智囊 / 通簡・韓愈・裴度
韓愈為吏部侍郎。有令史權勢最重,舊常關鎖,選人不能見。愈縱之,聽其出入,曰:「人所以畏鬼者,以其不能見也;如可見,則人不畏之矣!」〔馮述評〕主人明,不必關鎖;主人暗,關鎖何益?公在中書,左右忽白以失印,公怡然,戒勿言。方張宴舉樂,人不曉其故。夜半宴酣,左右復白印存,公亦不答,極歡而罷。人問其故,公曰:「胥吏輩盜印書券,緩之則復還故處,急之則投水火,不可復得矣。」〔馮述評〕不是矯情鎮物,真是透頂光明。故曰「智量」,智不足,量不大。
新字:韓愈為吏部侍郎。有令史権勢最重,旧常関鎖,選人不能見。愈縦之,聴其出入,曰:「人所以畏鬼者,以其不能見也;如可見,則人不畏之矣!」〔馮述評〕主人明,不必関鎖;主人暗,関鎖何益?公在中書,左右忽白以失印,公怡然,戒勿言。方張宴舉楽,人不暁其故。夜半宴酣,左右復白印存,公亦不答,極歓而罷。人問其故,公曰:「胥吏輩盗印書券,緩之則復還故処,急之則投水火,不可復得矣。」〔馮述評〕不是矯情鎮物,真是透頂光明。故曰「智量」,智不足,量不大。
書き下し
韓愈は吏部侍郎たり。令史の権勢最も重き者有り、旧と常に関鎖し、選人は見ゆる能わず。愈は之を縦し、其の出入を聴して曰く、「人の鬼を畏るる所以は、其の見る能わざるを以てなり。如し見るべくんば、則ち人は之を畏れざらん」と。〔馮述評〕主人明らかなれば、関鎖するを必とせず。主人暗ければ、関鎖して何をか益せん。公は中書に在り、左右は忽ち印を失うを白す。公は怡然として、言う勿れと戒む。方に宴を張り楽を挙げ、人は其の故を暁らず。夜半に宴酣なるに、左右は復た印存すと白す。公も亦た答えず、歓を極めて罷む。人其の故を問う。公曰く、「胥吏輩は印を盗みて券に書す。之を緩むれば則ち故処に還り、之を急にすれば水火に投じて復た得べからず」と。〔馮述評〕是れ情を矯め物を鎮むるに非ず、真に是れ透頂の光明なり。故に「智量」と曰う。智足らざれば、量は大ならず。
現代語訳
韓愈は吏部侍郎であった。権勢がとりわけ重い令史がおり、昔から常に門を閉ざして、選考を受ける者は会えなかった。愈はこれを自由にし、出入りを許して言った。「人が鬼を恐れるのは、見ることができないからだ。見えるようになれば、人は恐れなくなる」。〔馮夢龍の評〕主人が明晰であれば、閉ざすまでもない。主人が暗ければ、閉ざして何の益があろうか。公(裴度)は中書省にいたとき、側近が突然、印を失ったと報告した。公はにこやかに、口外するなと戒めた。ちょうど宴を開き音楽を奏でていて、人々はその理由を知らなかった。夜半に宴がたけなわになったとき、側近がまた印が戻ったと報告した。公もまた答えず、楽しみを尽くして宴を終えた。人がその理由を尋ねた。公は言った。「胥吏たちが印を盗んで文書に押したのだ。ゆるめれば元の場所に戻るが、急げば水や火に投げ込まれて二度と戻らない」。〔馮夢龍の評〕感情を抑えて動揺を鎮めているのではなく、真に隅々まで明るいのである。だから「智量」と言う。智が足りなければ、度量は大きくならない。
解説
この章句が説くこと
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