智囊 / 通簡・杜紘・蘇頌
杜紘知鄆州,嘗有揭幟城隅,著妖言其上,期為變。州民皆震。俄而草場白晝火,蓋所揭一事也,民益恐。或謂大索城中。絃笑曰:「奸計正在是,冀因吾攪擾而發,奈何墮其術中?彼無能為也!」居無何,獲盜,乃奸民為妖,遂誅之。蘇頌遷度支判官,送契丹使宿恩州。驛舍火,左右請出避火,頌不許;州兵欲入救火,亦不許,但令防卒撲滅之。初火時,郡中洶洶,謂使者有變,救兵亦欲因而生事,賴頌不動而止。
新字:杜紘知鄆州,嘗有掲幟城隅,著妖言其上,期為変。州民皆震。俄而草場白昼火,蓋所掲一事也,民益恐。或謂大索城中。絃笑曰:「奸計正在是,冀因吾攪擾而発,奈何堕其術中?彼無能為也!」居無何,獲盗,乃奸民為妖,遂誅之。蘇頌遷度支判官,送契丹使宿恩州。駅舎火,左右請出避火,頌不許;州兵欲入救火,亦不許,但令防卒撲滅之。初火時,郡中洶洶,謂使者有変,救兵亦欲因而生事,頼頌不動而止。
書き下し
杜紘は鄆州に知たり。嘗て幟を城隅に掲げ、妖言を其の上に著し、期して変を為す者有り。州民は皆な震う。俄にして草場に白昼火あり、蓋し掲ぐる所の一事なり。民は益々恐る。或るひと大いに城中を索めんと謂う。紘は笑いて曰く、「奸計は正に是に在り。吾が攪擾に因りて発せんと冀う。奈何ぞ其の術中に墮ちん。彼は為す能う無きなり」と。居ること何ほども無く、盗を獲、乃ち奸民の妖を為せるなり。遂に之を誅す。蘇頌は度支判官に遷り、契丹使を送りて恩州に宿す。駅舎に火あり、左右は出でて火を避けんことを請うも、頌は許さず。州兵は入りて火を救わんと欲するも、亦た許さず。但だ防卒をして之を撲滅せしむ。初め火ありし時、郡中洶洶として、使者に変有りと謂い、救兵も亦た因りて事を生ぜんと欲す。頌の動かざるに頼りて止む。
現代語訳
杜紘は鄆州の知事であった。かつて、旗を城の隅に掲げ、その上に妖しい言葉を書き記し、期日を定めて変事を起こそうとした者がいた。州の民はみな震え上がった。ほどなく、昼間に草置き場で火事が起こったが、それは旗に書かれていた事の一つであった。民はますます恐れた。ある人が、城中を大がかりに捜索しようと言った。紘は笑って言った。「奸計はまさにそこにある。私が騒ぎ立てるのを機に事を起こそうと狙っているのだ。どうしてその術中にはまろうか。彼らには何もできまい」。ほどなく盗賊を捕らえてみると、悪巧みをする民が妖言を作ったのであり、すぐに誅殺した。蘇頌は度支判官に転じ、契丹の使者を送って恩州に宿泊した。宿舎で火事が起こり、側近たちは外へ避難するよう願ったが、頌は許さなかった。州兵が入って火を消そうとしたが、これも許さなかった。ただ警護の兵に消し止めさせた。火事が起きたとき、郡中は騒然とし、使者に異変があったと言い、救援の兵もこれに乗じて事を起こそうとした。頌が動かなかったおかげで収まった。
解説
この章句が説くこと
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