智囊 / 迎刃・崔祐甫
德宗即位,淄青節度李正己表獻錢三十萬緡。上欲受,恐見欺;卻之,則無詞。宰相崔祐甫請遣使慰勞淄青將士,因以正己所獻錢賜之。使將士人人戴上恩,諸道知朝廷不重財貨。上從之,正己大慚服。神策軍使王駕鶴,久典禁兵,權震中外。德宗將代之,懼其變,以問崔祐甫。祐甫曰:「是無足慮。」即召駕鶴,留語移時,而代者白志貞已入軍中矣。
新字:徳宗即位,淄青節度李正己表献銭三十万緡。上欲受,恐見欺;却之,則無詞。宰相崔祐甫請遣使慰労淄青将士,因以正己所献銭賜之。使将士人人戴上恩,諸道知朝廷不重財貨。上従之,正己大慚服。神策軍使王駕鶴,久典禁兵,権震中外。徳宗将代之,懼其変,以問崔祐甫。祐甫曰:「是無足慮。」即召駕鶴,留語移時,而代者白志貞已入軍中矣。
書き下し
徳宗即位し、淄青節度李正己は表して銭三十万緡を献ぜんとす。上は受けんと欲すれども欺かるるを恐れ、之を却くれば則ち詞無し。宰相崔祐甫は使を遣わして淄青の将士を慰労し、因りて正己の献ずる所の銭を以て之に賜わんことを請う。将士をして人人上の恩を戴かしめ、諸道は朝廷の貨財を重んぜざるを知らんと。上は之に従い、正己は大いに慚服す。神策軍使王駕鶴は、久しく禁兵を典り、権は中外を震わす。徳宗は将に之に代えんとし、其の変を懼れ、以て崔祐甫に問う。祐甫曰く、「是れ慮るに足る無し」と。即ち駕鶴を召し、留めて語ること時を移し、而して代わる者白志貞は已に軍中に入れり。
現代語訳
徳宗が即位すると、淄青節度使の李正己が上表して銭三十万緡を献上しようとした。帝は受け取りたかったが、後で恩を売られたり欺かれたりするのを恐れ、返せば断る口実がなかった。宰相の崔祐甫は、使者を遣わして淄青の将兵をねぎらい、正己が献上した銭をそのまま彼らに下賜することを願い出た。将兵一人一人に帝の恩を戴かせ、諸道に朝廷が財貨を重んじないことを知らせようというのである。帝はこれに従い、正己は大いに恥じ入って服した。神策軍使の王駕鶴は、長く近衛兵を統べ、その権勢は内外を震わせていた。徳宗は交代させようとしたが、変事を恐れて、崔祐甫に尋ねた。祐甫は言った。「心配には及びません」。すぐに駕鶴を召して、引き留めて長い間語り合い、その間に後任の白志貞はすでに軍中に入っていた。
解説
この章句が説くこと
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