智囊 / 通簡・張士遜
宋初,令諸路州軍創「天慶觀」,別號「聖祖殿」。張文懿公時為廣東路都漕,請曰:「臣所部皆窮困,乞以最上律院改充。」詔許之,仍照諸路委監司守臣,親擇堪為天慶寺院,改額為之,不得因而生事。一轉移間,所造福於民多,所造福於國更多。
新字:宋初,令諸路州軍創「天慶観」,別号「聖祖殿」。張文懿公時為広東路都漕,請曰:「臣所部皆窮困,乞以最上律院改充。」詔許之,仍照諸路委監司守臣,親択堪為天慶寺院,改額為之,不得因而生事。一転移間,所造福於民多,所造福於国更多。
書き下し
宋の初め、諸路の州軍に令して「天慶観」を創らしめ、別号を「聖祖殿」と為す。張文懿公、時に広東路の都漕たり、請いて曰く、「臣が部する所は皆窮困す。乞う、最上の律院を以て改め充てん」と。詔して之を許し、仍お諸路の監司・守臣に委ねて照らし、親ら択んで天慶寺院と為すに堪うる者を、額を改めて之と為し、因りて事を生ずるを得ざらしむ。一たび転移する間に、民に造る福は多く、国に造る福は更に多し。
現代語訳
宋の初め、各地の州や軍に命じて「天慶観」という道観を造らせ、別名を「聖祖殿」とした。張文懿公は当時、広東路の転運使であったが、願い出て言った。「私の管轄する地域はどこも困窮しております。どうか、最上等の律院を改めてこれに充てさせてください」。詔によってこれは許され、さらに各路の監察官や長官に任せ、自ら選んで天慶観にふさわしい寺院を、額を改めて充て、これを口実に騒ぎを起こしてはならないとされた。この一転換の間に、民にもたらされた福は多く、国にもたらされた福はさらに多かった。
解説
新たな施設を各地に造れという命令は、貧しい土地には大きな負担になります。張士遜は、命令に反対するのではなく、既存の立派な寺院を転用することで目的を果たす代案を出しました。新築を免れた民は労役と費用から救われ、国も無駄な出費を避けられました。上から降りてきた方針に、反対か従順かの二択しかないとは限りません。趣旨を満たしたまま現場の負担を減らす現実案を示せば、上司も受け入れやすくなります。現代の管理職も、本部の指示を現場に落とす際に、目的を守りつつ負担を減らす工夫が問われます。
この章句が説くこと
天慶観聖祖殿以最上律院改充一転移間代案提示現場の負担
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