智囊 / 經務・徐杲
嘉靖間,上勤於醮事,移幸西苑,建萬壽宮為齋居所。未幾,萬壽宮災,閣臣請上還乾清宮。上以修玄不宜近宮闈,諭工部尚書雷禮興工重建。禮以匠師徐杲有智,專委經營。皆取用於工部營繕司原收贖工等銀,及台基、山西二廠原存木料,與夫西苑舊磚舊石,稍新改用,並不於各省派辦。其夫力則以歇操軍夫充之,時加犒賞,及雇募在京貧寒乞丐之民,因濟其飢。是以中外不擾,軍民踴躍,而功易成。杲歷升通政侍郎及工部尚書職銜。
新字:嘉靖間,上勤於醮事,移幸西苑,建万寿宮為斎居所。未幾,万寿宮災,閣臣請上還乾清宮。上以修玄不宜近宮闈,諭工部尚書雷礼興工重建。礼以匠師徐杲有智,専委経営。皆取用於工部営繕司原収贖工等銀,及台基、山西二廠原存木料,与夫西苑旧磚旧石,稍新改用,並不於各省派辦。其夫力則以歇操軍夫充之,時加犒賞,及雇募在京貧寒乞丐之民,因済其飢。是以中外不擾,軍民踴躍,而功易成。杲歴升通政侍郎及工部尚書職銜。
書き下し
嘉靖の間、上は醮事に勤め、西苑に移幸し、万寿宮を建てて斎居の所と為す。未だ幾ばくならずして、万寿宮は災あり。閣臣は上に乾清宮に還らんことを請う。上は、修玄は宜しく宮闈に近づくべからざるを以て、工部尚書雷礼に諭して工を興して重建せしむ。礼は匠師の徐杲に智ありとして、専ら経営を委ぬ。皆な工部営繕司の原収の贖工等の銀、及び台基・山西二廠の原存の木料、並びに西苑の旧磚・旧石を取り用い、稍や新たにして改用し、並びに各省に派弁せず。其の夫力は則ち歇操の軍夫を以て之に充て、時に犒賞を加え、及び在京の貧寒乞丐の民を雇募して、因りて其の飢えを済う。是を以て中外擾がれず、軍民は踴躍し、功は成り易し。杲は歴升して通政侍郎及び工部尚書の職銜に至る。
現代語訳
嘉靖年間、皇帝は道教の祭祀に熱心で、西苑に移り、万寿宮を建てて斎戒して住む所とした。まもなく万寿宮は火災に遭った。大臣たちは皇帝に乾清宮へ戻るよう願った。皇帝は、道教の修行は宮廷の奥に近づけるべきでないとして、工部尚書の雷礼に命じて工事を起こし、再建させた。雷礼は、匠師の徐杲に才があると見て、専ら計画と運営を任せた。すべて工部営繕司がもともと収めていた贖罪の工費などの銀、および台基・山西二つの工場にもともとあった木材、さらに西苑の古い磚や古い石を取って使い、少し手を入れて新しく用い、各省には割り当てなかった。労力には、非番の訓練兵の人夫をあて、時々褒賞を加え、さらに都にいる貧しい乞食の民を雇い入れて、飢えを救った。こうして内外とも騒がず、兵も民も喜び勇んで、工事は成し遂げやすかった。徐杲は次々に昇進して通政侍郎および工部尚書の官職を得た。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『智囊』經務・鄭曉時公は又た曰く、「奉天門の階沿石は一塊三級、殿上の柱磉の大なる者は方二丈なり。此の如く重大にして、往時の皇城に門限の隔て無く拽ぎ進むべきに比せず。近年、九廟の災に、木石の諸料は進むること能わず、承天門の東牆を拆去して方に進み得たり。今の料は九廟に比して又た三重門を進むれば、尤も力を為し難し。焦土を起開し、旧き階沿・磉石・地面の花板石を、逐一に番転すれば、尚お堅厚にして用うべきものあり。下面を番取し、工を加えて之を用う。殿上の三級の台基及び楼門の台基に至るまで、俱に午門の如く挖補すれば皆な可なり。公、能く力めて此の議を主れば、夫力を省くこと万万、銀糧は何ぞ数百万に至らん。驢騾・車輛も又た幾ばくか知らず。莫大の功徳なり」と。徐は甚だ喜び、後三日に再び議し、悉く前説の如し。
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『智囊』經務・賀盛瑞嘉靖中、三殿を修す。中道の階石は長さ三丈、闊さ一丈、厚さ五尺。順天等八府の民夫二万を派し、旱船を造りて拽運す。府県の佐二官を派して之を督せしめ、里ごとに一井を掘り、以て旱舡を澆ぎ、渴飲を資け、二十八日にして京に到るを計る。官民の費は総計して銀十一万両有奇。万暦中、鼎建の両宮の大石も、御史亦た五城の人夫を僉用するの議あり。工部郎中賀盛瑞は、主事郭知易の議を用い、十六輪の大車を造り、騾一千八百頭を用いて拽運し、二十二日にして京に到るを計る。費は七千両に足らず。又た四輪の官車百輛を造り、殷実の戸を召募して之を領せしめ、木石を拽運し、毎日騾を計りて直を給す。其の車価は輛ごとに百金、毎年その運価二十両を扣し、五年を以て率と為し、官銀は固より在り、一民も擾がず。慈寧宮の石礎二十余あり、公、令して工所に運入せしむ。内監は嘩然として旧しと言う。公曰く、「石、安んぞ旧しと言うを得ん。一鑿すれば便ち新たなり。事あらば我自ら当たらん。爾の累ならざるなり」と。
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『智囊』經務・賀盛瑞金剛牆は実土にして、在工の夫は止だ二十余名。二人一筐にして、三五日に非ざれば不可なり。公、令を下して曰く、「多く土を抬ぐること一筐ごとに、銭二文を加う。朱木屑を以て記と為す」と。各夫は飛走し、日を終えずして畢る。錦衣衛、鹵簿を修せんことを題し、費を計ること万金。公は其の濫なるを嫌い、監工の内臣が毁壊せる者を持ち、俱に司に送る。公は之を閲し、謂いて曰く、「此れ諸弁が公の精明を畏れ、此の伎倆を作して以て題中の疏語を実にするのみ。然らずんば、駕閣庫に未だ火を聞かず、而して銅帯は胡ぞ由りて焦げん。旧は宜しく腐るべきに、胡ぞ直ちに断ずること切るが如きや」と。内臣は言の如く以て諸弁を詰め、且つ参せんと言う。諸弁は跪き泣きて免を求め、工完りて敢えて嘩する無し。用いること千に及ばずして、鹵簿は已に煥然たり。永寧長公主の挙殯あり。例として席殿・群房等、約三百余間を搭ぐ。内使は臨行の時に俱に拆去す。公は令して隙地を擇びて搭蓋せしめ、揪棍を以て杉木の纜眼の下に横穿して之を埋め、席は麻繩を用いて連合せしむ。在工の人は、公の作の無益なるを笑わざる無し。殯を訖わるや、内官は果たして来たりて木を取らんとす。木根は牢固にして、席は復た連合し、即ち力を以て繩を断ちて之を取るも易からず、遂に舍てて去る。公は夫匠を呼びて謂いて曰く、「山中に風雨暴至すれど、屋の避くべき無し。大殿の拆つ外、余の小房は汝の輩に留めて宿食を作さしめん。何如」と。眾は僉な曰く、「便なり」と。公曰く、「毎一席の官価は一分五釐なるも、今は只だ七釐を作り、工価に抵てん。拆棚の日には、悉く爾らの将ち去るに聴す。麻を断ちて麻筋に作り、木は回料に作せ。何如」と。眾は又た曰く、「便なり」と。
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『智囊』經務・鄭曉時嘉靖丁巳四月、三殿・三楼・十五門は俱に災に遭い、文武の大臣会議して修建せんとす。海塩の鄭公暁時、協理戎政たりて、営軍三万人を率い、火焦を打掃す。鄭公、黄司礼に白して曰く、「磚瓦・木石は必ずしも尽く数して発出せず。石の全き者、半ばなる者、一尺以上の者の如きは、各おの別に団囲し、就便して堆積すべし。白玉石の燒けて石灰と成れる者も、亦た別に堆積し、磚瓦も皆な然り」と。数日ならずして、工部は端門外の廊房を改修して六科及び各朝房と為し、午門以裏の燒柱・牆缺を修補せんと欲し、又た謹身殿の後・乾清宮の前、隆宗・景運の二門の中に高牆一道を砌いて内外を攔断せんとし、内監・工部は外より磚を運び、灰を運び、黄土を運びて灰を調えんと議し、一時に小車五千輛を起こし、民間騒動す。公、黄司礼に告げて曰く、「午門外に旧磚石・石灰を堆積すること無数なり。尽く工部に与えて端門外の廊房を修めしむべし。午門以内に在る者は、内監に与えて柱空を修理し、並びに乾清宮前の牆を砌かしむべし」と。黄は甚だ喜ぶ。公は又た曰く、「修砌には必ず黄土を用う。今、工部は車五千輛を起こすも、一時に集まるを得ず。況んや長安の両門、承天・端門・午門は、止だ軍夫の出入を容るるのみ。再び車輛を加うれば、阻塞して行き難し。見今、大工動作し、両闕門の外に空地多し。黄土を挖るべし。用い卻えれば、軍をして焦土を搬して填上せしめ、黄土を用いて蓋うこと三尺なれば、豈に両便ならずや」と。黄曰く、「善し」と。
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『智囊』經務・鄭曉時会議するに、午門の台基及び奉天門・殿楼等の台基・階級・石柱磉・花板・石面は、紛紛として決せず。公は言わんと欲するも、衆の信ぜざるを恐れ、特に大匠の徐杲を造り請教す。杲は匠芸なりと雖も、亦た心から公に服し、即ち左右を屏く。公曰く、「今、三事あり。一に午門の台基は、衆議は前三面を拆去すること一丈、新たに土を築き石を砌かんとす。此の如くすれば、恐らくは今の工作は国初の堅固に及ばず。万一、楼成りて後に旧基は動かず、新基は傾側すれば、費は巨万ならん。只だ台下の亀脚・束腰・墩板等の石を将て、火に焚かれ壊されざる者を除きて之を留め、其の壊れたる者は燼余を鑿ち出し、約深さ一尺五寸、節に新石を做して補入し、内の土を堅からしめ、仍お木杉板を用いて之を障えば、決して圮壊せず。三面を三工に分かてば、一月に過ぎずして完わるべし。唯だ左右の掖門の両旁の須弥座石は最も大にして且つ厚く、換え難し。必ず旁石を換え斉えて後、前の如く鑿ち出し、約深さ二尺五寸にして、新石を做成して垫上し、旧石と空斉し、鉄創を用いて肩進すれば、亦た力を為し易し」と。徐曰く、「善し」と。
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『智囊』經務・鄭曉時公曰く、「午門以裏の台基の壊石は、長安の両門に移し出すこと甚だ遠し。今、厚載門の修砌・剝岸は、若し軍に命じて右順門に搬出し、啓明門の前より下りて北するは甚だ近し。就ち此の石を以て剝岸を作り填堵すれば、工部の估料を減ずるを須いず、但だ軍士の労力を省くのみにても亦た可なり」と。黄又た曰く、「善し」と。公曰く、「旧例では、火焦の木は、軍が琉璃・黒窯の二廠に搬送す。往回四十里なり。今、焦木は皆な長大にして、唯だに皇城の諸門のみ出で難きにあらず、外面の房は稠く路は狭く、行き難く転じ難し。況んや今は災変にして、各門の内臣の小房は、毁れざれば即ち折壊す。必ず修蓋して方に身を容るべし。焦木を左右順門の外、東西の宝善・思善の二門の前後、並びに啓明・長庚の両長街に移し出し、各内臣に聴して焦皮を擘き炭と作さしめ、木心の用うべき者は任便取り去りて、各おの私房を修めしむに若くは莫し。皇城内の物を以て皇城内の房を修め、皇城の四門を出でざれば、亦た財力を省かん」と。黄又た曰く、「善し」と。錦衣の趙千戸、陸錦衣の帖を持ち来たりて言う、「軍士の搬出せる火焦は、俱に長安の両門外、大街の両旁に置く。四夷の朝貢の人の往来するに、見て不雅なり。慶寿寺の西の夾道に深坑あり。火焦を以て填満すべし」と。
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