を候い、表弟の為に官を求めんと欲す。盧曰く、「姨は只だ一子、其の女主に事うるを欲せず」と。仁杰大いに慚ず。屈平は方正なり、其の姊之に進むるに委蛇を以てす。各々卓識を具え、而して姊の作用は大なり。
-
『智囊』狡黠・陳乞斉の陳乞は、将に公子陽生を立てんとして、高・国を難しとし、乃ち偽りて之に事う。朝する毎に必ず驂乗す。従う所、必ず諸大夫に言いて曰く、「彼は皆偃蹇として、将に子の命を棄てんとす。其の言に曰く、『高・国、君を得れば必ず我を逼らん。盍ぞ諸を去らざる』と。固より将に子を謀らんとす、子早く之を図れ。之を図るは尽く之を滅ぼすに如くは莫し。事を需つは下なり」と。朝に及びては、則ち曰く、「彼は虎狼なり。我の子の側に在るを見れば、我を殺すこと日無からん。請う、位に就かん」と。又た諸大夫に謂いて曰く、「二子は君を得るを恃みて二三子を謀らんと欲す。曰く、『国の難多きは、貴寵の由なり。尽く之を去りて後に君定まる』と。既に謀を成す。盍ぞ其の未だ作らざるに及びて先んぜざる。作して後に悔ゆとも、亦た及ぶ無し」と。大夫之に従う。夏六月、陳乞及び諸大夫は甲を以て公宮に入る。国夏は之を聞き、高張と乗りて公に如き、戦いて敗れ魯に奔る。初め、景公は少子荼を愛し、陳乞に謀りて之を立てんと欲す。陳乞曰く、「君と為るを楽しむ所の者は、廃興我に由るが故なり。君、荼を立てんと欲せば、則ち臣請う之を立てん」と。陽生、陳乞に謂いて曰く、「吾聞く、子は蓋し将に我を立てざらんとするか」と。
-
『智囊』權奇・孔子・淮南相孔子、陳に居り、去りて蒲を過ぐ。会たま公叔氏、蒲を以て叛す。蒲人、孔子を止めて之に謂いて曰く、「苟くも衛に適く無くんば、吾、子を出さん」と。之と盟し、孔子を東門より出す。孔子、遂に衛に適く。子貢曰く、「盟は負くべけんや」と。孔子曰く、「要盟なり、神は聴かず」と。〔評〕大信は信ならず。孝景三年、七国反す。呉の使者、淮南に至る。淮南王、発して共に之に応ぜんと欲す。其の相曰く、「王、必ず呉に応ぜんと欲せば、臣、願わくは将と為らん」と。王、乃ち之に属す。相、已に兵を将いて、因りて城守し、王に聴かずして、漢の為にす。〔議〕腐儒の若きは必ず痛言切諫するも、水を以て石に投ずるが如く、何の益あらん。此の事は、酈寄の友を売り、太尉を北軍に嫁するに比して同一軸、而して更に撇脱を覚ゆ。
-
『長短経』三国権時に長沙太守孫堅、南陽太守張咨を殺し、袁術其の郡に拠るを得たり。堅、術と合縦し、劉表の荊州を襲奪せんと欲し、堅、流矢の中つる所と為りて死す。〔初め、劉表の荊州に拠るや、江南の賊盛んなりと聞き、蒯越等に謂いて曰く「吾、兵を徴せんと欲するも、集まらざることを恐る。其の策焉くにか出でん」と。対えて曰く「衆附かざる者は、仁足らざるなり。附きて理まらざる者は、義足らざるなり。苟も仁義の道行わるれば、百姓の之に帰すること水の下きに趨くが如し。何ぞ附かざるを患えん。袁術は勇にして謀無く、宗賊は貪暴にして、下の患うる所と為る。若し之に示すに利を以てせば、必ず衆を以て来たらん。君、其の無道を誅し、撫して之を用いば、人に存するを楽しむの心有りて、必ず襁負して至らん。兵強く士附かば、南は江陵に拠り、北は襄陽を守り、八郡は檄を伝えて定むべし。術等至ると雖も、能く為す無からん」と。後果たして然り。〕
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る