鬼谷子 / 抵巇篇
聖人見萌牙巇罅、則抵之以法。世可以治、則抵而塞之、不可治、則抵而得之、或抵如此、或抵如彼、或抵反之、或抵覆之。五帝之政、抵而塞之、三王之事、抵而得之、諸侯相抵、不可勝數。當此之時、能抵爲右。
新字:聖人見萌牙巇罅、則抵之以法。世可以治、則抵而塞之、不可治、則抵而得之、或抵如此、或抵如彼、或抵反之、或抵覆之。五帝之政、抵而塞之、三王之事、抵而得之、諸侯相抵、不可勝数。当此之時、能抵為右。
書き下し
聖人萌牙巇罅を見れば、則ち之を抵ぐに法を以てす。世以て治むべくんば、則ち抵ぎて之を塞ぎ、治むべからずんば、則ち抵ぎて之を得。或いは抵ぐこと此くの如く、或いは抵ぐこと彼くの如く、或いは抵ぎて之に反し、或いは抵ぎて之を覆す。五帝の政は、抵ぎて之を塞ぎ、三王の事は、抵ぎて之を得たり。諸侯相い抵ぐこと、勝げて數うべからず。此の時に當たりて、能く抵ぐを右と爲す。
現代語訳
聖人は芽生えたひび割れを見れば、法によってこれを押さえる。世がまだ治められるのなら、押さえて塞ぐ。もう治められないのなら、押さえて手に入れる。ある場合はこのように押さえ、ある場合はあのように押さえ、ある場合は押さえてひっくり返し、ある場合は押さえて覆す。五帝の政治は押さえて塞いだ。三王の事業は押さえて手に入れた。諸侯が互いに押さえ合ったことは、数えきれない。この時代にあっては、よく押さえる者を上とした。
解説
判断基準が一つだけ示されます。まだ治められるなら塞ぐ、もう治められないなら取る。修復可能性で手を分ける。そして歴史がその例として置かれます。五帝は塞ぎ、三王は取った。同じ技術が、王朝の継承にも交代にも使われた、と。事業の再建でも同じ問いが立ちます。この事業はまだ立て直せるのか、それとも畳んで別のものに置き換えるのか。多くの経営者がここで判断を先送りし、塞ごうとして塞ぎきれないまま時間を使います。塞ぐと決めるのも、取ると決めるのも、まず修復可能性を見きわめてからです。
この章句が説くこと
治むべくんば塞ぎ治むべからずんば得能く抵ぐを右と為す判断見極め危機対応決断
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