智囊 / 通簡・王璋・羅通
羅通以御史按蜀,蜀王富甲諸國,出入僭用乘輿儀從。通心欲檢制之。一日,王過御史臺,公突使人收王所僭鹵簿,蜀王氣沮。藩、臬俱來見,問狀,且曰:「聞報,王罪且不測,今且奈何?」通曰:「誠然,公等試思之。」詰旦復來,通曰:「易耳,宜密語王,但謂黃屋、左纛故玄元皇帝廟中器,今復還之耳。」玄元皇帝,玄宗幸蜀建祀老子者也。從之,事乃得解,王亦自斂。
新字:羅通以御史按蜀,蜀王富甲諸国,出入僭用乗輿儀従。通心欲検制之。一日,王過御史台,公突使人収王所僭鹵簿,蜀王気沮。藩、臬倶来見,問状,且曰:「聞報,王罪且不測,今且奈何?」通曰:「誠然,公等試思之。」詰旦復来,通曰:「易耳,宜密語王,但謂黄屋、左纛故玄元皇帝廟中器,今復還之耳。」玄元皇帝,玄宗幸蜀建祀老子者也。従之,事乃得解,王亦自斂。
書き下し
羅通は御史を以て蜀を按ず。蜀王は富みて諸国に甲たり。出入りに僭して乗輿の儀従を用う。通は心に之を検制せんと欲す。一日、王は御史台を過ぐ。公は突如として人をして王の僭する所の鹵簿を収めしむ。蜀王は気沮む。藩、臬は倶に来り見え、状を問い、且つ曰く、「聞くに王の罪は且に測られざらんとす。今且つ奈何せん」と。通曰く、「誠に然り。公ら試みに之を思え」と。詰旦に復た来る。通曰く、「易きのみ。宜しく密かに王に語るべし。但だ黄屋、左纛は故より玄元皇帝の廟中の器にして、今復た之を還すのみと謂え」と。玄元皇帝とは、玄宗の蜀に幸して祀を老子に建てしを言う。之に従い、事は乃ち解くるを得、王も亦た自ら斂む。
現代語訳
羅通は御史として蜀を巡察した。蜀王は富裕さで諸侯の中でもずば抜けていた。外出や入城の際に分を越えて、天子の車駕や儀仗を用いていた。通は心の中で、これを抑えようと思った。ある日、王が御史台の前を通った。公は突然、人に命じて、王が分を越えて用いている行列の儀仗を没収させた。蜀王は気勢をそがれた。布政使と按察使がともに来て状況を尋ね、「聞くところ、王の罪は測り知れないものになりそうです。今はどうしたものでしょうか」と言った。通は言った。「確かにそのとおりです。皆さん、よく考えてみてください」。翌朝、また来た。通は言った。「簡単なことです。ひそかに王に伝えなさい。黄色い屋根の車や左側の旗は、もともと玄元皇帝(老子)の廟の中の器物で、いま再びそれを返しただけだと言うがよい」。玄元皇帝とは、玄宗が蜀に行幸したときに老子を祀る廟を建てた故事を指す。その言葉に従い、事は収まり、王も自ら慎むようになった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『智囊』通簡・王璋・羅通璋は河南の人にして、永楽中に左都御史と為る。時に周府の将に不軌を為さんとすと告ぐる者有り。上は其の未だ発せざるに及びて之を討たんと欲し、以て璋に問う。璋曰く、「事に未だ跡有らず、之を討たば名無し」と。上曰く、「兵は神速を貴ぶ。彼城を出でば、則ち為すべからず」と。璋曰く、「臣の愚を以てすれば、兵を煩わさずして可なり。臣、往きて之を任ぜんことを請う」と。曰く、「若し衆を用いば幾何ぞ」と。曰く、「但だ御史三四人の随行を得れば足れり。然れども須らく敕を奉じ、臣を以て其の地を巡撫せしむるべし。乃ち可なり」と。遂に学士に命じて敕を草せしめ、即日起行す。黎明、直ちに王府に造る。周王は驚愕し、為す所を知らず、之を別室に延き、来る所以を問う。曰く、「人に王が謀叛すと告ぐる有り。臣是を以て来る」と。王は驚き跪く。璋曰く、「朝廷は已に丘大帥に命じて兵十万を将いしめ、将に至らんとす。臣は王の事に未だ跡有らざるを以て、故に来りて先ず諭す。事将に若何せんとす」と。王は家を挙げて環り哭して已まず。璋曰く、「哭すとも亦た何の益あらん。願わくは上の疑いを釈く所以を求めよ」と。曰く、「愚は出だす所を知らず、唯だ公の之を教えよ」と。璋曰く、「能く王の護衛を以て献ずれば、事無からん」と。王は之に従い、乃ち駅を馳せて以て聞す。上は喜び、璋は乃ち出でて示して曰く、「護衛軍の三日にして徙らざる者は、処斬せん」と。数日ならずして散ず。
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『智囊』靈變・羅巡撫羅某は初め川中に出使す。舟を河辺に泊む。川中の一処に、男女倶に河に浴する有り、即ち舟辺に嬉笑す。羅は人を遣わしてこれを禁ぜしむ。男女は鼓噪して大いに罵り、人多くして、卒に治む可からず、反って石を舟中に抛ちて去る。乃ちこれを県に訴え、稍や数人を鞭つ。既にして羅公は蜀中を巡撫するに、県民は大いに駭く。羅公は心にこれを計り、是の日、又た舟を旧処に泊め、大言してこれに曰く、「此の処の民は前に我に懲創せられたる一番ありしが、今は乃ち大いに変ぜり」と。嗟歎すること良や久し。川民の前の猜いは遂に解けたり。〔評〕その猜いを釈くのみならず、且つ之を誘いて善に於いてすべし。妙なるかな。
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『智囊』通簡・薛長孺・王鬷薛長孺は漢州の通判たり。戍卒、営門を閉ざし、火を放ち人を殺し、知州、兵馬監押を謀殺せんとす。来りて告ぐる者有るも、知州、監押は皆な敢えて出でず。長孺は身を挺して営を出で、之に諭して曰く、「汝輩は皆な父母妻子有り。何の故に此の事を為す。然れども与り謀らざる者は、各々一辺に在れ」と。是に於いて敢えて動かず、唯だ本謀の者八人のみ門を突きて出で、諸県に散ず。村野に捕獲す。時に謂う、長孺に非ざれば則ち一城の人は塗炭せんと。鈐轄司は敢えて以て聞せず、遂に賞に及ばず。長孺は簡粛公の姪なり。王忠穆公鬷は益州に知たり。会々戍卒に夜に営を焚きて督軍校を為して乱を為す者有り。鬷は潜かに兵を遣わして其の営を環らし、令を下して曰く、「乱せざる者は皆な欠手して門を出でよ。問う所無し」と。是に於いて衆は皆な出づ。軍校をして乱卒を指さしめ、十余人を得て之を戮す。旦に及びて人皆な知らず。其の政を為すや大体にして、苛察を為さず。蜀人は之を愛す。
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『智囊』通簡・薛奎薛簡粛公は蜀に帥たり、一日、酒を大東門外に置く。城中に戍卒の乱を作す有り、既にして擒わる。都監走りて公に白す。公は命じて只だ擒獲の処に於いて斬決せしむ、民間は以て神断と為す。然らずんば、妄りに相攀引し、旬月の間も了し得る能わず、其の徒の反側の心を安んずる所以に非ず。〔馮述評〕稍しく意に其の功を張大するにあらば、便ち此のごとく直捷痛快なる能わず。民に偽蜀の時の中書印を得る者有り、夜に錦囊を以て之を西門に掛く。門者以て白す。蜀人の随う者は万を以て計え、皆な恟恟として異語を出だし、且つ公の為す所を観る。公は主吏を顧みて之を蔵せしめ、略ぼ取り視ず、民は乃ち止む。
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『智囊』威克・羅點羅点、浙西倉司と為り、平江府を摂す。忽ち雇主の其の逐僕の銭を欠くを訟うる有り。究問して已に服す。而して僕は黠狡にして、反って其の主を汚さんと欲し、乃ち自ら陳べて嘗て主の餽くる姫と通ぜりと。既にして之を訪ぬれば、実に非ず。是に於いて僕をして自ら奸状を供せしめ、因りて判して云う、「僕は既に主の銭を負い、又た主の婢を汚せり。事の有無は知るべからずと雖も、然れども自供已に明らかなれば、合に奸罪に従い、宜しく徒配を断じて施行すべし。其の婢は主人に詞有る日を候ちて根究せよ」と。聞く者は快しとせざる莫し。
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