智囊 / 通簡・向敏中・王旦
真宗幸澶淵,賜向敏中密詔,盡付西鄙,許便宜行事。敏中得詔藏之,視政如常。會大儺,有告禁卒欲依儺為亂者,敏中密麾兵被甲伏廡下幕中。明日盡召賓僚兵官,置酒縱閱,命儺入,先馳騁於中門外。後召至階,敏中振袂一揮,伏出,盡擒之,果懷短刃,即席斬焉。既屏其屍,以灰沙掃庭,照舊張樂宴飲。旦從幸澶淵。帝聞雍王遇暴疾,命旦馳還東京,權留守事。旦馳至禁城,直入禁中,令人不得傳播。及大駕還,旦家子弟皆出郊迎,忽聞後面有騶呵聲,回視乃旦也,皆大驚。〔馮述評〕西鄙、東京,兩人如券。時寇準在澶淵,擲骰飲酒鼾睡,仁宗恃之以安。內外得人,故虜不為害。當有事之日,須得如此靜鎮。
新字:真宗幸澶淵,賜向敏中密詔,尽付西鄙,許便宜行事。敏中得詔蔵之,視政如常。会大儺,有告禁卒欲依儺為乱者,敏中密麾兵被甲伏廡下幕中。明日尽召賓僚兵官,置酒縦閲,命儺入,先馳騁於中門外。後召至階,敏中振袂一揮,伏出,尽擒之,果懐短刃,即席斬焉。既屏其屍,以灰沙掃庭,照旧張楽宴飲。旦従幸澶淵。帝聞雍王遇暴疾,命旦馳還東京,権留守事。旦馳至禁城,直入禁中,令人不得伝播。及大駕還,旦家子弟皆出郊迎,忽聞後面有騶呵声,回視乃旦也,皆大驚。〔馮述評〕西鄙、東京,両人如券。時寇準在澶淵,擲骰飲酒鼾睡,仁宗恃之以安。内外得人,故虜不為害。当有事之日,須得如此静鎮。
書き下し
真宗の澶淵に幸するや、向敏中に密詔を賜い、西鄙を尽く付し、便宜に行事するを許す。敏中は詔を得て之を蔵し、政を視ること常の如し。会々大儺あり、禁卒の儺に依りて乱を為さんと欲する者ありと告ぐる有り。敏中は密かに兵に麾して甲を被せ、廡下の幕中に伏せしむ。明日、尽く賓僚、兵官を召し、酒を置き縦に閲し、儺を入らしめ、先ず中門の外に馳騁せしむ。後に召して階に至らしめ、敏中は袂を振るいて一たび麾けば、伏せたる者出で、尽く之を擒らう。果たして短刃を懐き、即席に斬る。既に其の屍を屏け、灰沙を以て庭を掃き、照旧として楽を張り宴飲す。旦は幸に従いて澶淵に至る。帝は雍王の暴疾に遇うを聞き、旦に命じて馳せて東京に還り、権に留守の事を行わしむ。旦は馳せて禁城に至り、直ちに禁中に入り、人をして伝播せしめず。大駕の還るに及び、旦の家の子弟は皆な郊に出で迎う。忽ち後ろに騶呵の声を聞き、回り視れば乃ち旦なり。皆な大いに驚く。〔馮述評〕西鄙、東京、両人は券の如し。時に寇準は澶淵に在り、骰を擲ち酒を飲み鼾睡す。仁宗は之を恃みて以て安んず。内外人を得、故に虜は害を為さず。事有るの日に当たりては、須らく此の如き静鎮を得べし。
現代語訳
真宗が澶淵に行幸したとき、向敏中に密詔を与え、西方の辺境の守りをすべて任せ、臨機応変に事を行うことを許した。敏中は詔を受けるとこれを隠し、政務をいつもどおりに執った。ちょうど大儺の儀式があり、禁軍の兵が儺に紛れて乱を起こそうとしていると告げる者がいた。敏中はひそかに兵に合図して鎧を着せ、廊下の幕の中に伏せさせた。翌日、賓客や幕僚、将校をすべて招いて酒宴を開き、自由に見物させ、儺の者たちを入場させて、まず中門の外で馳せ回らせた。のちに呼んで階の前に至らせ、敏中が袖を振って一たび合図すると、伏せていた兵が出て、全員を捕らえた。果たして短刀を懐に隠していたので、その場で斬った。その屍を片づけ、灰と砂で庭を掃き、以前のとおり音楽を奏でて宴会を続けた。王旦は行幸に従って澶淵に至った。帝は雍王が急病にかかったと聞き、旦に命じて急ぎ東京に戻り、臨時に留守の事務を執らせた。旦は駆けて禁城に着き、直ちに宮中に入り、人に漏らさせなかった。帝の車が帰還すると、旦の家の子弟はみな郊外に出迎えた。突然、背後から先払いの声が聞こえ、振り返ると旦であった。みな大いに驚いた。〔馮夢龍の評〕西の辺境と東京とで、二人はまるで割符のように合っていた。このとき寇準は澶淵にいて、さいころを投げ酒を飲み、いびきをかいて眠っていた。仁宗は彼を頼って安心した。内外に人を得て、だから敵は害をなさなかった。事ある日に当たっては、こうした静鎮を得なければならない。
解説
この章句が説くこと
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