智囊 / 通簡・朱博
博本武吏,不更文法,及為冀州刺史,行部;吏民數百人遮道自言,官寺盡滿。從事白請「且留此縣,錄見諸自言者,事畢乃發」,欲以觀試博。博心知之,告外趣駕。既白駕辦,博出就車,見自言者,使從事明敕告吏民:「欲言縣丞尉者,刺史不察黃綬,各自詣郡;欲言二千石墨綬長吏者,使者行部,還詣治所。其民為吏所冤,及言盜賊辭訟事,各使屬其部從事。」博駐車決遣,四五百人皆罷去,如神。吏民大驚,不意博應事變乃至於此。後博徐問,果老從事教民聚會,博殺此吏。
新字:博本武吏,不更文法,及為冀州刺史,行部;吏民数百人遮道自言,官寺尽満。従事白請「且留此県,録見諸自言者,事畢乃発」,欲以観試博。博心知之,告外趣駕。既白駕辦,博出就車,見自言者,使従事明勅告吏民:「欲言県丞尉者,刺史不察黄綬,各自詣郡;欲言二千石墨綬長吏者,使者行部,還詣治所。其民為吏所冤,及言盗賊辞訟事,各使属其部従事。」博駐車決遣,四五百人皆罷去,如神。吏民大驚,不意博応事変乃至於此。後博徐問,果老従事教民聚会,博殺此吏。
書き下し
博は本と武吏にして、文法を更ず。冀州刺史と為るに及び、部を行る。吏民数百人、道を遮りて自ら言い、官寺に尽く満つ。従事は白して請う、「且く此の県に留まり、諸々の自ら言う者を録見し、事畢りて乃ち発せん」と。博を観試せんと欲するなり。博は心に之を知り、外に告げて駕を趣す。既に駕弁ずと白すや、博は出でて車に就き、自ら言う者を見、従事をして明らかに吏民に敕告せしむ、「県の丞、尉を言わんと欲する者は、刺史は黄綬を察せず、各々自ら郡に詣れ。二千石、墨綬の長吏を言わんと欲する者は、使者は部を行る、還って治所に詣れ。其の民の吏に冤せらるる、及び盗賊、辞訟の事を言うは、各々其の部従事に属せしめよ」と。博は車を駐めて決遣し、四五百人皆な罷め去ること神の如し。吏民は大いに驚き、博の事変に応ずること乃ち此に至るを意わざりき。後に博は徐ろに問い、果たして老従事の民を教えて聚会せしめしなり、博は此の吏を殺す。
現代語訳
朱博はもともと武官の出で、文書や法令の扱いには慣れていなかった。冀州刺史となって、管内を巡察した時、数百人の役人や民が道をふさいで訴え出て、官舎はすっかり人でいっぱいになった。従事は、「しばらくこの県に留まって、訴えに来た者たちの話を記録して会い、それが済んでから出発されてはいかがでしょう」と申し出た。博を試そうとしたのである。博は内心それを見抜き、外に向かって「馬車を用意せよ」と促した。支度ができたと報告されると、博は出て車に乗り、訴え出た者たちに会って、従事に命じて役人と民にはっきり告げさせた。「県の丞や尉のことを訴えたい者は、刺史は黄綬の役人を取り調べないので、各自、郡の役所へ行け。二千石や墨綬の長官を訴えたい者は、使者が管内を巡察しているから、そのうち本拠地へ来い。民が役人に冤罪を被ったことや、盗賊、訴訟のことを言う者は、それぞれその部の従事に任せよ」。博は車を止めて裁き分け、四、五百人がみな帰っていった様は神業のようであった。役人も民も大いに驚き、博が事変に応じる力がここまでとは思わなかった。後に博がゆっくり問いただすと、やはり年配の従事が民に教えて集まらせたのであり、博はこの役人を殺した。
解説
この章句が説くこと
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『鬼谷子』抵巇篇聖人萌牙巇罅を見れば、則ち之を抵ぐに法を以てす。世以て治むべくんば、則ち抵ぎて之を塞ぎ、治むべからずんば、則ち抵ぎて之を得。或いは抵ぐこと此くの如く、或いは抵ぐこと彼くの如く、或いは抵ぎて之に反し、或いは抵ぎて之を覆す。五帝の政は、抵ぎて之を塞ぎ、三王の事は、抵ぎて之を得たり。諸侯相い抵ぐこと、勝げて數うべからず。此の時に當たりて、能く抵ぐを右と爲す。
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史記 呉王濞列伝当に賜ふべき者有らば寡人に告げよ。寡人且に往きて之を遺らんとす。敬みて以て聞す」と。七国反するの書天子に聞す。天子乃ち太尉条侯周亜夫をして三十六将軍を将ゐて、往きて呉楚を撃たしむ。曲周侯酈寄を遣はして趙を撃たしむ。将軍欒布斉を撃つ。大将軍竇嬰滎陽に屯し、斉趙の兵を監す。呉楚反するの書聞す。兵未だ発せず、竇嬰未だ行かざるに、故の呉の相袁盎を言ふ。盎時に家居す。詔して召して入見せしむ。上方に晁錯と兵を調へ軍食を笇ふ。上袁盎に問ひて曰く、「君嘗て呉の相為り。呉の臣田禄伯の人と為りを知るか。今呉楚反す。公に於て何如」と。対へて曰く、「憂ふるに足らざるなり。今破れん」と。上曰く、「呉王山に即きて銭を鋳、海水を煮て塩と為し、天下の豪桀を誘ひ、白頭にして事を挙ぐ。此の若くんば、其の計百全ならずんば、豈に発せんや。何を以て其の能く為す無しと言ふや」と。袁盎対へて曰く、「呉に銅塩の利有るは則ち之有り。安くんぞ豪桀を得て之を誘はん。誠に呉をして豪桀を得しめば、亦且に王を輔けて義を為さんとし、反せざらん。呉の誘ふ所は皆無頼の子弟、亡命して銭を鋳る姦人なり。故に相率ゐて以て反す」と。晁錯曰く、「袁盎の之を策すること善し」と。上問ひて曰く、「計安くにか出づる」と。盎対へて曰く、「願はくは左右を屏けよ」と。上人を屏く。独り錯在り。盎曰く、「臣の言ふ所は、人臣知るを得ざるなり」と。乃ち錯を屏く。錯趨りて東廂に避け、恨むこと甚だし。上卒に盎に問ふ。盎対へて曰く、「呉楚相遺る書に曰く、『高帝子弟を王とし各々分地有り。今賊臣晁錯擅に諸侯を適過し、之が地を削奪す』と。故に反するを以て名と為し、西して共に晁錯を誅し、故地を復して罷めんとす。方今の計は、独り晁錯を斬り、使を発して呉楚七国を赦し、其の故の削地を復せば、則ち兵は刃に血ぬること無くして倶に罷むべし」と。是に於て上嘿然たること良久しくして、曰く、「顧ふに誠に何如。吾一人を愛しみて以て天下に謝せざらんや」と。盎曰く、「臣の愚計は此に出づる無し。願はくは上之を孰計せよ」と。
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説苑・君道高宗なる者は武丁なり、高くして之を宗とす、故に高宗と号す。成湯の後、先王の道欠け、刑法違犯せられ、桑穀倶に朝に生じ、七日にして大いに拱す。武丁其の相を召して之を問う。其の相曰く、「吾之を知ると雖も、吾言うを得ざるなり。之を祖己に聞く、桑穀なる者は野草なり、而して朝に生ず、意うに国亡びんとするか」と。武丁恐駭し、身を飭め行いを修め、先王の政を思い、滅国を興し絶世を継ぎ、逸民を挙げ、養老を明らかにす。三年の後、蛮夷重訳して朝する者七国、此を之れ存亡継絶の主と謂う、是を以て高くして之を尊ぶなり。
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説苑・奉使秦楚兵を轂う。秦王人をして楚に使いせしむ。楚王人をして之を戲れしめて曰く、「子來るに亦た之を卜せしか。」對えて曰く、「然り。」「卜して何をか謂うや。」對えて曰く、「吉なり。」楚人曰く、「噫、甚だしいかな、子の國良龜無きなり。王將に子を殺して以て鐘に釁らんとす、其の吉なること如何。」使者曰く、「秦楚兵を轂う、吾が王我をして先んじて窺わしむ。我死して還らずんば、則ち吾が王警戒を知り、兵を整齊して以て楚に備う。是れ吾が所謂吉なり。且つ死者にして知無くんば、又た何ぞ鐘に釁らん。死者にして知有らば、吾豈に秦を錯きて楚を相みんや。我將に楚の鐘鼓をして聲無からしめんとす。鐘鼓聲無くんば則ち將に其の士卒を整齊して君の軍を理むる無からんとす。夫れ人の使いを殺し、人の謀を絕つは、古の通議に非ざるなり。子大夫試みに熟ら之を計れ。」使者以て楚王に報ず。楚王之を赦す。此れを之れ「造命」と謂う。
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史記 陳丞相世家漢王大いに怒りて罵る、陳平漢王を躡む。漢王も亦た悟り、乃ち厚く斉の使を遇し、張子房をして卒に信を立てて斉王と為さしむ。平を封ずるに戸牖郷を以てす。其の奇計策を用ひ、卒に楚を滅ぼす。常に護軍中尉を以て従ひて燕王臧荼を定む。漢六年、人の上書して楚王韓信の反くを告ぐる者有り。高帝諸将に問ふ、諸将曰く、「亟やかに兵を発して豎子を阬にせんのみ」と。高帝黙然たり。陳平に問ふ、平固く辞謝して、曰く、「諸将は云何」と。上具に之を告ぐ。陳平曰く、「人の上書して信の反くを言ふ、之を知る者有るか」と。曰く、「未だ有らず」と。曰く、「信之を知るか」と。曰く、「知らず」と。陳平曰く、「陛下の精兵は楚に孰与ぞ」と。上曰く、「過ぐる能はず」と。平曰く、「陛下の将の兵を用ふるに能く韓信に過ぐる者有るか」と。上曰く、「及ぶ莫きなり」と。平曰く、「今兵は楚の精に如かず、而して将は及ぶ能はず、而して兵を挙げて之を攻むるは、是れ之に戦ひを趣すなり、窃かに陛下の為に之を危ぶむ」と。上曰く、「之を為すこと奈何」と。平曰く、「古者天子巡狩し、諸侯を会す。南方に雲夢有り、陛下弟だ出でて偽りて雲夢に遊び、諸侯を陳に会せよ。陳は、楚の西界なり、信天子の好を以て出遊するを聞かば、其の勢必ず事無くして郊迎し謁せん。謁せば、而して陛下因りて禽にせよ、此れ特だ一力士の事のみ」と。高帝以て然りと為し、乃ち使を発して諸侯に陳に会せんことを告げしむ、「吾将に南のかた雲夢に遊ばんとす」と。上因りて随ひて以て行く。行きて未だ陳に至らざるに、楚王信果たして道中に郊迎す。高帝豫め武士を具へ、信の至るを見て、即ち之を執縛し、後車に載す。信呼びて曰く、「天下已に定まる、我固より当に烹らるべし」と。高帝顧みて信に謂ひて曰く、「若声すること毋かれ。而の反くこと、明らかなり」と。武士反接す。遂に諸侯に陳に会し、尽く楚の地を定む。還りて雒陽に至り、信を赦して以て淮陰侯と為し、而して功臣と符を剖きて封を定む。是に於て平と符を剖き、世世絶ゆること勿からしめ、戸牖侯と為す。平辞して曰く、「此れ臣の功に非ざるなり」と。
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