孫子 / 用間篇
微哉!微哉!無所不用間也。間事未發而先聞者,間與所告者皆死。
新字:微哉!微哉!無所不用間也。間事未発而先聞者,間与所告者皆死。
書き下し
微なるかな、微なるかな。間を用いざる所無し。間事未だ発せずして先ず聞こゆれば、間と告げられし所の者と皆死す。
現代語訳
微妙のきわみである。間者を使わない場面はない。間者の仕事が実行される前に漏れてしまえば、間者もそれを聞いた者も、ともに死ぬ。
解説
情報活動における秘密保持の厳しさを説いた一段である。漏らした者だけでなく、聞いた者も死ぬ——連座の原則が、情報の扱いの重さを物語る。現代の組織でこの厳格さをそのまま持ち込むことはないが、原理は生きている。まだ実行していない計画が外に漏れれば、計画そのものが死ぬ。人事、買収、価格改定——いずれも発表の順序と時期が決まっている情報で、漏れた時点で選択肢が消える。誰に、いつ、何を伝えるかの設計は、計画の中身と同じくらい重要である。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
機密漏洩情報管理順序計画
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