智囊 / 迎刃・田叔
〔馮述評〕洛陽人有相仇者,邑中賢豪居間以十數,終不聽,往見郭解。解夜見仇家,仇家曲聽解。解謂曰:「吾聞洛陽諸公居間,都不聽。今子幸聽解,解奈何從他邑奪賢士大夫權乎?」徑夜去,屬曰:「俟我去,令洛陽豪居間。」事與田叔發中府錢類。王祥事繼母至孝,母私其子覽而酷待祥。覽諫不聽,每有所虐使,覽輒與祥俱,飲食必共,母感動,均愛焉。事與田叔暴坐待王類。
新字:〔馮述評〕洛陽人有相仇者,邑中賢豪居間以十数,終不聴,往見郭解。解夜見仇家,仇家曲聴解。解謂曰:「吾聞洛陽諸公居間,都不聴。今子幸聴解,解奈何従他邑奪賢士大夫権乎?」径夜去,属曰:「俟我去,令洛陽豪居間。」事与田叔発中府銭類。王祥事継母至孝,母私其子覧而酷待祥。覧諫不聴,毎有所虐使,覧輒与祥倶,飲食必共,母感動,均愛焉。事与田叔暴坐待王類。
書き下し
〔馮述評〕洛陽の人に相仇する者有り、邑中の賢豪の居間する者十数を以てすれども、終に聴かず、往きて郭解に見ゆ。解は夜に仇家に見ゆれば、仇家は曲げて解に聴く。解、謂いて曰く、「吾聞く、洛陽の諸公が居間するも、都て聴かずと。今、子は幸いに解に聴く。解、奈何ぞ他邑より賢士大夫の権を奪わんや」と。径ちに夜に去り、属して曰く、「我が去るを俟ちて、洛陽の豪をして居間せしめよ」と。事は田叔の中府の銭を発するに類す。王祥は継母に事えて至孝なり。母は其の子覧を私して祥を酷待す。覧、諫むるも聴かず、虐使する所有る毎に、覧は輒ち祥と俱にし、飲食も必ず共にす。母は感動し、均しく愛す。事は田叔の暴坐して王を待つに類す。
現代語訳
〔馮述評〕洛陽に互いに恨み合っている者がいた。町の有力者や賢者が十数人も仲裁に入ったが、ついに聞き入れなかった。そこで郭解に会いに行った。郭解は夜に仇の家を訪ねると、仇の家は譲歩して解の言うことを聞いた。解はこう言った。「聞くところでは、洛陽の諸公が仲裁しても、まったく聞き入れなかったそうだ。いま、あなたは幸いにも私の言うことを聞いてくれた。だが私が、どうして他の町から来て、その賢者や士大夫の権威を奪えようか」。そのまま夜のうちに去り、言い残した。「私が去るのを待って、洛陽の有力者に改めて仲裁させなさい」。この話は、田叔が王に中府の金を出させたことに似ている。王祥は継母に仕えて非常に孝行であった。母は我が子の覧をひいきして、祥を厳しく扱った。覧は諫めたが聞き入れられず、祥がこき使われる度に、覧はいつも祥と一緒にやり、飲食も必ず共にした。母は心を動かされ、二人を等しく愛するようになった。この話は、田叔が野に座って王を待ったことに似ている。
解説
この章句が説くこと
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史記 游侠列伝雒陽の人に相仇する者有り。邑中の賢豪、間に居る者十を以て数ふれども、終に聴かず。客乃ち郭解に見ゆ。解、夜仇家に見ゆ。仇家曲げて解に聴く。解乃ち仇家に謂ひて曰く、「吾聞く、雒陽の諸公此の間に在るも、多く聴かざる者なりと。今、子幸ひにして解に聴く。解奈何ぞ乃ち他県より人の邑中の賢大夫の権を奪はんや」と。乃ち夜去り、人をして知らしめず。曰く、「且く用ふる無かれ。我の去るを待ち、雒陽の豪をして其の間に居らしめ、
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